ただの懐古趣味じゃない! 1964年誕生「初代シルビア」が今でも全然色あせないワケ

1964年の第11回東京モーターショーに参考出品された日産のダットサン・クーペ1500。

半年後にニッサン・シルビアとして発売されるこの1台は、今でも色あせない魅力を放ち続けています。

世界に通用するデザインの誕生

日産シルビア。コンパクトかつスタイリッシュなボディフォルムは今見ても古さをほとんど感じさせない。エッジの効いたボディラインがスパルタンかつ美しい。ボディ細部のディテールの仕上げ工作が素晴らしいカスタムメイドテイストにあふれた1台である

ほとんどの日本車が、デザイン的にモノマネの域を脱することができないでいた時代。

海外の優秀なセンスを導入することで国際的に通用するデザインを獲得したクルマが存在しました。

それが初代日産シルビアです。

1964(昭和39)年の第11回東京モーターショー。

日産はダットサン・クーペ1500という名の2シータースポーツクーペをショーモデルとして参考出品しました。

当時、日本の自動車業界では海外のコピーのようなデザインから一歩脱却することを目的に、海外のデザイナーに内外のデザインを依頼したモデルが次々と登場してショーを賑わせていたのですが、この作品こそは「より良いデザイン」という命題に対する日産の解答に他なりませんでした。

1964年当時、日産が持っていた唯一のスポーツカーであるSP310ことフェアレディ1500のシャシーコンポーネンツを流用。

スペシャルボディを架装することで具体化されたダットサン・クーペ1500は、発表から半年後の翌1965年3月にニッサン・シルビアとして発売されました。

シャープでクリーンなボディスタイルはショーモデルそのままであり、変更点はメカニカルコンポーネンツがショーモデルのフェアレディ1500から、5月に発売が予定されていたSP311ことフェアレディ1600用に強化されていたことでした。

このことは、CSP311という型式名にも表れていたのです。

製作は「ほぼハンドメイド」

これらのことから分かることは、ニッサン・シルビアはショーモデル、すなわちダットサン・クーペ1500の段階から、すでに市販化をハッキリと想定していたということに他なりません。

そうでなければ、ワンオフのショーモデルから半年で市販車に仕上げることなど、不可能だったはずです。

ニッサン・シルビアのボディ・デザインは、主にBMWのスポーツクーペのデザインを手掛けていたアルブレヒト・ゲルツの作にインスパイアされた日産社内によるものと伝えられています。

ボディ製作については、オリジナルデザインをしっかりと踏襲するために特にディテール部の仕上げに留意されており、製作はほぼハンドメイドで行われたとも言われています。

その結果、シルビアのボディは、1960年代の市販車としては抜群の完成度の高さを誇ることとなったのです。

具体的にいうと、それはいわゆるドアとボディ、ボンネットフードとボディといった開口部と可動部のチリの相具合や各部の立て付けの良さ、そして表面仕上げの良さに他ならず。

少なくともボディの工作精度の高さでは、国産最優秀という客観的評価を獲得することができたのです。

このことをさらに具体的に検証してみましょう。

抜群のボディ剛性を誇る1台に

今、あらためてシルビアのボディを入念に観察すると、ウインドー、ドア、ボンネット、トランクの各開口部を除けば、メインキャビンとフロントフェンダーとの間や、前後バンパー下といった部分に継ぎ目が全くないことに驚かされます。

もちろんこれらは別に1ピースで成型されていたわけではなく、それぞれを組み立てた後に継ぎ目をパテやハンダで埋め、磨き上げた上で塗装していたというもの。

その結果、シルビアはオープン2シータースポーツカーがベースでありながら、抜群のボディ剛性の高さを誇ることとなったのです。

これは、ボディ剛性というクルマの総合性能に強く影響を及ぼす要素が、今ほど声高に語られることがなかった時代のエピソードです。

シルビアのパワーユニットは、SP311ことフェアレディ1600に先行するものとして、1.6リッターのOHVユニットをSUツインキャブレター他によって最高出力を90hpに高めた仕様が選択されました。

駆動系はポルシェタイプのサーボシンクロを備えた、クロスレシオ4速マニュアルという、スポーツカーらしいスペックです。

サスペンションはフロントにダブルウィッシュボーン/コイル、リアにリーフ・リジッドというもの。

前輪にはディスクブレーキが装着されていたものの、フェアレディ譲りのラダーフレームと合わせて極めてオーソドックスだったのです。

ボディデザインとそのシルエットは、立体物の角をナイフで削ぎ落としたかのような、アグレッシブさとともに新時代のテイストを感じるものでしたが、メカニカルな部分は英国風そのものだったといっていいでしょう。

現代も色あせない美しさの理由

一方、インテリアに目を向けると、そこはイタリアンテイストにあふれた豪華な世界だったのが特徴です。

インパネ & ダッシュボードはブラック。対してセンターコンソールやドア内張り、さらにはシートをクリーム色と、2色でコーディネートしていた当たりは、イタリア製GTそのものといっても良かったのです。

ダイヤモンドをカットしたかのようなエッジの効いた魅力的なスタイルに上品なインテリアを兼ね備えたニッサン・シルビア。

120万円という当時の2リッタークラス最上級セダンを上回る価格と固有のエレガントさを武器に、いわゆるフラッグシップとは異なるイメージリーダーとしての役割をしっかりと果たしました。

ただしそのボディ内外から受ける女性的な印象とは裏腹に、ドライバーに与える印象はフェアレディそのままのワイルドなものだったということは、あまり知られていない事実だったのです。

固いサスペンションに荒々しいエンジン、もちろんパワーステアリングもオートマチックミッションも設定はなく、そのドライビング感覚はテイストにあふれたオシャレなものというよりは、古典的なスポーツカーのそれに近いものがありました。

ニッサン・シルビアは、1965(昭和40)年3月から1970年までに544台が手作り同然に生産されました。

その間マイナーチェンジは特になく、最初から最後まで注文生産状態にあったといっても過言ではありません。

その美しさは現代の評価基準に照らしても、決して色あせてはいないのです。

ネットの声

「自家用車がまだまだ普及していない時代、この車は、本革シートなど、内装にもこだわった、とにかく贅沢な車だった。ゴールドの品川シングルナンバーを見させてもらったが、ボディの立体感が素晴らしい。現代の車からするとかなり小さいが、存在感ある一台だと思う。」

「60年代までの日本車のフロントグリルは金属製で、シンプルかつ上品なデザインだった。それが70年代に入るとプラスチック製に代わり、デザインの自由度も増す。すると、何を表現したいのかサッパリ分からない、複雑極まる造形のフロントグリルへと変貌する。各社、個性を競い合っていたつもりかも知れないが、フロントグリルばかりに拘っても高が知れていて、何とも安っぽいデザインに見えて仕方がなかった。時代は繰り返すのか、現代の大型ワンボックスカーのデザインも前車の轍を踏んでいる気がしてならない。」

「ワイパーが今と比べて逆向きなのも製造終了まで変わらなかったのでしょうか。冬場に雪が窓ガラスに圧縮して付着しても信号待ちに手を伸ばして少し落とせる右側とは違って左側は降りないと落とせなかった・・なんて話はなかなか聞かれなかったものでしょうか。」



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