科学をテーマにしているYouTubeチャンネルSciShowのStefan Chin氏。

パンデミックの教訓となるアウトブレイクの事例6つをまとめた分かりやすいムービーを公開しています。


英語ですが…

1:ワンパノアグ族の大量死(17世紀)

ワンパノアグ族とは、アメリカの北東部にあるマサチューセッツ州に住むインディアン部族の1つです。

1616~1619年の間に、ワンパノアグ族の多くの集落が滅び、17世紀初頭には2万人ほどいたとされるワンパノアグ族の30~90%が病死するという大惨事が起きました。

当時の報告書によると、犠牲者には皮膚の黄変、発熱、激しい鼻血などが見られたとのこと。

Chin氏によると、この症状の原因として天然痘、インフルエンザ、黄熱などが疑われましたが、どれも当てはまらなかったとのことです。

そんな中、ワンパノアグ族を死に追いやった原因として有力視されているのが「レプトスピラ症」です。

これは、スピロヘータというコイル状の形をした細菌の一種が原因となって引き起こされる病気です。

レプトスピラ症のアウトブレイクが発生した原因は、ネズミの尿です。

この地域の土壌は酸性で遺体が残りにくいため、ワンパノアグ族の遺体を調べて原因を特定することはできませんでした。

しかし、当時の人々は「はだしでの散歩や水浴び」などを行っていたとされていることから、ネズミの尿で汚染された土や水に接触する機会は多かったと推測されています。

熱帯の地域では比較的よく見られるレプトスピラ症。

「今後気候変動によりこれまで流行しなかった地域でもアウトブレイクが発生すると危惧されています」とChin氏は指摘しています。

2:ココリツトリ・エピデミック(16世紀)

ココリツトリ(cocoliztli)とは、アステカ帝国で使われていたナワトル語で害虫や疫病を意味する言葉です。

ココリツトリの流行により、メキシコの先住民の80%にあたる1500万人がわずか3年間で命を落としました。

最初のココリツトリが落ち着いてからも疫病は繰り返し発生。

最終的に2500万人いたメキシコ先住民は100万人にまで減少してしまいました。

ココリツトリの主な症状は、発熱、腹痛、舌の黒変、黒い尿などです。

犠牲者らの多くは発症から3~4日で息を引き取りました。

原因の1つとしては、ハンタウイルスが考えられています。

遺骨から回収したDNAからパラチフス熱の原因となるサルモネラ菌の一種の痕跡が見つかっており、これが原因だという見方もあります。

現代でも、パラチフス熱や同じくサルモネラ菌の一種によって引き起こされる腸チフスにより世界で年間20万人以上が命を落としています。

3:ユスティニアヌスのペスト(6世紀)

541~542年にかけて、東ローマ帝国の首都であったコンスタンティノープルで大規模な疫病が発生しました。

この病は、時の皇帝ユスティニアヌス1世にちなんで、「ユスティニアヌスのペスト」と呼ばれています。

コンスタンティノープルの住民は妄想、発熱、股間や脇の下の腫れなどの症状に苦しみ、死者数は1日当たり5000~1万人にのぼったと見られています。

当初はコンスタンティノープルで局所的に流行したに過ぎませんでした。

やがて疫病は地中海沿岸の地域などに広く拡大し、パンデミックへと発展していったのです。

最終的に終息するまでには25年の歳月を要し、その間の死者は5000万人以上にのぼったことから、人類史上最悪のパンデミックの1つに数えられています。

当時の遺体のDNAを解析した2013年の研究では、ペスト菌の痕跡が発見されました。

「つまり、ユスティニアヌスのペスト(Justinian Plague)はただのペスト(just the plague)だったというわけです」とChin氏。

ただし、14世紀のヨーロッパを襲い「黒死病」とも呼ばれたペストとユスティニアヌスのペストとでは、ペスト菌の株が異なることも分かっています。

ペストは近年でも中国やアメリカなどをはじめとする世界各地で報告されており、決して過去の疫病ではありません。

4:アントニヌスの疫病(2世紀)

