ジャニーズ事務所代表取締役社長のジャニー喜多川さんが、7月9日午後4時47分、87歳で亡くなりました。同事務所が書面を通じて発表したのですが、通夜・告別式についてはタレントたちとJr.のみで「家族葬」を行うということです。

6月18日意識を失い救急搬送…そして7月9日午後4時47分永眠

ジャニーズ事務所の話では、ジャニーさんは6月18日午前11時30分頃、自宅で体調の異常を訴えたということです。病院に向かおうとしたところ意識を失って救急搬送となったのです。

病院に搬送後集中治療室で救命措置がとられ、その後一般病棟に移って所属タレントたちとの面会を果たすことができました。

病室にはタレントたちが、仕事の合間を縫って入れ替わり立ち変わり病室を訪れ、ジャニーさんを見舞ったそうです。ときに危険な状態になってもタレントたちが呼びかけ危機を脱してきたということです。

危機が訪れては回復するという奇跡のような出来事が繰り返され…

「改めまして、ジャニーのタレントに対する育ての親としての深い愛情と子供達との絆の強さを感じました」

事務所もこんなコメントを残しています。

そして、7月9日午後4時47分…永眠

死因は解離性脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血ということですが、高齢を考えると病状から回復することは見込めず、それでも入院からの亡くなるまでの20日間というのは、タレントたちと過ごした至福の時間となったのは間違いないでしょう。

病に倒れる直前まで劇場やスタジオに赴く日々を過ごしていたということですから、精力的に動いていた姿が思い浮かびます。

事務所のコメントが続きます。

「ジャニーが私達に最後まで言い続けていたことは、自身の意思を受け継いでくれるタレントを絶え間なく育成し、そのタレントと社員が、エンターテインメントを通じて世界中の皆様に幸せをお届けすることこそが、ジャニーズグループとして決して変わることのない思いであるということです。そして、世の中がいつまでもエンターテインメントを楽しむことができる平和で希望に満ちたみらいであり続けることを心から願っておりました」

さらに

「これからタレントと社員がその意思を受け継ぎ、一人一人が役割を果たすことで世界中にジャニーの願いが届きますよう、タレントとスタッフ一丸となり精進してまいりますので、何卒ご指導賜われますと幸甚に存じます」

と、コメントしています。

1962年にジャニーズ事務所を設立

ジャニーさんは米国生まれです。1931年生まれで、両親は日系1世の日本人です。

日本に来たのはGIとしてということですから、ジャニーさんも数奇な運命を辿ったといっていいでしょう。日米両国の国籍を持つことで、両国の架け橋になるといった夢を持って日本に来日したということです。

そして、1962年にジャニーズ事務所を創業します。

その後の活躍は多くの人の知るところで、昭和から平成にかけ、数多くの男性グループ、歌手、タレントをプロデュース。スマップや嵐、TOKIOに代表するグループなどを国民的な存在へ育てあげました

2011年には「最も多くのコンサートをプロデュースした人物」「最も多くのナンバーワン・シングルをプロデュースした人物」として、

12年には「最も多くのチャート1位を獲得した歌手をプロデュースした人物」として、

それぞれギネス・ワールド・レコーズに認定されています。

姿を見せない謎の存在として

メディアへの露出を極端に避け、イメージだけが膨らんでいった感のあるジャニーさんです。生前こんなコメントを残しています。

「キャリアから言って僕は、芸能界のシーラカンスだと思っています。シーラカンスは姿を見せない。見せる必要はないんですよ」

「ジャニーさん」というニックネームで親しまれ、米国生まれで英語が堪能ということから「ユー」や「ヤング」という言葉が会話の中に入ってくるというのは、タレントたちの言葉の中で良く出てきます。

所属タレントですから、社長を悪く言う人はいないのは当然ですが、陰口をたたく人、噂を流す人などがいなかったことからもジャニーさんの人望がよくわかります。

ネットの反応

「色々あったけど間違いなくアイドルというものを作ってくれました!ご冥福をお祈りいたします。」

「日本の男性アイドル一時代を築いた人物。あなたの意志は、中居君はじめ、いろんな人たちが受け継いでいくでしょう。今までありがとうございました。」

「金の卵の可能性を持った少年達を半世紀に渡って、歌って踊れて、芝居ができるスターに育て上げた。ある意味、男の宝塚を築いた人」

さまざまな思いが駆け巡ります。

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