
果たしてマリリンの身に何が起こったか…マリリンがケネディ大統領へバースデーソング歌う本編映像『マリリン・モンロー 私の愛しかた』
セクシーアイコンとして一世を風靡したマリリン・モンローの孤独な幼少期からハリウッドスターとして活躍。
人生の苦悩と挑戦を、多くの関係者からのインタビューを交えて描くドキュメンタリー映画『マリリン・モンロー 私の愛しかた』(5月30日公開)。
秘密の関係が噂されていたジョン・F・ケネディ大統領の誕生祝賀会で、「Happy Birthday, Mr. President」を歌うマリリン・モンローの本編映像が解禁となった。
目次
“マリリンが最後に重要な公の場に姿を現した機会”本編映像解禁
20世紀を代表する歴史的シーンの一つであるジョン・F・ケネディ大統領の45歳の誕生祝賀会は、
彼の誕生日より10日ほど早い1962年5月19日にニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで開催された。
著名人を含む15,000人以上の人が参加したこのイベントで、
最も注目を集めたのが2500個ものラインストーンがちりばめられたあの“伝説”のドレスを身にまとって登場したマリリン・モンロー。
以前から二人の関係がメディアで取り上げられていた中での親密さを匂わせるパフォーマンスだったことだけなく、
このイベントの2ヶ月半後の8月4日(翌5日に死亡確認)にマリリンが謎の死をとげたことで、
TVで全国放送されたこの歌唱は、マリリンが最後に重要な公の場に姿を現した機会となり、多くの人々の記憶に焼き付けられることになった。
精神的に不安定になっていた
今回解禁となった本編映像では、マリリンの里親の娘ナンシー・ボーレンダーが、
当時、精神的に不安定になっていたマリリンの様子を振り返るインタビューから始まり、
舞台上で「Happy Birthday Mr. President(大統領、お誕生日おめでとう)」を妖艶に歌うマリリンの姿が映し出される。
そして、マリリンの終焉の幕開けを暗示するかのように、シークレットサービスからマリリンとの連絡を絶つようにケネディ大統領が忠告されたことが明かされる。
厚化粧で遠くのファンにも見えるように
イベントに出るためにメイクをするマリリンを見たプロデューサーが「そこまで厚化粧しなくてもいいのでは?」と心配すると、
「これは近くにいる報道陣のためではなくて、数ブロック先にいるファンのためなの」と答えたそうだ。
マリリンはどんな写真が報道陣に撮られるかではなく、遠くで待ってくれているファンの目に少しでも印象強く見えるように考え、行動していたのだ。
そんなマリリンの想いはファンに届き、主役に抜擢された『ナイアガラ』(1953年)が公開されると、
他のスターに寄せられるファンレターの総数を上回るほどの手紙が届き、映画スタジオ関係者を驚かせた。
その後、『紳士は金髪がお好き』(1953年)や『百万長者と結婚する方法』(1953年)といった話題作へ出演し、ハリウッドのスターダムを駆け上がっていった。
果たしてマリリンの身に何が起こったのか!
大統領の誕生祝賀会に参加する頃のマリリンが抱えていた精神的ストレスや、永遠の謎とされる彼女の死に至るまでの考察は、
映画「マリリン・モンロー 私の愛しかた」(5月30日公開)で明かされる。