プロ野球の南海、ヤクルト、阪神、楽天で監督を務めた野村克也氏が、11日午前3時30分に死去。

84歳でした。

虚血性心不全だった…

息子の克則氏(現、楽天作戦コーチ)はキャンプ地から戻り、都内の自宅前で対応。

死因は野村氏の妻、沙知代さんと同じ「虚血性心不全」だったと明かしました。

突然の訃報に、克則氏は「正直、急すぎて受け入れられない」と涙をぬぐい、

「午前2時過ぎに電話がかかってきた。ちょっと、様子がおかしいということで、救急車で運ばれまして」

と、振り返っていました。

続けて、

「その後病院の方で懸命に治療していただいたんですけど、死亡が確認されたのは、3時半ですね。死因のほうは虚血性心不全、おふくろと一緒だと」

と明かしたのです。

野球人として、父の背中を追いかけてきた。

「今あるのは父親のおかげ。本当に偉大な存在で、その息子であったことは本当に誇りに思います。残念です」

と語っています。

葬儀は密葬で後日、お別れ会を開くということです。

野村氏の心の支えとなっていた愛妻・沙知代さんは17年12月8日に急逝。

野村氏のショックは大きく、生前に「この2年間で男の弱さを痛感している」、「さみしいね」などと語ってい、あした。

サッチーが大好きだった

野村克也氏は前妻と別居中だった35歳の時に、当時38歳で2人の子供連れだった沙知代さんと出会います。

“愛人騒動”となり、バッシングされたのですが、2人はその後、結婚しました。

野村克也氏は番組の取材に対し、沙知代さんが語った過去の経歴や家庭環境など、「自分の履歴は100%、全部ウソでした」と告白。

それでも沙知代さんを許し、愛したことについて、「いい方に考えりゃ、ウソをついてでも、オレをゲットしたい、ってことでしょ」といつもの“ノムさん節”で語ったのです。

沙知代さんといえば、1996年、衆院選に出馬した際、「コロンビア大学留学」などと経歴を詐称したとして大騒動となったのです。

野村克也氏は、このことについても「ええ格好、したかったんじゃないの」と達観していました。

また、あらためて沙知代さんについて「僕の幸せな人生を支えてくれた助っ人やと思ってます」と愛情たっぷりの言葉で表現していたのです。

「お前は悔しいくらい可愛い」

阪神、日本ハム、メッツ、ジャイアンツで活躍した新庄剛志が11日、前阪神監督・野村克也氏の死去の報を受け、自身のインスタグラムを更新しました。

「俺がそっちに行ったら叩き起こすんでそれまでゆっくり寝ててください 本当に笑顔で有り難うございました」

と“新庄流”の言い回しで恩師との別れを惜しんだのです。

阪神時代の1999~2000年に野村克也氏のもとでプレーした新庄剛志は「#新庄剛志 #野村克也 宇宙人の名付け親」のハッシュタグを付け、野村さんの写真とともに思いを投稿。

「新庄お前はファンに愛されるカッコつけて野球をやればええんや 選手に自由に野球をやりなさいって指導したのはお前だけや お前は悔しいくらい可愛いな最高の言葉有り難うございました」

と、感謝していました。

続けて、

「実は野球の指導を1回しか受けた事がないその一回はボールをしっかり芯でとらえなさいただそれだけでした お前は何番だったら野球を真剣にやってくれるんだ?」

と野村さんから問われ、

「そりゃ4番ですよ」

と答えたエピソードを明かしました。

「次の日から僕を4番に起用し、その年プロ野球人生最高の成績をあげメジャーに行けた」

と、メジャー移籍の理由の1つだったことを紹介している。

さらに、

「ベルサーチいいですよって教えたらずっとベルサーチを着続けてくれた」
「カツノリの性格の良さはプロ野球選手の中でトップ。お父さんお母さんのおかげ」
「俺が死んだ後今度は俺が監督ノムさんが選手で二刀流をさせるその時はキャッチャー新庄」

と野村さんとの思い出を回顧。

最後に

「野村克也という人間に野球人生の終了は1%も無い 俺がそっちに行ったら叩き起こすんでそれまでゆっくり寝ててください 本当に笑顔で有り難うございました また会う日まで野村克也監督」

と、“新庄流”の言い回しで野村さんへの追悼の意を表していました。

ネットの反応

「ノムさんは父親としても良い親だったと思います。野球ファンには心に残る監督でしたね。阪神もヤクルトも楽天もノムさんが基礎を築いて優勝に導いたもの。本当に残念です。お疲れ様でした。」

「選手、指導者、解説者、ユーモアとスパイスの効いたコメンテーター......全部超一流。文字どおり生涯現役のプロ野球人だった。なんか信じられない。心からご冥福を祈りします。」

「野球を良く知っている野球を考え抜いたレジェンド。奥さんの所へ旅立ちましたね。ご冥福をお祈りします。」

あぶさん』に出ていたノムさんが大好きでした。いつかは来ることとはいえ寂しいですね。

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