
SHOW-YA40周年、ライフワーク「NAONのYAON」4月に…寺田恵子「集大成にしたい」
女性5人組ロックバンド、SHOW-YAがデビュー40周年を迎え、活動が勢いづいている。
体力勝負の「100本ライブ」に挑んでいるほか、4月29日には東京・日比谷野外大音楽堂でライフワークとなった女性だけの祭典「NAONのYAON」を開催する。
ボーカルの寺田恵子が意気込みを語った。
目次
女性バンドの先駆け
1985年にメジャーデビューした女性バンドの先駆けだ。
「限界LOVERS」「私は嵐」など次々とヒットを放ったが91年に寺田が脱退し、98年にバンドも解散。
2005年にオリジナルメンバーの5人で再結成して今に至る。
ハードロックのイメージが強いが、実は活動初期はポップスにニューウェーブと、ジャンルをまたいで演奏していた。
メンバーの好みがバラバラだったのに加え、当時は女性バンド自体が珍しく、「自分たちも、レコード会社も、事務所も、どうしていいかわからなかったんじゃないかな」。
女性というだけで「ロックじゃない」と言われた時代もあったというが、1989年の「限界LOVERS」がヒットした頃から風向きが変わってきた。
以降、別の女性バンドも次々と世に出るようになり、「してやったり。一生懸命やれば時代がついてくるという感覚がありました」。
再結成へ
絶頂期に突然、バンドを脱退した理由について寺田は、「売れたことで、逆に孤独感が増した。つらいことがあっても、うわさになるので誰にも言えず、殻に閉じこもっていった」と打ち明ける。
その後、寺田は再結成に向けてメンバー一人ひとりを口説き始め、5年がかりで実現させた。
長く離れていても、「スタジオでドラムのカウントが入った瞬間、全員の気持ちが戻った。やっぱりバンドってすごいと思いました」。
集大成にしたい
昨年8月から決行中の「100 LIVE AGAIN」で全国を巡っている。
元々は88年、米ロサンゼルスからスタートしたイベントで、40周年の節目に再び挑んでいる。
「一本一本、きょうで終わると思ってやっている。もうあす声が出ない、という歌の方が魂がこもる」とアスリートのような覚悟を口にした。
30年以上かけてその名を世に浸透させた「NAONのYAON」は、共に時代を駆けたプリンセス プリンセスから大ベテランの加藤登紀子まで、多様なアーティストが出演してきた。
「今や、みんなが帰ってくる場所になった」と誇りに思っている。
会場は建て替えが決まっており、「集大成にしたい」と語った。
ネットの声
「昨年8月から決行中の「100 LIVE AGAIN」で全国を巡っている。元々は88年、米ロサンゼルスからスタートしたイベントで、40周年の節目に再び挑んでいる。「一本一本、きょうで終わると思ってやっている。もうあす声が出ない、という歌の方が魂がこもる」とアスリートのような覚悟を口にした。
30年以上かけてその名を世に浸透させた「NAONのYAON」は、共に時代を駆けたプリンセス プリンセスから大ベテランの加藤登紀子まで、多様なアーティストが出演してきた。「今や、みんなが帰ってくる場所になった」と誇りに思っている。会場は建て替えが決まっており、「集大成にしたい」と語った。」
「SHOW―YAのライブに行ったことはありませんが、アルバムはよく聴いてました。5人中3人が「ミキ」さんとは初めて知りました。」
「PINK SAPPHIREはインディーズ時代にはハードロック路線だったものの、メジャーデビューに際してポップ路線へ大幅に変更され、それに伴いボーカルが脱退しました。
当時は売れるためにはメジャーレーベルと契約する必要があり、バンドメンバーとレコード会社の方向性が食い違うことも少なくなかったようです。
また、SHOW-YAといえばハードロックのイメージが強いですが、デビュー当初からその路線だったわけではないのは意外です。
現在では、インターネットを通じて楽曲を配信し、ブレークするアーティストも少なくありません。そのため、メジャーレーベルから声が掛かっても、あえてインディーズで活動を続けるアーティストも増えています。」