
野村克也さんが迷うことなくナンバー1と認めた選手とは…担当記者が振り返る人情派ノムさん
2月11日に虚血性心不全のため84歳で死去した野村克也さんがヤクルトの監督となった1990年、担当していた先輩記者がデスク業務となり、シーズン途中から“なんちゃって担当”として監督に引っついた記者の野村さんの思い出です。
勉強になることばかり
「お~怖っ! 報知は巨人のスパイだからな」と報知記者の洗礼を浴びながらも、玉川田園調布の自宅に何度も足を運んでいると、なんとか自慢のベントレーにも乗せてもらえるまでになったそうです。
「昨日の6回裏のノーアウト2塁の場面、作戦はあれこれ何通りある。カウントによって作戦はいくつ絞られる」とか。
カウントによっての球の絞り方や、打者のクセとか野球のイロハを惜しげもなく教えてもらったのです。
ベンチでも教育は続きます。
試合前の練習中に監督が「おい、捕手向きと投手向きの選手の見分け方が分かるか」といって、ボールをベンチ前に転がしたのです。
「投手はボールを拾わない。拾ったら投手失格だ。逆に捕手は拾う。常に周囲に目配せしていないと務まらないからな」と。
まさに川崎、内藤といった投手陣はボールを無視してベンチに引き上げ、新人だった古田はボールを拾ってカゴに戻したのです。
恐るべき慧眼。
監督には「なるほど」と思わせられることばかりだったそうです。
池永が一番
1対1で話が出来るようになった時に「監督、今までいろんな投手と対決したり、キャッチャーで球を受けたと思いますが、誰が一番でした?」と聞いたことがありました。
あまりに直球過ぎる質問だったが迷うことなく「池永(正明)だ」と言い切ったそうです。
「尾崎(行雄)も速かった。稲尾はシュートもコントロールも良かった。金(田正一)さんのカーブとストレートもね、いい投手はいたけど、池永よ。今でこそ桑田(真澄)や斎藤(雅樹)とかバッティングもすごい投手はおるけど、池永は投げても打っても走っても超一流なんや」
と力説したのです。
さらにそのすごみを続けます。
「オールスターでバッテリーを組んだ時に『急に四球出すかもしれませんが、気にせんといて下さい』と言ってきよった。1アウト取って急に制球を乱して四球連発や。で、満塁になったんかな。次のバッターの初球が真ん中寄りの甘い球や。アカンと思ったら球1個分キュって曲がって6―4―3のゲッツーや」
「なんであんないい球があるのに投げないんだ」
「野村さん、球宴はお祭りですよ。盛り上げないと」
その時に底知れない才能を感じたというのです。
サッチー大好き
沙知代さんがマスコミで“鬼嫁”としてバッシングを受けている時に「なぜ、沙知代さんと結婚したんですか」と失礼な質問をしたことも…。
今思うと冷や汗ものですが、監督はしばらく沈黙後に
「世間でどうこう言われても、やっぱり、俺のことを最優先で考えてくれるのよ。それが身にしみて分かるからね」
と真面目な顔で答えてくれたのです。
あまり触れられたくないことにも真摯に受け止めてくれるのは、やはりサービス精神が旺盛というよりも人情派なのですね。
今でも鮮烈に覚えていることがあるそう。
90年のドラフト会議が行われたホテルで、当時のジャイアンツの藤田元司監督を見つけると、某新聞社の担当記者を連れてつかつかと掛け寄って
「こいつ、来年から巨人の担当になります。いい奴ですから、よろしくお願いします」と。
いきなり頭を下げられた藤田さんが面食らっていたのです。
とにかく面倒見がいい。
記者も野球部から文化部に移動になった時にあいさつに行ったそうです。
「お世話になりました。これから芸能やります」
「お前向きやな。餞別いるか」
「じゃあ、監督が趣味で集めている時計、いらなくなったロレックスでお願いします」
「お前も面白い事言うね。じゃあ探しておくわ」
数年後、紅白歌合戦でゲスト審査員で監督が出演した時に再会。
「監督、お久しぶりです。で、ロレックスはどうなりました」
「えっ、そんな約束したかの~」
茶目っ気たっぷりな監督の顔があったそうです。
ネットの反応
「池永正明さんのオールスター戦に於ける防御率は0.00。投球回数が15回以上の投手の中では唯一の記録らしい。野村克也さんの死も惜しまれるが、これから全盛期を迎えようとしていた23歳の池永さんを野球選手としての死に追い込んだ永久追放の処分は、その後のプロ野球選手の不祥事の際の処分に比べて、厳し過ぎる処分だった。」
「高校時代は、下関商業のエースとして、2年生で甲子園に春夏連続で出場し、まず春に優勝しましたね。春夏連覇まであと一歩のところで、春の初戦で対戦した明星(大阪)にリベンジされました。当時の西鉄ライオンズでも活躍されましたが、あの「黒い霧事件」さえなかったらとも思います。」
「池永さんの「野村さん、球宴はお祭りですよ。盛り上げないと」の一言。ジャイアンツの堀内恒夫さんも同じようなことを言っていましたね。ただ堀内さんの場合は表でそう言っておきながら日本シリーズを見越してある球種をオールスターでパ・リーグのバッターに好きなように打たせておいて、シリーズの勝負どころでその球種を微妙に変化させて相手バッターをカモにするための布石を打つしたたかさがあった。」
池永はオールスターでは無双のピッチングだったんですが、シーズンは勝ち数は多かったんですが、負け数も多いんですよ。当時のパリーグはそんな感じで、オールスターにみんな力を発揮してたんでしょうね。