
元中日監督で野球解説者の落合博満氏(66)が19日放送のMBS「戦え!スポーツ内閣」にVTR出演。
2月11日に虚血性心不全のため亡くなった野村克也さん(享年84)を「野球がある限り、語り継がれていく人」と悼みました。
二人とも3冠王
野村さんと初めて言葉をかわしたのは、落合氏がロッテでプロとしてスタートを切った1979年6月。
南海で野村さんとプレーし、当時ロッテ打撃コーチを務めていた高畠導宏さんに「初めて会う先輩には挨拶しとけよ」と言われて、西武戦の初打席で野村さんに挨拶をしたというのです。
その時、野村さんは44歳。
大スターの野村氏に「何て挨拶をしていいか分からなかった」。
落合氏は自身が何を言ったのかは記憶に残っていないということですが、野村さんからかけられた「お前が落合か。よく話は聞いているぞ。頑張れよ」という言葉は覚えているそうです。
考え方は違う二人
戦後初の三冠王となった野村さんと三冠王に3度輝いた落合氏。
ともに球界を代表する大打者ですが「バッティングに関する考え方の接点はまるっきり違う」と落合氏は語ります。
「真っ直ぐしか待たない」という落合氏。
野村さんから「変化球が来たらどうする?」と問われ、「変化球は真っ直ぐよりボールが遅いので何とか対応できるように工夫して打ちます」と答えると「お前やっぱりある意味天才だな。俺らみたいな凡人にはわかんない」と言われたといいます。
日本一を経験し“名将”と呼ばれる二人ですが、監督としての考え方も違っていました。
「頭で野球を理解させてから練習をした方が効率がいい」という野村さんの指導論に理解を示しながらも、「体力がなければいくらいいものを教わっても壊れる。だから俺は練習させる。体で覚えてもらう」と落合氏。
「どっちが正しいのかは分からない。でも野村さんも俺の考えも分かるっていうし、俺も野村さんの考えも分かる。けれども、お互いにそれをするかっていえば、恐らくしないんだろうなと思う」と話しました。
一番の思い出は
一番の思い出は、野村さんが阪神監督、落合氏が評論家時代のことだという。
「みんな野村さんのところに行かないんだって、解説者。『お前だけだよ、来てずっと話してくれるのは。俺嫌われてるのかな』って言うから『そういうわけじゃないんでしょうけど』としか言いようがないじゃん」
と振り返った落合氏。
「サブグラウンドで2人で1時間も2時間も…『練習見なくていいんですか?』って聞いたら『見なくたっていい。お前としゃべってる方がいい』と言うから」
とじっくり話をした。
内容は「ほとんど野球の話。野球の話しかしませんよ」と明かし、「本当、野球好きだったんだろうね」と希代の野球人を悼んでいた。
ネットの反応
「独自の理論があるし、素直じゃない感じの落合氏にここまで言わせる人ってそんなにいないと思う。」
「アプローチは違っても結果を残してきた2人、認め合う関係だったんですね。ノムさんは亡くなっちゃったけど、落合氏にはまだまだ日本プロ野球界に貢献して欲しいと思います。」
「落合の中日監督時代にも、監督室に行くマスコミ関係者は阪神退任後のノムさんだけだったそうだ。「野球の話をできるのはノムさんだけ」との落合評。打撃理論は違っても、突き詰めた者同士で通じるものがあるんだろう。」
どちらも一匹狼といった印象です。馬が合ったのでしょうね。