「ハングオフ」現在のライディングスタイルはケニー・ロバーツから始まった!

膝擦り、足だし、肘擦り、肩擦り…ライディングの常識を塗り替えた「キング・ケニー」に始まるグランプリの革命児の系譜

ロードレース世界選手権が始まって77年目を迎える。

この間、多くの世界チャンピオンが誕生し、その名を歴史に刻んだ。

中でも飛び抜けた記録を持つライダーとしては、1960年代、70年代に大活躍し、史上最多優勝、最多タイトル獲得記録を持つジャコモ・アゴスチーニを筆頭に、00年代にアゴスチーニに迫る数々の大記録を打ち立てたバレンティーノ・ロッシ、史上最年少記録やシーズン最多優勝記録を更新し、現在も現役で活躍するマルク・マルケスらがいる。

スリックタイヤの登場でスピード域が高まる

とりわけロッシとマルケスに共通しているのは、そうした記録だけではなく後世に引き継がれるライディング革命を起こしたこと。

そして、ライディング革命という点で忘れられないのは、1970年代から80年代にかけてグランプリ界に旋風を巻き起こしたアメリカ人のケニー・ロバーツだ。

ロバーツを語る前に、彼が登場する以前のレースの状況を説明する必要がある。

ライディングの変遷には、バイクはもちろんのことレーシングスーツやヘルメットなどの装備、さらにサーキットの安全性などレースを取り巻く環境が大きく様変わりしてきたことも大きく関係する。

この35年の間にもさまざまな分野で技術革新があった。

その中でもっとも大きな変化といえるのは、ミシュランが最初に開発したスリックタイヤの登場ではないだろうか。

スリックタイヤ以前のタイヤは溝付きで、ドライでもウエットでもほぼ同じタイヤでレースをしており、勝敗を左右するのはエンジンパワーにほかならなかった。

溝がなくグリップ力が格段に高いスリックタイヤは1970年代に初めてF1で登場。

続いて2輪グランプリにも投入され、それに伴いスピード域も高くなった。

グランプリ史上最大の革命児

70年代以降はドライコンディションではスリックタイヤが主流となり、それにつれてホイールも変化。

リム&スポークタイプからダイキャスト製となり、タイヤはチューブレスに。

サイズも幅広くなり、エンジンの速さだけではなく、コーナーリングスピードを競う時代に突入していく。

そんな時代にライディングに革命を起こしたのがケニー・ロバーツ(78?80年の500ccチャンピオン)だった。

コーナーではシートから腰をずらし、マシンを傾ける側の膝を路面に擦って走る。

それまではシートに座った状態でコーナーリングしていたが、コーナーに入るときに下半身をスパッと移動させる。

切り返しの多いコーナーではスパスパッという感じで身体を移動させる「ハングオフ」というライディングをロバーツがグランプリに浸透させ、そのライディングはまたたくまにスタンダードとなる。

ヨーロッパ勢中心だったレース界にアメリカンが大旋風を巻き起こし、圧倒的な強さを発揮したロバーツは「キング・ケニー」と呼ばれるようになった(なお、ロバーツが編み出した走りはマシンからぶら下がるという意味で「ハングオフ」が正しい。だが、いつからなのか、日本では「ハングオン」という名称が一般的になっている)。

キング・ケニーのハングオフはグランプリ76年の歴史の中でもっとも革命的だったが、それに続く革命といえるのが、2000年代終盤にバレンティーノ・ロッシが編み出した足だし走法だ。

いまだに「ハングオフ」的な名称はないのは、モトクロスやダートトラックでは普通のライディングだからなのだろうが、ロードレースで足をステップから外す行為は革新的だった。

ロッシがこの走りをするようになったのは09年。

当時、大流行したこの走りを真似るライダーに、ロッシが「1回1ユーロもらおうかな」と笑わせたのは、有名な話である。

この足だし走法の効果は、ブレーキングの際にリアに荷重を残し、よりハードなブレーキングを可能にすること。

ロッシが足をだし始めたのは、MotoGPマシンの電子制御が進化してアクセルワークの差が出にくくなり、ライダーの技量差が出る最大のポイントがブレーキングになったためでもある。

今ではハングオフと同様にロードレース界のスタンダードとなっている。

直近の革新的ライディングといえば、13年からMotoGPクラスに参戦するマルク・マルケスの肘擦り走法である。

それ以前からタイヤのグリップとマシン制御の進化によってバイクのバンク角は深まるばかりであったが、ついに当たりまえに肘を擦る時代になったかとレースファンは衝撃を受けた。

誰にも真似できないマルケスのライディング

マルケスの肘擦り走法は現在ではすべてのライダーの間でスタンダードになっているが、マルケスには誰にも真似できない凄さがある。

それは転倒寸前のアクシデントを回避するアクロバティックなライディング。

類い希な身体能力の高さから生まれる動きを再現できるライダーはいまだに現れていない。

ちなみにマルケスがデビューした翌年にMotoGPクラスに参戦したスコット・レディングは、肘だけではなく、長身を武器に肩(二の腕)を擦って走り話題になった。

その後、ホルヘ・ロレンソ、ファビオ・クアルタラロ、ホルヘ・マルティンなども肩(二の腕)を擦るようになり、カメラマンたちにとって絶好のシャッターチャンスとなっている。

この数年はエアロの進化がMotoGPマシンの流行となっていて、ライダーに求められるのは以前のようにバイクを積極的にコントロールすることでなく、スムーズに乗ることになった。

ホンダ時代、バイクを激しくコントロールしていたマルケスが、ドゥカティに乗り換えてからはスムーズなライディングに変化したことがそれを象徴している。

今年はドゥカティ・ワークスに移籍。マルケスは最強マシンで7回目のタイトル獲得を目指すことになる。

レギュレーションの制約はあれど、オートバイの変化はとどまることがない。

果たしてこの先生まれる新しいライディングとはどんな革新をもたらすだろうか。まもなく開幕する2025年シーズンを楽しみにしたい。

ネットの声

「ライダースクラブの写真が綺麗で穴が開くほど眺めていたので、なぜか映像で見た気になっていました、当時はビデオも普及前でめったに映像にお目にかかれる機会が無かったけれども、その分憧れは強かったように思います。映像で初めてケニーの流れるような美しい走りを見た時には衝撃を受けました。」

「ケニーがハングオフをWGPに持ち込んだというのは誤り。
彼の登場以前、少なくとも60年代にはハングオフで走るライダーはいた。
例えば日本人の片山義美さんもWGPでハングオフで走っていることが写真に残っているし、アゴスティーニやバリー・シーンも70年代にはハングオフで走っている。
ハングオフは60~70年代にかけて同時多発的に浸透していったと考える。
ハングオフ=ケニーの言説が広まったのは、ケニーの圧倒的な速さによるものでその理由はハングオフそのものよりも、ダート出身のケニーによる滑るマシンを前に進める走り方の方が大きい。」

「ケニーはWGPデビューは26歳と遅く活動期間は6年と短い。後半はパラ4からV4への転換が上手くいかずに苦しんでた。それを考えれば驚異的な成績。」

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