CDの時代と共に1990年は大物アーティストの転換期

桑田佳祐、井上陽水… 大物アーティストの転換期になった1990年

日本のミュージックシーンを語るのに避けて通れないのが、1990年代初頭。

CDが普及し、カラオケ文化が浸透、ミリオンヒット連発で、音楽業界史上空前のCDバブル期に突入した時期です。

サザンオールスターズ『真夏の果実』

特に1990年は人気バンドや大物アーティストにも転機が訪れ、さらなる成長を遂げる分岐点となった年でした。

それを象徴するヒット曲が、サザンオールスターズの『真夏の果実』。

音楽評論家の萩原健太さんが語ります。

「桑田佳祐とは古くからの友人で、アマチュアバンド時代、一緒にギターをやってた時期もあります。でも、彼を見てミュージシャンを諦めて出版社に就職し、その後、大瀧詠一という人に会って、また音楽をやろう!と会社をやめたんです(笑い)。

デビュー当時のサザンは、面白いところだけピックアップされることの多い“異端”な面があったかもしれません。

しかし、桑田が監督した映画『稲村ジェーン』のサウンドトラックアルバムは、桑田佳祐というミュージシャンの成長を本当に思い知らせた傑作で、主題歌の『真夏の果実』はサザンがその後も活動を継続する上でとても重要な一曲だったと思います。ちょっと大人で、聴いてる人を泣かせる、その後のサザンを象徴する曲ですね」

『稲村ジェーン』を出張先の新潟で見た思い出があるという音楽評論家のスージー鈴木さんも、同様の指摘をします。

「桑田佳祐って人が1980年代の青山学院大学のアマチュアバンドのりでいけるところまで行って活動休止して、小林武史という桑田佳祐の音作りを具現化するパートナーを得て、ひと皮むけた転機の曲だと思います。

デジタルなのにすごくセンチメンタルなイントロは、桑田&小林の所業という感じ。青臭かった感のあるサザンオールスターズが、時代のど真ん中で1億人を相手にメガセールスする“メガサザン”になるきっかけとなった名曲だと思いますね」(スージーさん)

ザ・ブルーハーツ『情熱の薔薇』

1990年のヒットチャートで上位に食い込んでいたのが、ザ・ブルーハーツの『情熱の薔薇』。

「当時のヒットランキングの中で、『情熱の薔薇』という曲は異質な存在です。

ストレートでわかりやすい『リンダ リンダ』『人にやさしく』『TRAIN-TRAIN』と違って、『情熱の薔薇』は歌詞が硬派で深みや奥行きがある。“文学的なブルーハーツ”が出てきた作品と言えます。

賑やかなカラオケボックスでみんなが乱痴気騒ぎしている中、ちょっと別世界で孤立無援のマウンドに立っている名曲という気がしますね」(スージーさん)

陽水最大のヒット曲『少年時代』制作の舞台裏

井上陽水が、「平井夏美」というペンネームを持つ川原伸司さんと共作で『少年時代』を世に出したのも1990年。

いまや教科書にも載る名曲『少年時代』の共作者、川原伸司さんとは何者なのでしょうか。

同氏を取材したことのある柴さんによれば、川原さんは当時、ビクター音楽産業の社員で、大瀧詠一さん担当だったそう。

音楽ジャーナリストの柴那典さんはこう話します。

「『筑紫哲也 NEWS23』(TBS系)という番組が始まるにあたって、オープニングジングル作りを頼まれた陽水さんから、大瀧さんにコーラスアレンジの依頼があり、陽水さんの仕事場に行ったのが最初の出会いだったそうです。

ビートルズを筆頭に、好きな音楽が共通。陽水さんの郷里(福岡県飯塚市)の近くに川原さんの父親が住んでいたこともあって意気投合。その後アルバム作りにも参加することになり、最初に共作した曲が『Tokyo』だったそうです」

川原さんは、陽水のポジティブな面を引き出すため、メジャーキーの曲を作りたいと考えていたそうです。

「たまには背筋を伸ばして、ビートルズの『レット・イット・ビー』のような誰もが名曲と認めてくれる曲を作りましょう―川原さんがそう提案して生まれたのが『少年時代』だったそうです」(柴さん)

こうした出会いが、1990年以降の陽水の新たな魅力につながっていったのです。

ネットの声

「桑田さんは真面目なバラードからかなり際どいワードを用いた歌までやり退けてしまうのだからやはり天才だと思います。」

「桑田や陽水より、もっとシンプルな歌い方で声が綺麗な人はたくさんいる。でも、この人たちは歌い方も声もクセが強烈だけど、表現力とかの味付けも抜群。更に、作り上げる独特な歌詞やメロディーの個性も加わり、まさに「唯一無二」なんだよね。他の人が歌っても、単なる物真似や、ただ歌ったカラオケのような、劣化版になるんだよね。」

「桑田佳祐氏と小林武史氏のタッグはサザン休止中、クワタバンド終了後にリリースしたソロアルバムからですが、電子音中心の曲作りなのに30年以上経った今も色褪せないんですよね。サザンに持ち込んで物凄い化学反応を起こしましたが、桑田氏と小林氏のタッグは最強です。その後で小林氏がミスチルのプロデューサーとして脚光を浴びますが、桑田氏・サザンとの共同作業から得たものって大きかったと思います。」



おすすめの記事