春風亭昇太のトヨタ・パプリカがノスタルジックで良い!

春風亭昇太の愛車は1967年型のトヨタ・パブリカ 幸せな子供の頃にタイムスリップできる! 

クルマはタイムマシンだ!!

昭和41年から始まった長寿番組『笑点』の司会者として、日曜日夕方のお茶の間を和ませている春風亭昇太。

昭和世代を自負する昇太の愛車は当時の街を飾ったものでした。

最初のクルマは赤いミニ

アイボリー・ホワイトの小さなクルマはトヨタ・パブリカ。

オーナーは落語家の春風亭昇太。

トヨタ・パブリカは父が初めて買ったクルマなんですと告げると、「街でそういう風に声を掛けられることはすごく多いです」と、昇太は穏やかに答えていました。

昇太が免許を取ったのは、大学生のとき。

就職するつもりだったので運転免許が必要だと考えたのです。

初めてクルマを買ったのは1993年。

昇太が34歳のときです。

「若手落語家が乗っていても厭味にならないクルマを探しました。先代のミニはガイシャだけど可愛いじゃないですか。それで赤いボディにキャンバス・トップの限定車を新車で買いました」

初めてのマイカーが嬉しくて、師匠である春風亭柳昇さん宅にミニを見せに行ったそう。

「実は入門したときに師匠に“お前、クルマ運転できるか?”って聞かれたんです。当時はおかみさんが師匠のクルマを運転していまして、免許を持っていると答えたら自分が運転することになるかもしれない。自分が師匠を乗せて運転なんて! と考え、免許持ってないんです、と答えたんです。ミニを買ったときは、そんなことはすっかり忘れてて。ミニを見た師匠が“お前、運転免許持ってなかったんじゃないのか?”と。シマッタ! と思い、免許も最近取りましたと、嘘を嘘で固めました」

赤いミニで春風亭柳昇師匠宅へ通うある日、途中の中古車屋で昇太の目を釘付けにしたのが、冒頭のトヨタ・パブリカです。

「赤いミニに乗って3年ぐらいですかね。国産旧車を扱うお店にこれがあったんです。パブリカは昔から好きでした。大衆車だから子供の頃によく見かけたし、カタチも綺麗だという印象がありました」

トヨタ・パブリカに乗った第一印象は「あ! 悪くないな」というものでした。

「ミニも暖気が必要だったし、パワステじゃなかったので、違和感なかったですね。ただ、点検に出すと現代のクルマが代車に来るでしょう? いまのクルマはこんなに運転がしやすいのか! とショックを受けました。それ以来、パブリカを点検に出しても“代車は結構です”と言っています」

昭和のモノが好き

1959年生まれの昇太にとって、クルマとは憧れのものだったそう。

当時のオトーサンが頑張ってギリギリ買えるクルマがトヨタ・パブリカで、昇太はクルマに限らずその時代のものが大好きです。

部屋には真空管ラジオ、真空管アンプのアナログ・ステレオなどがあり、それらを昭和レトロの電傘から漏れる光が照らしているそう。

「なんで好きなのか? と考えたことがあるんです。古いモノと言ったって、アンティークってわけじゃない。ようするに僕が子供の頃のモノなんです。子供の頃のモノに囲まれていると落ち着く。そうか! 僕はその当時幸せだったんだなって」

日本はモノを小さくするのが得意だと昇太は言います。

「まだ日本中が貧しかった昭和40年代、国産メーカーは贅沢な部分を削って削って、頑張れば手にいれることができる大衆車を開発したんだと思うんです。そうやって、パブリカやキャロルやスバル360が生まれた。そういうのが好きなんです」

ひとり座布団の上で語り、聴き手の頭に映像を浮かべる落語も過剰な演出を削ぎ落とした演劇と言えます。

昇太と国産旧車がシンクロするのは、そんなところからきているのかもしれません。

昇太はクルマだけでなく、家電や洋服もすべて日本製にこだわっているのです。

「日本のメーカーってすごいなと思ったのは、10年ほど前にトヨタからパブリカのリコール通知が来たんです。ピンポーン! って家まで来た。僕のパブリカは1967年式。売ってから約40年も経ってるクルマですよ? それに不具合がある可能性があるって。幸い、僕のはなんともなかったですが、リコールすること自体が素晴らしいと思いました」

初代マツダ・キャロル

昇太は子供の頃に人気を博したクルマをもう1台持っています。

初代マツダ・キャロルです。

「近所のオニーサンが持っていて、すごくカッコよかった。ライバルのスバル360も可愛いんですけど、どこかオジサンのイメージなんです。それに対して、クリフカットのボディを持つキャロルは若々しい感じがしてずっと好きでした。人生のなかの1台と聞かれたら、僕は初代マツダ・キャロルですね。パブリカと比べてキャロルはキビキビ走るのも好き。毎日、愛でてます」

休みの日に街をぶらりとドライブするのが愛車との過ごし方だそう。

「僕らの仕事ってオンとオフの境目がユルイんです。オフだと思って飲みに行っても、横のオジサンに声をかけられたら春風亭昇太にならざるを得ない。どんなに酔っていても気が抜けないんです。でも、パブリカに乗っているときだけは完全にオフになれる。夜中にグルグル走っていると、安っぽいカーラジオから“ラジオ深夜便”なんかが流れてくる。薄っぺらい音の昭和歌謡なんか聞きながら、運転するとうっとりします。短い時間ですけど、気持ちの切り替えができる。僕にとってはそれがすごく大事なことなんです」

子供の頃、近所のオニーサンがキャロルでドライブに連れていってくれたこと、そのときの風景なども愛車を運転しながら思いだすそう。

昇太にとってクルマとはなんですか?

「余暇そのものです」

愛車と過ごすオフタイムは、幸せな子供の頃にタイムスリップする時間なのかもしれません。

ネットの声

「60年代の日本車は、まだ貧しいながらも頑張っていれば未来は明るいと思わせる時代の夢がある。戦後の荒廃した中で国民のために切磋琢磨した技術者たちの気持ちが籠もっている。」

「この頃のクルマはミッション車ばかりで、構造も単純だから良く持つね。当方の三菱ミニカもめっちゃ持ちました。最近、電気仕掛けが増えすぎて構造も複雑化し、価格が高い割に燃費も高いからなあw」

「昇太師匠はセンス良いですね♪昔のクルマはタイムマシン…凄く共感しました。私も幼少の頃、父親が乗っていたダルマセリカが懐かしい。あちこち出掛けた昭和の繁華街…今、ダルマさんは欲しいと思っても、もはや高級車の金額…」

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