お笑い界では荒井注さんの存在も忘れてはならないでしょう。

ザ・ドリフターズが人気絶頂の頃に脱退。

自らの意思でフェイドアウトしていった人物。

厳密に言えば、荒井注の場合は、芸能界引退ではなく「お笑い界引退」というスタンスだったのです。

人気絶頂でドリフ脱退

「なんだバカヤロー!」

態度はデカかったが、誰からも愛されたお笑い芸人がいました。

荒井注…

人気お笑いグループ、ザ・ドリフターズの一員だったのです。

芸能界というのは、その世界に足を踏み入れたことのある人でなければその本当の魅力はわからないのかもしれませんが、自らすすんでやめていく芸人というのはほとんどいません。

腰が曲がって同情の拍手しかもらえないのに舞台に上がり続けたり、売れなくなって週刊誌の「あの人は今?」の企画で揶揄(やゆ)されても笑ってごまかしたり、地方の場末のスナックでかつてヒットしたたった一曲だけで生活したりと、彼らの芸人であることへの執着心には感心させられるものがあります。

しかし、荒井注はそれらの芸人とはかなり違っていたのです。

当時、爆発的人気を誇っていたドリフターズを、何の惜しげもなく、ある日突然やめてしまったのですから。

その後は申し訳程度にテレビの2時間ドラマに俳優として出演することはあったのですが、お笑いの世界に戻ってくることはありませんでした。

2000年2月9日、荒井注はこの世を去りました。

脚本家志望のつもりが

晩年は伊豆で過ごしていましたが、当時のインタビューが残っています。

「僕は人の前に出てやりたいなんて気持ちはちっともなかったんです。むしろ、脚本家志望でそのつもり大学でも国文科を選んで、勉強していたんですよ。それがどこでどう間違ってしまったんですかねえ」

ドリフ世代にとって、荒井注に対する思い入れは強く、飄々(ひょうひょう)と話す様はやっぱりあの荒井注でした。

その半生もまた飄々としていたのです。

学費稼ぎのために、バイトでバンドマンとしてライブハウスに出入りしていました。

気がつけばそれが本職となり、やがてドリフ夕ーズのリーダーであるいかりや長介と出会うのです。

「これでも中学と高校の国語の教員免許を持っているんですよ。当時、教員は不足してひっぱりだこだったんですが、給料が安くてねえ。せこい三流バンドでもその倍は稼ぐことができたんで入り込んでしまったんですよ。ドリフはちょうどメンバーに穴があいたところで、そこに僕がたまたまいたんですよ。僕が一番年上で、加藤(茶)とは15も違うんです。だから、彼らと同じように行動することは体力的にはきつかったねえ」

ドリフターズといえば、やはり「8時だヨ! 全員集合」。

1969年から16年も続いたお笑いの公開生放送番組です。

驚異的な高視聴率を維持し続けたお化け番組だったのですが、PTAからはワースト番組の汚名を着せられ、話題と問題に事欠かない画期的な番組でした。

ドリフターズは番組の高視聴率に支えられて人気も鰻(うなぎ)登り、当時はまさに飛ぶ鳥を落とす勢いだったのです。

全員集合開始後5年で脱退

しかし、荒井は5年で番組だけでなくドリフターズからも身を引いてしまいました。

「とにかく忙しかったよねえ。本番は土曜日なんだが、休みは日曜日だけで、月曜日からまたすぐに次の番組の準備を始めるんだ。火曜日までにスタッフらと深夜までふざけながら言いたいことを言いあって、台本のネタを探すんだよ。明け方までやることもザラだったね。台本ができたら立ち稽古、水曜と木曜に小道具を発注し、金曜にセットを作り、土曜の本番は朝10時から現場で稽古。そしたらもう本番だよ。あんなにキツイ時期はなかったね。そもそもが僕はなまけ者で、忙しくしているのは好きじゃないし、性にも合わない。だから5年といえども自分でもよくやったと思うよ」

ただ忙しいだけではありませんでした。

ケガも多かったのです。

客から笑いをとるために、体をはったコントが少なくなかったからです。

大量の水が降ってきたり、ブリキのたらいが頭を直撃するのは当たり前の世界で、誤って水ごとバケツが落ちてくることも珍しくなかったといいます。

実際に荒井の体には縫った跡が何カ所も残っていました。

常に満身創痍で仕事にのぞんでいたのだ。

特に、一番年上の荒井の体にはこの“肉弾戦”は堪(こた)えました。

とにかく、ものがあらゆるところから落ちてくるのです。

反射神経も要求されるドリフの笑いに、荒井はすぐに限界を感じはじめていたのです。

「楽しいことは楽しかったよね。最初は自分でも気づかなかったんだけど、人を笑わせることが好きだったんだろうね。でも、忙しいのはごめんだったね。だから、その反動からわずかな時間をみつけては、夜中でも車を飛ばしてよく釣りに行ってたんだ。気を紛らすためと、少しでも都会の喧騒から離れたかったというのが本音だね。それと人間関係かな。どんな仕事をするんでも人間との付き合いは必要なんだろうけど、随分と難しいところにいたような気がするよ」

荒井は格好つけることなく淡々と語ってくれたのですが、笑いを演じていたその裏では苦悩もあったようです。

海の匂いを嗅ぐとホッとする

「最初の女房は学生結婚でね、随分苦労させちゃったねえ。結局、肺ガンで死んじゃったんですよ。赤坂で小さいスナックをやってたんですが、体を壊して『具合悪い具合悪い』と言ってたんだ。病院に連れて行った時はもう手遅れだったんだよ。忙しくて何もしてあげられなかった……」