疫病に悩まされた皇帝はユスティニアヌス1世だけではありません。

第16代ローマ皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌスの時代にも、疫病が発生しています。

これは、165年にメソポタミアに遠征していたローマ兵が持ち帰ったものだと考えられています。

ギリシアの医学者ガレノスによって記された、最古の医療記録の1つとされている資料によると、

主な症状は発熱性の血便、水疱性の発疹、皮膚の膿疱(のうほう)などです。

疫病はヨーロッパ、アジア、アフリカ北部などにまん延し、1000万人の死者を出したとされています。

ガレノスの報告の内容に合致するのは、麻疹(はしか)と天然痘です。

ただし、麻疹の原因となるウイルスとその近縁種である牛痘ウイルスを比較した結果、

2つのウイルスが共通の祖先から枝分かれしたのは11世紀か12世紀頃である可能性が高いことが判明しています。

そのため、2世紀ごろには麻疹はまだ存在していなかったとする考えが大勢を占めているとのこと。

もう1つの候補である天然痘はすでに根絶されたため、その脅威は過去のものです。

しかし、この疫病の被害により貿易や経済が落ち込んだことがローマ帝国滅亡の遠因になったもいわれていることから、

アントニヌスの疫病は現代のパンデミック対策を考える上でも重要な教訓となります。

5:アテネの疫病(紀元前5世紀)

ヨーロッパで最も古い疫病の事例の1つがアテネの疫病です。

アフリカで発生した疫病だと推測されていますが、古代アテナイをはじめとする地域での被害が大きかったことからこの名前が付けられました。

古代アテナイの歴史家トゥキディデスによると、

この疫病の主な症状は発熱、目の充血、舌や喉からの出血、潰瘍などです。

わずか5年でアテナイの人口の25%にあたる10万人が死亡したとのこと。

2006年に発表されたとある研究では、腸チフス熱が原因だと示唆する解析結果が得られましたが、はっきりとしたことは分かりませんでした。

続く2015年の研究では、エボラウイルスによって引き起こされるエボラ出血熱が疫病の正体である可能性が指摘されましたが、これも推測の域を出ません。

明確な結論が出ないのは、ウイルスが持つRNAはDNAよりも崩壊しやすいため、ウイルスがいた証拠を突き止めることが難しいことに起因しています。

しかし、4500年前の遺物から人間がB型肝炎ウイルスに感染していた痕跡が見つかったという事例も報告されています。

このことから、技術の発展によりアテネの疫病の原因を特定することも可能になるかもしれません。

また、トゥキディデスは「不安やパニックがまん延しアテナイが無法状態に陥った」という記録も残しており、

社会学的にも重要な事例だといえます。

6:新石器時代の衰退(紀元前4000年)

最後の1つは最も古く、そして謎に包まれている事例です。

数千年前に農耕が始まると、現代のルーマニアやウクライナにあたる地域では巨大集落が形成されるようになりました。

しかし、この地に栄えた人々は、紀元前4000~3000年の間に突然姿を消してしまいます。

巨大集落の建物の中には、明らかに建設途中で放棄されたようなものもあり、この現象は「新石器時代の衰退」と呼ばれています。

有力な仮説の1つが、人口が急激に増加した影響で環境資源が激減、その結果人類の数が減少したというものです。

また、大規模な戦争が原因だとする説も唱えられています。

そして、最近新たに浮上したのがペストが原因だとする説です。

紀元前3000年ごろの集団墓地の遺体から採取されたDNAを解析した2018年の研究では、実際に、ペスト菌の痕跡が見つかっています。

このことから、研究者らは紀元前数千年前にもペストが大流行したのではないかと推測しています。

これが事実だった場合、「ユスティニアヌスのペスト」の記録を大きく塗り替える世界最古のペストの記録だということになります。

Chin氏は

「これらの古い記録を掘り起こすのは恐ろしい気もしますが、過去の疫病を調べることはその原因を突き止める絶好の機会です。そして、疫病の原因が分かれば、どのようにしてそれを乗り越えられるかも明らかになります」

と話しています。

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