最初はコミックバンド扱いだった!?サザンが世に出した起死回生の『いとしのエリー』

サザン「いとしのエリー」誕生秘話

暗黙のルールで2作目を失敗でバンド全体の気分が沈み…

サザンオールスターズの桑田佳祐(69)が13日に放送されたTBS系「日曜日の初耳学」(後10・25)の「インタビュアー林修」に出演。

79年にリリースした名曲「いとしのエリー」誕生秘話を語った。

これまでにない楽曲を引っさげてデビュー!

78年に「勝手にシンドバッド」でデビューしたサザンオールスターズ。

2作目に「気分しだいで責めないで」をリリースし、林は「凄い勢いのある曲が続いて『あ、こういう曲を歌うバンドなんだな』と思ってたら…

3曲目であ然としたというか…」と3作目にリリースした「いとしのエリー」に衝撃を受けたことを明かした。

アップテンポでハイテンションな曲から一転、バンドのイメージが激変させたことに「この振り幅っていうのは、これは戦略的だったんですか?」と尋ねた。

桑田は「いやいや。そんなことない」と否定した。

当時について「デビュー曲があのテンポでしょ?1978年当時は“3カ月に1枚シングル出すんだよ”って言われたんですよ。“えぇ!?”と思って。“次作らなきゃダメだよ”って言われた」と振り返った。

コミックバンドみたいな扱いを…

この『暗黙のルール』により2作目を「全然準備してなくて。何か自然に同じようなテンポのようなものを作っちゃった」とした。

すると、「同じような扱いでまたテレビに出ることになって。ちょっとコミカルなことをテレビで求められて。いろいろ…ピアノ線で持ち上げられたり、檻の中で歌ったり」と出演時に奇抜なことを求められた。

それでも「不本意だけど、そこがおかしなもんで…ウケてるみたいだからやっちゃう。我々のような学生バンドカタギは」と拒否できなかった。

そのため「家帰って落ち込む。そのビデオを見ながらやっぱり“檻入って歌ってる…”って」とショックを受けていた。

当時の気持ちを素直に

これは桑田だけでなくメンバーも同様だったようで

「バンドの雰囲気とか“俺たちいつまでこれやればいいんだろうね…”っていう雰囲気になって。みんなの気分がバラードな気持ちになったのかもしれない。だから悲しかったんですよね。“2曲もコミックバンドやっちゃったな”みたいな。当時ね。ああいうテンポの曲もそんなにアマチュア時代やっていなかった」

と明かした。

林が「じゃあ逆に当時の気持ちが素直に表れた曲と」と聞くと、桑田は「そうだと思いますね。落ち込んでないとああいう曲は出て来なかったかもしれない」と振り返った。

ネットの声

「女呼んでブギの1フレーズで歌詞が未だに決まっていない話や、真夏の果実サビ前の「熱い面影が胸に迫る」が、当初は「熱い面影を抱きしめてる」で、レコーディング本番中に即興で変更した当時映像付エピソードなど、とても面白い内容でした。」

「永い歴史のあるバンド故に、こういう興味深いお話ってたくさんあるんだろうな。もっと聞きたいし知りたいな。ぜひとも本にしてまとめてほしいです。」

「3曲とも、ラジオでよく聞いたな。カセットは子供の小遣いじゃなかなか買えなくて。」

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