昔の女性の生理事情はどうだったの?

江戸時代の女性たちは生理にどのように対処していたのか?今とは違う事情も

女性であれば嫌でも付き合っていかなければいけない「生理」。

毎月やってくる生理が苦痛で苦痛で仕方ない、という方も少なくないのではないでしょうか?

現代では、ナプキンやタンポン以外にも色々な選択肢が増えてきました。

しかし、そのような生理用品がなかった江戸時代に、女性たちはどのように生理に対処していたのでしょうか。

調べてみると、今とは異なる事情も見えてきました。

生理のときには「お馬」を使う!?

現代のようなナプキンがなかった江戸時代、女性たちは生理になると、前垂れがあるふんどしのような布を使っていたそうです。

そして、この布が馬の顔に似ているということから「お馬」なんて呼ばれたとか。

そして、その「お馬」のなかにぼろ布や浅草紙(使用済みの和紙。現代でいう再生紙のようなもの)を入れてあてていたとか。

農村部では天然素材の使用も

上記のような浅草紙は、都市部では使うことができたものの、農村部では事情が違いました。

紙は貴重だったため、その代わりに綿やススキの穂といった天然素材を使っていたそうです。

そもそも、生理の事情が今と少し違う?

上記のとおり、色々な手段があったことがわかります。

しかし、当時の生理事情は、今とは少し違うところもあったようです。

というのも、まず、江戸時代は人々の栄養状態がそれほど良くなかったため、女の子が初潮を迎える時期は、おおよそ15歳ごろだったそうです。

そして、最初に妊娠するのも10代の終わりごろと早いこと、生涯に産む子どもの数も多かったこと、そして平均寿命も50歳以下だったことなどから、実際に生理がない期間が多かったと言われています。

出血のコントロールも!?

生涯における生理回数の他にも違いがあり、江戸時代の女性たちは出血のコントロールもできていたと言われています。

それは、今と違う生活様式で、着物を着てすり足のような歩き方をしていたことから、筋肉が発達しており、膣を締めて出血のコントロールをしていたというのです。



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