
プロストが明かす苦悩。SNSで送られる”憎しみ”のメッセージ「幸か不幸か、アイルトンについて考えないわけにはいかない」
4度のF1王者であるアラン・プロストは、今も故アイルトン・セナとのライバル関係に関して多くのメッセージを受け取っており、その中には憎しみに満ちたメッセージも含まれているため、SNSから身を引こうと考えたこともあるという。
目次
セナとプロストの確執
F1の歴史において、セナとプロストのライバル関係は今も多くの人々を惹きつけるエピソードとなっている。
1988年と1989年にマクラーレンでチームメイトだったふたりは1988年の16戦中15勝を含めて、32戦で25勝をマークする圧倒的な強さを見せた一方で、ふたりの確執は徐々に深まっていった。
1989年の日本GP、シケインで2台が接触したシーンはあまりにも有名だ。
セナはなんとかレースに復帰しトップでチェッカーを受けたが、レース後に「コース復帰時のシケイン不通過」を理由に失格の裁定を下され、プロストがチャンピオンに輝いた。
翌年の日本GPでセナがやり返した事件や、プロストが引退をした後、1994年にセナがプロストのカムバックを望む逸話、そしてセナの早すぎる死。
セナが亡くなってから、すでに30年以上が経過しているが、”セナプロ”は今もF1ファンを虜にしている。
F1レーサーで自転車乗りは多いですが、伝説の名ドライバーで「プロフェッサー」があだ名のアラン・プロスト、現在69歳ですが現役時代から自転車好き、今も乗り続けており、昨年UCIのグラベルレースに出て年代別優勝、かなり本格的にやってるそうです。今でも違うスポーツで戦うプロスト、格好いい。 pic.twitter.com/8f6t4k1EhG
— てんげるまん??tengelmam (@fcbliebe1900) September 12, 2024
セナとの決闘だった
プロストは、セナについて人生のほとんどを占めているような感覚さえしていると語った。
「モータースポーツへの道、私のキャリア、そして今。(引退してからの)30年間、私は多くのことをやってきたが、そういった私の人生を構成する多くの部分は、ほとんど語られない。私の人生はプロストとセナの決闘だけだという気がする」
当然、プロストのチームメイトはセナだけではなかった。
1984年と1985年はニキ・ラウダ、1986年はケケ・ロズベルグ、1990年はナイジェル・マンセル、1993年はデイモン・ヒルと組んでいる。
いずれもチャンピオン経験者であり、プロストはそうした才能あるドライバーと同じチームで戦ってきたキャリアを持つ。
アラン・プロストの直近の写真流れてきたけど完全におじーちゃんやん??悲しいな?。。年齢的にはおじーちゃんなん当たり前やけどセナ・プロスト時代にちょっぴりだけF1と関わってきた身としては寂しい。。長生きしてね。 pic.twitter.com/xHeHP5ZzII
— ずーずー???????????? (@wugzoo) March 10, 2025
今でもSNSで誹謗中傷が…
しかし、セナとともに過ごした時間は何年経っても彼の心に残る物語であり、セナのファンはいまだに多い。
特に1994年にセナが早すぎる死を遂げた後、プロストには苦悩していることがあるという。
「私のSNSでの最大のファンベースはブラジルの人たちだから、彼のことを考えざるを得ない。間接的に、私は30年間この話に囲まれて生きてきたし、おそらく残りの人生もずっとそうだろう」
「幸か不幸か、アイルトンについて考えないわけにはいかないんだ。例えば毎日、本当に毎日、例外なくメッセージを受け取るので、インスタグラムをオフにしようと考えている。時折、その中に憎悪に満ちたものがあるんだ」
今や、SNSでの誹謗中傷はモータースポーツのみならず、世界中で問題視されている。現役当時はSNSが発達していなかったレジェンドでさえ、その呪縛から逃れられないでいるようだ。
1989年 日本GP 鈴鹿
マクラーレンMP4/5ホンダ
No.1 アイルトン・セナ
No.2 アラン・プロスト pic.twitter.com/EbfHfo0dXc— ティレルP34?? (@Ford_DFV) March 9, 2025
ネットの声
「スゴい人だよなぁ。あの時代は「セナの敵」とされちゃってたけど、ラウダを倒し、ロズベルグ、ピケ、マンセルそしてセナと戦ってこの記録。最後はめちゃくちゃになっちゃったけど。フェラーリに移籍した時のスゴさは忘れない。シューマッハ以前の近代レーサーの完成形だと思う。カペリ、グージェルミンのレイトンコンビ
快走時のカペリを仕留めるのは今見ても鳥肌が立つ。」「あの時代、80年代半ばから90年代初めにかけてF1のトップに居たレーサーの一人で、その中でも頂点に近いレーサーだった。一年をトータルで考えて最も最良の結果を残すという事にかけては右に出る者はなかっただろう。あのセナと組んだ2年間も総合ポイントではプロストが上回っており、現在のルールなら88年もプロストがチャンピオンである。あのセナと組んでそれだけの成績を残すのはスーパーなドライバーだと思うし、フジが放送を盛り上げる為にセナ→善、プロスト→悪の図式を作らなければもっと日本でも味方は居たのではと思う。歴史に残るレジェンドクラスのドライバーの一人だよ。」
「当時よく見ていました。自分はプロスト派で、学校ではひどい扱いを受けたものです(笑)。
川井ちゃんの話では、確執のあった頃でさえ、実は裏では二人で話込む姿があったとか・・・。あのサンマリノで「I MISS YOU、ALAIN」とセナが呼びかける映像はグッとくるものがあるし、お互いチャンピオンになるために競い合っただけの話なんですけどね。
マクラーレン時代はもちろんだけど、個人的には1990年の当時最強マクラーレンホンダに立ち向かうフェラーリプロストが一番格好良かった。ブラジルでベルガー、フランスのカペリをぶち抜くシーン、スペインの鬼気迫る走りは、本当に今でも素晴らしいと思う。」