ねずみ男の流儀~現代を生きぬく処世術とは…

故水木しげる氏が生み出したキャラクター「ゲゲゲの鬼太郎」。

幽霊族の末裔で、自分自身も妖怪でありながら人間の側に立って人ならざる者と戦うのです。

妖怪は日本の原風景

妖怪の寿命は人間よりはるかに長いそうですが、この鬼太郎もまた、半世紀以上に渡って長く愛されてきました。

いえ、鬼太郎だけではありません。水木氏が創作した「鬼太郎」のキャラたちは、ほとんど「日本の原風景」といっていいほど深く受容されてきました。

ある歳から上の人間ならば、誰もが一度は鬼太郎の父「目玉おやじ」の、甲高い声のモノマネをしたことがあるはずです。

ただ…、「鬼太郎」のキャラの中でも「ねずみ男」だけは苦手という人は多いのではないでしょうか。

なんといっても彼はかっこ悪い。

まず平気でウソをつきます。

金の匂いがすると「怪奇現象研究家」や「鬼太郎のマネージャー」を名乗り、しゃしゃり出てくるのです。

しかし行動力はあるわりに視野が狭く、目先の利益しか考えないからいつも失敗ばかり…。

読んでいる本のタイトルは「努力せずに金を儲ける方法」で、鬼太郎をあきれさせたこともあります。

子どもたちはヒーローに憧れるもの。

子どもたちにとってねずみ男は、正直、あこがれる要素ゼロのキャラクターだったのです。

大人だからこそ共感できる生き様

しかし第一期アニメーションの放送がはじまってすでに50年以上。

いつしか大人になった子どもたち(現在は大人…)がふと気がつくと、ねずみ男の生き様がまぶしく感じられるのです。

彼の姿が目に染みるといったほうがいいでしょうか。

「努力をせずに、お金を儲けたい」。

当たり前じゃないか!誰が彼の欲望を否定できるものか! 

実はねずみ男は、人間と妖怪のハーフ。

妖怪からすれば彼は人間であり、人間からはあくまで妖怪と見られるのです。

どこにも寄る辺のない存在なのです。

どちらのコミュニテイからも爪弾きにされる。

そうした彼にとって信じられるものはおのれの才覚だけ。

目先の利益だけを追い求める刹那的な生き方をするのも、これは無理もないことだったのです。

お金で釣られると「親友」の鬼太郎を平気で裏切ってみせるのですが、ひとつにはギリギリのところで「これなら鬼太郎も大丈夫だろう」と計算しているのかもしれません。

さらに深読みすれば、もしかすると名門「幽霊族の末裔」という出自の鬼太郎に、本人さえ気がついてない心の奥底で、反発するものがあるのかもしれません。

一方、彼と同じく、底辺から成り上がった妖怪には、意外なほど深い共感を見せることもあります(もっともその妖怪はこの点も彼と同じで、ねずみ男をあっさりと裏切るのですが…)。

