
東京都内で数日前、三宅雪子元衆院議員(54)の遺体が見つかっていたことが捜査関係者への取材で6日分かりました。
状況から自殺の線が濃厚なようです。警視庁が経緯を調べています。
電話は繋がらず…
噂が先行した今回のニュースです。
ツイッターなどで公開されている携帯電話番号は1月6日16時時点でつながらず、留守番電話設定となっています。
代表を務めるとされる都内の企業にもJ-CASTニュースが電話したのですが、やはり留守番電話の自動応答が流れるばかりだったそうです。
捜査関係者によると、遺体が発見されたのは今年に入ってからということです。この部分も曖昧です…。
小沢ガールズとして
内閣官房長官などを務めた政治家の石田博英氏を祖父に、外交官の三宅和助氏を父に持ちます(いずれも故人)。
フジテレビでは報道局記者などを務めました。
三宅氏は小沢一郎氏の後押しで2009年の衆院選に民主党(当時)から群馬4区に出馬。
福田康夫元首相を相手に小選挙区では惜敗したものの、政権交代の波に乗る形で、比例区復活で初当選を果たします。
小沢氏に近い女性議員ら、いわゆる「小沢ガールズ」の代表格として注目されるようになったのです。
その後「国民の生活が第一」を経て日本未来の党に参加。12年は衆院千葉4区に出馬しましたが落選。
転倒事件で有名に
2010年5月、衆院内閣委員会での採決をめぐり起きたもみあいの中、転倒し負傷します。
この際、自民党の甘利明議員に押された、と主張し論争となりました。
当時のJ-CASTニュースの記事によれば、転倒の瞬間を収めた動画がYouTubeで100万回以上再生。
やっぱ三宅雪子と聞くと思い出すのはこれだよね。こんなのが議員だったんだもんなぁ
よくわかる三宅議員転倒映像 https://t.co/ox1o7bXhEt— なー (@Na_sun) January 6, 2020
騒動を揶揄したTシャツが作成されたりするなど、ネット上の話題を集めたのです。
政界再編劇では小沢氏と行動をともにし、国民の生活が第一、日本未来の党、生活の党に参加。
2012年衆院選、2013年参院選にそれぞれ出馬しますがいずれも落選します。
その後、周囲とのトラブルを理由に生活の党を離れたのです。
ルポライター・インタビュアーとして精力的に活動
離党後も政治活動を続ける一方、「ルポライター」の肩書きで日刊ゲンダイなどに寄稿。
またYouTubeなどで識者へのインタビュー動画を配信しています。
近年はジャーナリズムでの活躍が目立っていました。
死の直前となる2019年12月に入っても、野党による合同ヒアリングにその姿があります。
YouTubeでは12月27日、弁護士の嶋崎量氏へのインタビューを投稿していて、これが最新の更新となってしまいました。
議員時代から日々発言を続けていたのがツイッター。
フォロワー数は6万人を超えます。
ツイッターでは、各メディアの記事に感想や、持論をつぶやくことも多かったのです。
あるときには、J-CASTニュースに掲載されたある記事の筆者に直接コンタクトがあり、激励の意を伝えられたこともありました。
最後のツイッター投稿は12月30日で、取り組んでいる裁判傍聴や、政界の動向への見解などに加え、腰痛など持病への不安や、周囲への感謝などが入り混じっています。
最後のツイートは、自身の父が登場する書籍の一部分を映した写真とともに、「P82に父が紹介されています」とつぶやくものでした。
ネットの反応
「わざと転んでケガをしたフリをした印象が強くて、昨年は石野卓球にツイッターで絡もうとして逆にコテンパンにされたような…でもね、死ぬほど思いつめていたのならもうそれ以上悪く言う気にはなれないのですよ。お悔やみを申し上げます」
「この人、議会中に、御自分でこけて、大怪我?をし、甘利議員から突き飛ばされたと嘘をついたおかしな人だよね。録画があったから、甘利議員の冤罪が晴れた。そして、車椅子と松葉杖で登場。しかし、怪我をした足の設定を忘れて、足を組んだ残念な人。」
「本来、まったく政治とは無縁のタイプの人が、政治に足を踏み込んだばかりに、自己表現の方向性を見失ったまま世間から遠ざかりました。うつ病だったのでしょうか。甘利さんに突き飛ばされた演技や、けがをして大げさに車椅子で国会に入る姿だけが印象に残るのは不本意だったでしょう。」
自作自演というよりも他作自演だったのでしょう。誰からの指示だったのか…今では闇の中です。ご冥福をお祈り申し上げます。