当時は過酷だった…今陽子が「ピンキーとキラーズ」時代を語る

今陽子「ピンキーとキラーズ」当時あまりの過酷さに仕事を放り出し「全員で逃げたことがある」

今陽子(73)が5月17日放送のFm yokohamaの「ハートフルラジオ 虫の知らせ」(土曜 後7・00)に出演。

68年に「恋の季節」を歌い大ヒットした「ピンキーとキラーズ」時代の過酷な日常を明かした。

睡眠時間は1日1、2時間

パーソナリティーの榊原郁恵から「寝る時間、本当になかったらしいですね」と聞かれた今陽子は、睡眠時間を「取れて1、2時間」と語り、

「そのまま続行もあったから、1日って24時間だけど、私にとって1日30時間くらいだった」と明かした。

みんなで逃げた!?

さらに「当時は10代は8時に帰らなきゃいけないとかルールがないから。私は16歳でクラブ、キャバレー、それから夜中にCM撮影とかするわけ。それで朝6時か7時に松竹の撮影所に行って映画を撮って、お昼くらいから歌番組の溜め録りを、1日大体20本くらい。恋の季節ばっかり20本くらい溜め録りして、夜は生放送の歌番組に行くの。だから、仕事、仕事、仕事。歌って、歌って、歌ってって感じだった」と語った。

そんな過酷なスケジュールが続き、

とうとう「17歳くらいの時、全員で、マネージャーも運転手もバンドボーイもみんなで一斉に仕事をおっぽり出して逃げたことがある」と明かした。

10時間寝れた

12、3人がバラバラに逃げたが、「ちょっとドジな人がいて、本名だったか芸名だったかでホテルに泊まっちゃって。そこからパッパっと」わずか1日で見つかってしまったという。

それでも、今陽子はマネジャーと、ジョージ浜野とともに「熱海の旅館に逃げていた」とし、

本当は「3、4日は休みたいなあと思っていたけど、でも布団部屋で10時間寝れたから、すごい休めました」と語った。

また、世間も同情してくれたと振り返っていた。

ネットの声

「上記に加えてオリジナルTVドラマの収録までされていましたね。アニメ怪物くんの時間帯でしたから期待も高かったでしょう。
「私たちの独立国を作る」という破天荒なテーマでしたけど、やりたい事は何でもやってやろうという高度成長期の情熱にあふれた芸能活動でもありましたね。」

「当時のメンバーで今は亡きパンチョ加賀美さんも2日間寝ずに仕事を頑張っていたとか!仕事、労働を通り越して、グループに誇りを持っていたのでしょうね。“ピンキーとキラーズ”の名を亡くなったメンバーに代わって末永く語り継いでいって下さい。」

「昭和は生放送の歌番組が多かったから人気者はとんでもないスケジュールで仕事をさせられてたな。
しかも薄給で。
でも携帯もネットもない時代だから逃げようと思えばそんなに難しくなかったような気もする。
それでもみんな仕事をやり切ってたんだから真面目だったんだろうな。」

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