地を這い泥をすすり、儲け話には飛びつく。

裏切ってはヘタを打ち、結局、鬼太郎に助けてもらう。

そして、ねこ娘におしおきされる。

かっこいい要素はみじんもありません。

しかしその姿は、あまりにもあまりにも「人間」らしいのです。

そんな彼がいてくれるからこそ、私のようなダメな男でも、この世間の片すみにいていいんだ、と感じられます。

逆に、黒でも白でもない、ねずみ色の男。

こういう男の存在が許されない社会は、ずいぶんと息が詰まることでしょう。

現代社会を渡り歩く妖怪・ねずみ男

それに、彼のかっこいいところがまったくのゼロというわけではありません。

第1期アニメの放送は1968年。

そこから2019年に放送が終わった第6期まで、ねこ娘の姿が変化してきたことは有名です。

個人的には、「ねこ娘は5期派」といった人が多いのも興味深いところ。

最新の第6期の八頭身美少女で、ふだんはクールな彼女のデレる姿もすごく人気があります。

しかし時代への対応ならば、ねずみ男も負けてはいないのです。

第1期のころは、インチキ新興宗教の教祖になったりしていた彼が、現在ではスマホを持ち、動画配信者やインフルエンサーをプロデュース。

ネット通販も手掛け、仮想通貨の投資にまで手を出しています。

やはり現代で「楽をして儲けたい」となると、ネット方面に目が向くのでしょうか。

このたくましさは、見習いたいところです。

また、好きになってしまった女性のためには、どんなに泥くさくても尽くすところもある。

その純情さは泣けます。

アニメーション第6期は、かつてのような環境問題に加えて、大事なテーマとして「自分と違う存在も否定しない」多様性の問題を扱っています。

さらに、リアルの実感の希薄さ、SNSを通した憎悪の加速など、現代ならではの課題が描かれているのです。

シリアスな状況を娯楽作品の中でいかに描くか。

自分自身が多様性の具現者であるねずみ男は、間違いなく作品のキーパーソンとして存在感を放っています。

人間社会にとけこむ日本の妖怪たち

「アンダーワールド」というアメリカの映画シリーズでは、ヴァンパイアと狼男の一族の、永遠の戦いが描かれます。

かっこいい。

しかしこれを日本に置き換えて「鬼族と天狗族が昔から争ってきました」と言われても、どこか牧歌的で燃えないのです。

貴族的な西洋妖怪とくらべて日本の妖怪は庶民的(実際、西洋妖怪が攻めてきたときに「ダサい」と悪口をいわれたこともあります)。

砂かけばばあや一反木綿はもとより、子なきじじいとか、小豆洗いとか、ただ豆腐を運ぶだけの妖怪とか、怖いんだか、怖くないんだかよくわかりません。

ですがそれこそが彼らの魅力で、ときに人間社会に溶け込んだり、馴染もうと苦労したり、はたまた承認欲求に取り憑かれたりして、とても親しみやすい存在です。

もちろん人間を支配しようとするスケールの大きい妖怪もいますが、彼らもまた、ただ残忍なだけではないのです。

小説版だけのダークストーリー

見た目から面白いのが、水木氏の描いた「妖怪ワールド」の凄みです。

しかし文字表現でも「鬼太郎」の世界は面白い。

第6期アニメーションの脚本家の人たちが中心となって参加する「小説 ゲゲゲの鬼太郎」シリーズが刊行されているます。

小説ならではの細かい心理描写にも、妖怪たちは意外なほど馴染みがいいです。

3月刊の第二集「朱の音」では5編を収録。

小説 ゲゲゲの鬼太郎 ~朱の音~ 限定版 (講談社キャラクター文庫)
水木 しげる, 東映アニメーション, 大野木 寛, 金月 龍之介, 市川 十億衛門, 永富 大地
講談社 (2020-03-25)
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妖怪の棲み家が異界であるならば、現代ではオンラインという異世界もある。

そこでの危ない「異文化接触」を描いた「怨ライン奇譚」。

もう私得、池袋を支配するボスを相手にねずみ男が立ち回る「ねずみ男ハードボイルド」。

アニメーション制作陣の姿勢がほの見える点でも興味深いメタフィクションの傑作「怪物マチコミ」。

いわれてみれば彼の名はM。

最初期から登場する吸血鬼ラ・セーヌの、「下僕」視点で描く「Mと呼ばれた男 ラ・セーヌ外伝」。

児童虐待。あまりに悲しい社会の状況に踏み込んだもうひとつの物語「陰摩羅鬼ー外伝」。

幕あいに登場する「鬼太郎の『だから言ったじゃないか』シリーズ」もとても楽しいです。

限定版では、「喪服ヴァージョン」のねこ娘フィギュアが付属。

「ねこ娘は5期派」の人も「なるほどこれは!」と、それぞれの妖怪アンテナに感じるものがあるかもしれません。

第6期アニメーションを見て伝わってくるのは

「この世界に少しでもよいメッセージを」
「どんな人が見ても楽しいものを」

という姿勢。

「そんなことは当たり前じゃないか」と思われるかもしれませんが、これがなかなか難しいのです。

小説版からも、みなさんの思いが伝わってきます。

第6期のファンも。

そしてもちろん鬼太郎や妖怪のファンも。誰が読んでもきっと面白い。そう感じます。

ネットの反応

「猫姉さん…最初ビジュアルが公開された時ドン引きしたけど今じゃぁよかったと思ってる。今の世界観に合ってるし、ストーリーも完全に人間よりじゃない話になってるのがよかった闇落ちも結構あるし。昔からねずみ男は欲望の塊みたいな表現をされているし半分人間だからそういった部分を強く出しているのかもしれない。第3期から定着したぬらりひょんが妖怪の総大将みたいな扱いも時代に合わせて変わってきたのだから。これからまた50年どんな鬼太郎が描かれるのか、水木先生もなくなって、50年前の連載やアニメを見てきた世代もどんどんなくなっていって作品だけが残る。まさに妖怪だ」

「ねずみ男と両津勘吉って似ているような気がする。ともあれ、今期の鬼太郎、素晴らしかったですね。次回で終わりとか、まだ受け入れられないでいます。」

「記事読みながら、テレビで、夏休みの宿題代行とか、就活生の塾とかが都会では仕事になる。とかやってたな、と思い出した。芸能人の闇営業もそうじゃん。五輪関係者にしろ、今回の騒動でしみじみわかった。みんなねずみ男と一緒ね。」

年齢を重ねるほど、ねずみ男に共感する大人は多いと思います。子どものころは諸悪の根源のように思えてたんですけどね。

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