横浜の娼婦…ヨコハマメリーを知っていますか?メリーさんの激動の人生とは!

ヨコハマメリーは横浜の伝説の娼婦です。横浜に古くから住んでいる人でしたら、一度くらいは名前を聞いたことがあるでしょう。また、その姿を見ている人もいるかもしれません。

横浜の娼婦…ヨコハマメリー

横浜の娼婦としてヨコハマメリーが登場するのは1960年頃だそうです。

それから、74歳まで街頭に娼婦として立ち続けました

そして、1995年に横浜から姿を消し、2005年に岡山県の老人ホームで亡くなったのです。

こうした数行程度で終わるほど、ヨコハマメリーの一生は簡単なものではありませんでした。

当然誰もが予想する波瀾万丈の一生だったのです。

小柄でフリフリの白いドレスを着て、顔には真っ白な白粉の化粧…

そして、横浜の繁華街、福富町や伊勢崎町に現れていたのです。

ここで、疑問となるのが何故横浜だったのかということです。

稼ぐなら、東京の歌舞伎町や新宿のほうが良かったでしょう。

横浜に何かしらの縁があったのでしょうか。

もともと、ヨコハマメリーは外国人専門の娼婦だったようです。


それが、時が経つにつれて、日本人客も取るようになったということですね。

ヨコハマメリーの年齢を考えると、戦後の日本にやってきた進駐軍(GI)相手というのが予想されます。

声をかける日本人には特徴があったようです。

それは、「恰幅が良くてメガネをかけ、身なりのよい中年男性のみ」だったのです。

裏を返せば、ヨコハマメリーに声をかけられると、「頭が良くてお金持ち」すなわち、社会的信用力のある男性と見なされ、それが自慢となったらしいです。

ヨコハマメリーの人生

ヨコハマメリーは1921年(大正10年)に生まれました。

当時の小学校高等科を出たそうですが、家が貧しくて上の学校には進めず、青年学校に進んで卒業したそうです。

これは、小学校を出て勤労に従事する青少年に対して社会的教育を行っていた教育機関です。

昭和10年から戦後まで存在したいたようです。現在の夜間学校を想像すればいいでしょうか。

ヨコハマメリーは一度結婚しています。相手は地元の国鉄マンだったのですが、結婚生活も2年で破綻します。

その後、戦争の悪化とともに軍需工場で勤労奉仕、兵庫県西宮で女中奉公の後、横須賀へ向かいます。

この頃の流転はどういった目的があったのかは定かではありませんが、仕事を求めた上での決断だったのでしょう。

もっとも、横須賀に行ったのは、米軍の将校と出会い転勤先の横須賀についていったというのが真相のようです。

朝鮮戦争が起こり、将校はヨコハマメリーに「必ず迎えに来る」という言葉を残して戦地に向かいます。

そこで、ヨコハマメリーは将校の帰りを待ちながら、米軍相手の娼婦となったようです。

戦争が終わっても将校は帰って来ず…一説によると戦争が終わってそのまま米国に帰国したそうです。

そして、外国船が寄港する横浜に移り住み、毎日メリケン波止場に立って二度と帰ってこない将校を迎えに行っていたのだそうです。

このあたりは「岸壁の母」そのもののストーリーです。

そのときの装束も白いドレスと日傘で晩年のヨコハマメリーそのものだったそうです。

特徴であるおしろいはまだまだその後のようですが。

横浜でも米軍相手の娼婦をしながら、いつか帰ってくる将校との結婚を夢見ていたのかもしれません。

というよりも、それがヨコハマメリーの心のより所になっていたのでしょうね。

そして、いつしか歳を取っていくヨコハマメリー。

帰ってくる将校のためか、買ってくれる人のためか、顔のシワを隠すように化粧も厚くなり、いつしか真っ白になっていくのです。

ホームレスになっていた

晩年のよく知られるヨコハマメリーはホームレスになっていたようです。

住む場所もないので、飲み屋の入っているビルの踊り場で寝ていたこともあったらしいです。

伊勢崎モールはもちろん、尾上町にあった明治屋の前を大きな紙袋をぶら下げてヨタヨタと歩いている姿が目撃されています。

大きな紙袋には、ヨコハマメリーの生活用具一式が入っていたようです。

不摂生と不養生で、ヨコハマメリーの歯はすべて抜け落ちてしまいます。

しかし、それが良かったのか、ヨコハマメリーの口での奉仕はとても人気が高く、買ってくれる人も殺到…というわけでもなく、それでもそれなりに買ってくれた人がいたということです。

もっともそれだからこそ、長く娼婦としてやっていけたのでしょう。

また、ホームレスだからといって人から施しを受けるような物乞いは一切しなかったヨコハマメリー

見かねて手をさしのべてくれる人には、なけなしのお金でタオルなどを返礼したというのですから、気位が高く義理堅い性格が透けて見えますね。


1995年ころまでは娼婦として街頭に立ち続け、そこからぷっつりと消息が絶たれてしまいました。

それからヨコハマメリーの消息を知るのは、岡山の老人ホームでなくなったというニュースです。

ネットの声

「歯の無いヨコハマメリーの口での奉仕はこの世の極楽だったらしい」

「男に身をまかせ続けた人生だったけど、気高いというのがすごい」

「こんな生き方は誰もできないだろう。だからこそ伝説になったんだな」

1人の女性の半生が映画にもなったのですからすごいですね。

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