
日本人F1ドライバーはなぜ勝てない?
国別ドライバー輩出数では歴代10位も、いまだ未勝利の理由をあらためて検証する。
2月18日、イギリス・ロンドンでF1史上初となる全10チームが一堂に会する開幕イベント「F1 75」が開催された。
F1創立75周年を記念してのイベントには約2万人の観衆が詰めかけ、会場には全ドライバーが集結。
その中に、今年5年目のシーズンを迎える角田裕毅の姿もあった。
目次
これまで日本人ドライバーはトップ10に入る21人
選ばれし20人のF1ドライバーたちの国籍を見ると、最も多いのはイギリスで、その数は4人。
イギリスは歴代のF1ドライバーの数でも最多となる161人を送り出しており、そのうち10人がチャンピオンに輝き、21人の勝者を生んでいる。
これに対し、日本人ドライバーは角田を含めて21人がF1にチャレンジしてきた。
数だけを見れば国別でトップ10に入る多さで、18人のオーストラリアや16人のオランダ、15人のスペイン、9人のフィンランドを凌ぐ。
だが、それらの国が勝者のみならずチャンピオンを輩出しているのに対して、日本はチャンピオンどころかいまだ表彰台の頂点にも立っていない。
国別のF1ドライバー数トップ20の中で1勝も挙げていないのは日本だけだ。
なぜ、日本人はF1で勝てないのか。これは日本のモータースポーツ関係者の間で長年、論じられてきた難解なテーマだ。
問題点はどこにあるのか
優勝未経験国は日本だけではない。
デンマーク、アイルランド、ポルトガル、ロシアも未勝利だ。
だが、それらの国に世界的な自動車メーカーはなく、F1ドライバー自体も5人以下にとどまっている。
これに対して日本は自動車大国で、ホンダやトヨタが国内外でモータースポーツ活動を行い、ドライバーをサポートしている。
そのため、ほかの国に比べてF1への門戸が広くなっている反面、世界で戦うレベルに達していない段階でF1へステップアップしてしまうことが問題だと指摘する声もある。
あるいは、F1はヨーロッパのスポーツだから日本人は差別を受けていると主張する者もいる。
さらには、そもそもこれまでの日本人の中でF1で優勝できるドライバーはいなかったという辛辣な意見すらある。
どの言説にも明らかな瑕疵は見当たらない。
ただし、日本人がF1で勝てない理由はほかにあり、それこそが最大の原因だと指摘する者もいる。
それは、勝てるマシンに乗るチャンスが与えられなかったというものだ。
日本人として初めてF1にエントリーした鮒子田寛がドライブしたのは、日本のF1コンストラクターであるマキだった。
70年代に参戦したドライバーたちが所属したチームはコジマ、ティレル、サーティース、ウイリアムズだが、当時はいずれもトップチームではなかった。
中嶋悟が日本人初のフル参戦ドライバーになった87年以降の日本人F1ドライバーの所属先はロータス、ラルース、ティレル、ミナルディ、ジョーダン、B.A.R(前身はティレル)、ザウバー、アルファタウリ(前身はミナルディ)などで、そのほとんどが小規模なチームや数年後にF1活動を休止したチームだった。
在籍した年に優勝したマシンのステアリングを握ることができたのは、わずか2人。
76年に星野一義が乗ったティレルと、87年に中嶋悟が駆ったロータスだけ。
しかも、そのとき優勝したのはジョディ・シェクターとアイルトン・セナという後にチャンピオンとなる逸材だったことを考えると、同じシーズンに星野と中嶋が勝つのは容易なことではなかった。
日本人にも優勝できるマシンに乗るチャンスがなかったわけではない。
佐藤琢磨が所属していたB.A.Rをホンダが買収した06年だ。
しかし、ホンダはドライバーのラインアップから琢磨を外した。
するとその年のハンガリーGPでホンダが優勝。移籍したスーパーアグリのモーターホームでホンダを祝福する琢磨の表情はいまも忘れられない。
その3年後の09年には、トヨタが勝てるポテンシャルがあるマシンを有していた。
しかし、トヨタが育成していた小林可夢偉にチャンスは与えられず、テストドライバーとしてシーズンを終えようとしていた。
そんな矢先、レギュラードライバーのティモ・グロックが事故で負傷。
可夢偉は残り2戦でF1に出場し、印象的な走りを披露した。
いよいよ日本人がF1で勝てる時が訪れるかと思ったが、トヨタは09年限りでF1から撤退し、またもチャンスは失われた。
角田裕毅の現状と可能性
そして、角田だ。
ホンダとレッドブルによって育成された角田は、21年にアルファタウリからF1にデビュー。
しかし、その21年限りでホンダはF1からの撤退を表明。ホンダはレッドブルとアルファタウリ(現・レーシングブルズ)のためにパワーユニットを製造し続けたが、両者の関係に微妙な風が吹き始める。
撤退発表から2年後の23年、ホンダはレッドブルと袂を分かち、26年からF1に復帰することを発表。
それにより、レッドブルが積極的に角田を起用する理由はなくなった。
24年末にレッドブルを離脱したセルジオ・ペレスのシートを角田が得られなかった理由はホンダとレッドブルの関係性だけではないが、ホンダが21年に撤退せずレッドブルとともにF1で成功し続けていれば、角田にはいまとは違う未来が待っていたかもしれない。
いまF1に再びジャパン・パワーが到来しようとしている。
ホンダは26年からアストンマーティンと組んでF1に復帰。
トヨタは世界一速いクルマに乗るというドライバーの夢をサポートすることを正式に表明し、昨年からハースと業務提携を開始した。
F1を去った琢磨と可夢偉は、その後それぞれインディ500とル・マン24時間を制した。日本人がF1で勝てない理由はない。
ネットの声
「角田は歴代の日本人ドライバーの中で最も勝利に近い実力を持っているけど、トップチームが獲得に乗り出す程ではないというのが正直なところ。
昇格争いで敗れたのはドライバーとしての実力以外の部分が大きかったけど、新たにホンダとタッグを組むアストンマーチンから声がかかるような存在に成長できれば、結果はついてくると思います。」「ドイツだって、突然ミハエル・シューマッハが出てきた。日本にだってモータースポーツと全く縁が無いが、とてつもない才能を持った人が眠ってるのかもしれない。自動車メーカーが本気で支援をすれば必ず現れると思う。日本人が優勝する所を早く見たいですね。」
「F1って幸運で勝てる方が珍しい競技だから、良いマシンに乗れなきゃそもそも勝てるチャンスが殆どない。モータースポーツで見ると佐藤琢磨のインディ500を二度優勝という快挙があるんだからそっちをもっと注目してあげて欲しい。」