テレビの画面を通してはまったく感じさせなかったのですが、荒井注は悔やんでも悔やみきれない苦い過去を背負っていたのです。

妻の死は相当に堪え、逃げるように好きな釣りに出かけていたというのですが、むしろ沖でボーッとしている方が多かったといいます。

しかし、心の傷が癒えないまま、32歳年下の女性と再婚。

1年半と持ちませんでした。

「あの結婚は女房が死んで落ち込んでいた時に、出会い頭の交通事故にあったみたいなものだったなあ」

体力的にも精神的にも追い込まれていた荒井は、ドリフをやめたことを全く後悔していません。

「ドリフの10年間はそれまでなまけてきた分を、すべて詰め込んだという感じだった。だから、やめることに後悔なんてまったくなかったよね」

突然やめることに、まわりは慌てましたが、荒井にしてみればドリフに十分尽くしたという気持ちがあったのでしょう。

口にはあまり出して言わなかったようですが、人気に引きずられることなく、自分の気持ちに忠実に従ったのです。

幸い、後釜には付き人の志村けんがおさまり、すぐに大ブレイクしたことで混乱はなかったのです。

しかし、異彩のコメディアンを失ったことは業界の痛手であったことは間違いないでしょう。

今では決して珍しくなくなりましたが、半ば不貞腐(ふてくさ)れて視聴者に喧嘩を売るような態度で笑いを取ることは、荒井注が初めて築いた世界です。

誰からも愛されるキャラクターだっただけに、その引退を惜しむ声が多かったのです。

ドリフをやめて15年、荒井は、それまで気を紛らせてくれていた伊豆に移り住みます。

「お金と暇ができたら、こっちに来たいなあとは漠然と思っていたんですよ。お金はできなかったけど、暇はできたんでね。時々、車で東京に出かけることがあったけど、疲れますねえ。多摩川を越えて首都高速に入ると空気がいきなり変わるんですよ。排気ガスだろうねえ。60年も住んでいたのにまったく気がつかないできていたんですね。伊豆に戻って海の匂いを嗅ぐとホッとします」

荒井注はお笑いに関しては天性のものを持っていたのですが、まわりがそれをいくら惜しもうとも、本人はそれにはまったく無頓着を決め込んでしまったのです。

誰もが足抜けできない華やかな芸能界に未練もなく、磯の香りの方に惹かれてしまいました。

荒井注はその後、伊豆の遊び仲間の娘と結婚します。

38歳も年下でした。

「まさか許してくれるとは思わなかったよ。半ば冗談で『嫁にくんないかなあ』って言ったら、『ああいいよ』だもんね。『何寝ぼけたこと言ってるんだ』と親父に怒られるのが関の山だと思っていたのに、『当人がいいって言ったらいいんじゃない』と軽く流されてしまって、拍子抜けしたというか、親父には感心したよね」

荒井注は若い女房と伊豆で穏やかに生活を続けていたのです。

「実はオーストラリアのゴールドコーストに家を持っているんだよ。ビザが取得できたら老後は向こうで暮らしたいね」

荒井注の口からは芸能界についての話はもうまったく出てきませんでした。

そもそも未練がないのです。

本人いうところの、なまけ者で、表に出ることが好きではなかった本来の姿に戻ったということなのでしょう。

こういう引き際もあるのですね。

今でも荒井の人を食ったような演技と笑いを懐かしむ声は多く、テレビで昔の映像が流されると荒井の存在感がひときわ光って見えてしまいます。

ドリフ脱退時、荒井注は45歳。平均寿命が延びた現在ならば考えられないほど早い段階での引き際でした。

2000年に亡くなった際の葬儀で弔辞を読んだのはリーダーのいかりや長介。

霊柩車は参列者の「なんだバカヤロー!」の掛け声で見送られたといいます。

ネットの反応

「自分で引き際遠決められる人は幸せだと思う、最近のニュースを見てると高齢者なのに仕事をしなきゃ食べていけない、年金の支給年齢もどんどん引き上げようとしている、このままでは自分の老後が不安で仕方ない。」

「荒井注さんがドリフを辞めた時はショックだったし加入したばかりの志村けんは面白く無く全員集合を見たく無くなった。もし荒井さんが辞めなかったら今の志村けんは無かったかも知れない。志村けんは全員集合の裏番組にコンビで出てた事も有ったからドリフから別のグループかピンで芸人をしたかも知れない。荒井注さんが亡くなる前にドリフのメンバーとCMで七福神を演じたのは元ファンとしては嬉しかった。」

「荒井注さんは、リーダーのいかりや長介さんと違いメンバーだったので脱退もスムーズに出来たと思うが、面白かったので残念に思った。2人とも他のメンバーよりもひと回りも歳上だから、相当キツかったろうね。あれだけドタバタ動き回るお笑いは、現在の芸人たちには出来ないと思う。」

荒井注が脱退して志村けんが売れた印象ですが、それにもタイムラグがあります。志村けんは東村山音頭でブレイクするまではそれほど面白くはなかったんですよね。

どんな感じの人?なんて聞かれたら落語家の三遊亭小遊三師匠にそっくりと言ってます。ほんとに似てますよ。

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