還暦過ぎてもまだまだ現役…真田広之とハリウッド

真田広之、ハリウッドで闘い続け20年「やっと一歩」

米国を拠点に活躍する俳優の真田広之(61)が、最新出演作「ブレット・トレイン」(デビッド・リーチ監督)の舞台挨拶などのため来日しました。

監督とは旧知の仲

「ブレット・トレイン」は、米人気俳優、ブラッド・ピットが主演。

原作は、日本の作家、伊坂幸太郎の小説「マリアビートル」です。

東京駅をたち、京都駅に向かって爆走する超高速列車「ゆかり」の中で鉢合わせした殺し屋たちが、壮絶な死闘を繰り広げるアクション映画となっています。

真田は、剣の達人である日本人役として出演し、切れ味鋭い殺陣(たて)で、映画を大いに盛り上げます。

子役をへて「柳生一族の陰謀」(昭和53年、深作欣二監督)で映画デビュー。アクションスターとしてアイドル的な人気を獲得し、「道頓堀川」(57年、深作監督)や「麻雀(マージャン)放浪記」(59年、和田誠監督)などで、演技派としても注目されました。

「ブレット・トレイン」のリーチ監督もアクション俳優から出発。

真田は、リーチ監督がアクション場面全体の責任者を務めた「ウルヴァリン:SAMURAI」(2013年、ジェームズ・マンゴールド監督)で本格的に仕事をともにし、「すばらしいセンスの持ち主」と信頼を寄せています。

「その後、彼が監督として独り立ちしたことを、うれしく思っていました。」

そのリーチ監督から、「出演してほしい」と送られてきたのが「ブレット・トレイン」の脚本だったのです。

ブラピも絶賛

「アクション、笑い、ドラマが良いバランスで描かれていた。これを彼が撮れば、絶対に面白くなる」と快諾したのです。

「好きなようにやってくれ」とリーチ監督。

そこで、2人は、アイデアのキャッチボールをしながら撮影を進めました。

真田が「刀を鞘に収める際、1回、血振りをしたい」と提案すると、

「その血しぶきが主人公のスニーカーにかかるのはどうだろう? ピットの反応が楽しみだ。やってみよう」

とリーチ監督が応じるといったように。

リーチ監督は、ピットとも強い絆で結ばれています。

アクション俳優時代、「ファイト・クラブ」(1999年、デビッド・フィンチャー監督)など、ピットのアクション場面の吹き替えをしばしば務めたのです。

「2人の楽しそうな、息のあった空気感が、スタッフ、出演者に広がり、すばらしいチームワークが生まれたのでしょう」

と真田は振り返ります。

深みのある声。落ち着いた物腰。

来日したピットは、「真田さんのおかげで映画の品格が上がった。真田さんは、この映画の心であり魂でもある」と絶賛を惜しみませんでした。

ピットと真田が超高速列車内で通路を挟んで座り、会話で物語を推し進める場面も見せ場の一つ。

真田は、ピットが、テストのときから、毎回、異なる演技やセリフをぶつけてきた、この場面を撮影の一番の思い出に挙げます。

「実は自分は、まだまだ〝言葉の壁〟を感じているので、彼の演技に対応するのに懸命でした」と意外なこと言っています。

これからも楽しみながら世界と闘っていく

1999年に英ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー公演「リア王」(蜷川幸雄演出)に出演。

「難しさと同時に異文化交流の大切さを教わりました。」

この経験を踏まえて、ハリウッド映画「ラストサムライ」(2003年、エドワード・ズウィック監督)に挑んだのです。

「海外の映画が描く日本の姿に対してずっと疑問を抱いていました」と明かします。

日本人として米国側の日本に関する誤った認識や表現を正すために、「ラストサムライ」の撮影に参加したそう。

「これが最初で最後のハリウッド出演になってもいい」という覚悟をもっていました。

実際、撮影中は意見を述べ続けたそう。

撮影後も米国にとどまり、仕上げ作業にも関わりました。

「闘い続けた結果、彼らも次第に耳を傾けてくれるようになった。」

米国のスタッフは最後には「あなたのこだわりは、私たちが映画を始めた頃の情熱を思い出させてくれた」と真田に感謝の言葉を伝えてきたのです。

「泣きそうになると同時に、〝東西の壁〟をなくしたいという思いが、ますます強くなりました」と2005年から米国に拠点を移しました。

先ごろ、米ドラマ「将軍 SHOGUN」の撮影が終わったそうです。

1980年の米ドラマのリメーク。

真田は、当時、三船敏郎が演じた将軍役を演じました。

そして、プロデューサーとしても名を連ねたのです。

「初めてプロデューサーという権限を得て、日本から大勢のスタッフを連れて行けました。『ラストサムライ』から20年。うがち続けて、少しずつ扉が開き、やっと〝初めの一歩〟を踏み出せました。」

と感慨深く語ります。

浅野忠信や二階堂ふみら日本からも大勢の俳優が出演。

「若い人たちには、高いところに到達した準備をした上で撮影現場に行くんだよと伝えたいです。だからこそ、自分がいまだに冷や汗をかき、もがいていることは語り続けたい」

日本の小説が原作である新作については、「日本らしさを守る〝重し〟として演じました。」

同時に、興行的に成功させ、日本のコンテンツ力を世界に示したいと願っています。

「これからも楽しみながら、世界と闘っていくつもりです。」

サムライのような静かな闘志を燃やし続けているのです。

ネットの声

「真田広広之さんの、仕事に対して真摯に取り組んでいる姿勢が、ハリウッドの門を少しづつ開ける事に繋がっている、という素晴らしいお話。
1982年4月に映画 龍の忍者で、スーパーアクションを披露した翌月に、松坂慶子さんとラブシーンもある映画 道頓堀川が公開された。これらの役を、同じ役者が演じれるのか?という驚きと嘆き 笑 とがあったのを覚えている。真田広之さんが、礎を築いてきたハリウッドへの橋を、若い日本の役者達が、プレッシャーがありながらも、どんどん渡っていってほしい。そして素晴らしい作品を作り、日本に逆輸入という形で劇場公開してほしい。その日は、そう遠くはなさそうな気がします。」

「恩師千葉真一に対し ハリウッドで茨の道を切り拓いてきたパイオニアとして 当然感謝の念を抱いているだろうが、誤った日本人像を演じさせられる JJサニーに対しては 目を伏せたくなることもあったに違いない。
ハリウッドスタッフ達は 毅然とした態度で臨んだ真田さんの中に 真のサムライの姿を見たのかも知れない。」

「本音は真田さんは日本でずっと、素敵な男性を演じてほしかった。それでも自ら選んだ道、海外で働かれても応援しています!」

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