甲子園で松井秀喜を5連続敬遠した男に何が起こった??

松井秀喜を5敬遠した男、帝京平成大監督を辞任していた 

河野和洋氏、トラブル起こし警察から事情聴取

東都大学野球3部リーグの帝京平成大・河野和洋監督(47)が、9月30日付で大学を依願退職し、監督の座も退いたことが10月5日、分かりました。

9月中に何らかのトラブルを起こし、警察から事情聴取を受けていたということです。

大学側は「一身上の都合で退職したが、それ以上は話せることがない」としています。

7日、日本学生野球協会の審査室会議を経て公表される見込みです。

松井秀喜を5連続敬遠

河野氏は、明徳義塾(高知)の投手として出場した92年夏の甲子園で、星稜(石川)の松井秀喜(元巨人、ヤンキースなど)に対し、5打席連続で敬遠して話題となりました。

13年にはテレビ番組の企画で、現役引退後の松井氏と21年ぶりの1打席限りの対戦が実現。同じ四球に終わり「威圧感が増して怖くなっていました」と話していました。

専大に進学後は外野手として活躍し社会人野球のヤマハや米独立リーグなどでもプレー。

現役引退後の19年に当時、千葉県大学野球2部リーグに所属していた帝京平成大のコーチに就き、同年秋に監督に就任。

今年から東都大学野球リーグに加盟すると、今春は4部での完全優勝に導き3部6位の成蹊大との入れ替え戦を制し今秋から3部に昇格を果たしました。

河野氏の後任は未定ですが、コーチの村松伸哉氏(34)が有力視されています。

米独立リーグでもPLAY

《「松井秀喜のようなバッター育てたい」夢語るも》社会問題にまで発展した星稜・松井秀喜への5打席連続敬遠。

河野氏はのちに「もし敬遠をしていなかったら、僕はごく普通の野球人生を歩んだだろうし…。でも逆に、こんなにいろんな人には出会えなかったでしょうね」と振り返っていました。

明徳義塾卒業後は専大に進学。

専大では元広島の黒田博樹が同期だった。社会人野球を経て米独立リーグへ。

「いつか、松井と同じプロの舞台へ」そんな思いを持ち続けていmさいた。

松井秀喜のようなホームランバッターを育てたい

クラブチーム「千葉熱血MAKING」では監督兼選手として41歳までプレーしました。

チャリティー活動も行い、兼任監督は「1円ももらっていない」とボランティア。

16年の現役引退の際、恩師の明徳義塾・馬淵史郎監督にあいさつすると「お疲れさんだったなあ」と声をかけられたそう。

19年に帝京平成大のコーチに就任した後は「野球人として誰からも愛される、松井秀喜のようなホームランバッターをぜひ育てたい」と夢を語っていました。

ネットの声

「敬遠はベンチの指示に従ったまでで、本人は勝負したかっただろうね。一発喰らったとしても心に残ったと思う。当時5敬遠は非難囂々でしたが、星稜は負けたのだから、何も言えないでしょう。確か星稜の監督が勝負して欲しかったと言ったと思うが、松井なしで勝てない監督に腹が立った記憶がある。まあ、5敬遠も今でも話題になる快挙とも言えましょう。」

「「もし敬遠をしていなかったら、僕はごく普通の野球人生を歩んだだろうし…。」と語っているが、決してそうではないと思う。
高校野球はあくまでも部活であって高校教育の一環。あそこで逃げない選択肢を監督から指示されたら、抑えたら大きな喜びがあり、打たれてもいい思い出となったと思う。何より逃げない清々しさが、彼の人生に良い影響を及ぼしていたかもしれない。」

「東都大学3部リーグの監督が辞任しても、憶測も含めてこれ程までに取り上げられることは無いはず。
敬遠を指示した監督は一瞬、敬遠を指示された投手は一生。余計な報道は控えてもらいたい。」

「失礼ながらこの人が全く世間の人が知らない方なら、何の記事にもならないでしょうが「松井秀喜さんを全打席敬遠した投手」という肩書きがあるだけで、良い事も悪い事も記事にされてしまう部分は少し同情します。しかもご本人は松井さんと勝負したかったそうだが、監督の指示には逆らえなかっただけだから。」

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