もうあかんわ日記 岸田奈美(著) ライツ社 (2021/5/31) 1,650円

父は他界

弟はダウン症

母は車いすユーザー、からのコロナ禍に生死をさまよう大手術

間におじいちゃんの葬式が挟まって

ついには、おばあちゃんに異変が

残された長女(作家)にすべてのタスクは託された

次々におそいかかる「もうあかんわ」なラインナップ

なのにどうして、こんなに面白い文章が出来上がってしまうのか

読んでる側はいったいなんで、こんなに救われてしまうのか!?

【人生は、一人で抱え込めば悲劇だが、人に語って笑わせれば喜劇だ】

3月10日から4月15日までの岸田奈美のnoteに書かれた、泣けて笑える祈りの日々

放った言葉を本人の手で見事に体現した、読後、拍手喝采のエッセイです

<3/10 岸田奈美のnoteより>

現代社会が抱える闇の全部盛りが、かっぱ寿司のすし特急に飛び乗ってやってきた。

チャップリンは「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ」と言った。

わたしことナミップリンは「人生は、一人で抱え込めば悲劇だが、人に語って笑わせれば喜劇だ」と言いたい。

悲劇は、他人ごとなら抜群におもしろいのだ。

ユーモアがあれば、絶望に落っこちない。

常々そう思っていたけど、気づいたのは、ユーモアは当事者に向けるものじゃない。

悲劇を喜劇に変えるためのユーモアは、そこにいない聞き手、つまり第三者にしか向けられないものなのだ。

理不尽なこの日々を、こうやって笑い飛ばしてもらえたら、わたしはそれで救われる。

同情も憐憫もほしくない。

やるべきことも全部わかっているので、家に来て手伝ってほしいわけでもない。

ただ、笑ってほしい。

だって、このストレスフルな時間も、心のどこかでわたしは「たしかにしんどいけど、これはこれで、おもしろいよな」って思っているのだ。

そういう明るい自分を、わたしは見失いたくない。

でも、このままやったら、もうあかんわ。

そんなわけで、前置きが長くなりましたが、読者さんにお願いがあります。

今日から母が退院して落ち着くまで、毎日21時に、noteで日記を書きます。

時間のある人は、どうか、読んでいってください。

読んでくれる人がいるだけで、わたしは、語る意味があります。

悲劇をわたしがnoteで書けば書くほど、喜劇になっていきます。

タイトルは「もうあかんわ日記」です。

もうあかんので。あかんくなる前に、助けてください。

「もし自分にこれだけのことが押し寄せてきたら「もうあかんわ」なんて言う間もなく潰れていただろうことを考えると、当時、日記として毎日発信し続けられた岸田さんを、それだけで尊敬してしまう。内容はけして軽くないのに、軽く読めてしまう。なんなら笑える。いつの間にか、岸田家を応援したくなってしまう。この方、いつか朝ドラになったら良いのに。」

「ほんまに「もうあかん」ことを日記にしてるんやろうけど、幾度となくわろてまうエッセイ。大変なんやろうけど、気にせず笑えてしまうのは作品から伝わってくる岸田さんの人柄によるものだと感じました。自分より大変なのにみたいな気持ちはわいてこんくて、自分も辛いことあるけど笑い話にしたいなって思いました。」

「これだけあかんことが続いたら、確かに誰かに笑ってもらうしかやってられない。奈美ちゃんは文才あって、読まずにいられない。」


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