日本はパンデミックをいかに乗り越えたのか。

100年前のパンデミック・スペイン風邪の教訓。

新型コロナウイルス禍がパンデミックの模様を呈しています。

パニックや流言飛語も相次いでいるのです。

しかしこのようなパンデミックは、20世紀を含め過去に何度も起こり、そして人類はその都度パンデミックを乗り越えてきました。

現在の新型コロナウイルス禍への対策と教訓として、私たちは人類が遭遇した過去のパンデミックから学び取れることは余りにも多いのではないでしょうか

20世紀最悪のパンデミックとされ、世界中で2000万人~4500万人が死亡。

日本国内でも約45万人が死亡した「スペイン風邪」を取り上げてみます。

100年前のパンデミック「スペイン風邪」とは

1918年から1920年までの約2年間、新型ウイルスによるパンデミックが起こりました。

当時の世界人口の3割に当たる5億人が感染。

そのうち2000万人~4500万人が死亡したのがスペイン風邪です。

現在の研究では、そのウイルスはH1N1型と特定されています。

スペイン風邪の発生は、今から約百年前の1918年春。

アメリカ・カンザス州にあるファンストン陸軍基地の兵営からだとされています。

当時は第一次世界大戦の真っ最中で、ドイツ帝国は無制限潜水艦作戦によって中立国だったアメリカの商船を撃沈するに至ります。

このドイツの粗暴な振る舞いがアメリカの参戦を促し、アメリカは欧州に大規模な派遣軍を送ることになるのです。

アメリカの軍隊から発生したとされるスペイン風邪は、こうしてアメリカ軍の欧州派遣によって世界中にばら撒かれることになりました。

当時のパンデミックは、航空機ではなく船舶による人の移動によって、軍隊が駐屯する都市や農村から、その地の民間人に広まっていったのです。

それでは、アメリカから発生したのになぜスペイン風邪という呼称なのか…疑問がわいてきます。

第一次大戦当時、スペインが欧州の中で数少ない中立国であったため、戦時報道管制の外にあったからです。

そのためこの新型ウイルスの感染と惨状が、戦時報道管制から自由なスペイン電として世界中に発信されたからです。

スペインでは800万人がスペイン風邪に感染。

国王アルフォンソ13世や政府関係者も感染しました。

日本では当初「スペインで奇病流行」と報道されています。

「スペイン風邪」日本に上陸

日本でスペイン風邪が確認されたのは1918年。

当時日本が統治中であった台湾に巡業した力士団のうち3人の力士が肺炎等によって死亡。

それが契機とされています。

そののち、同年5月になると、横須賀軍港に停泊中の軍艦に患者が発生し。

横須賀市内から横浜市へと広がりました。

当時、日本の報道でのスペイン風邪の俗称は「流行性感冒」となっています。

日本に於けるスペイン風邪流行は「前流行」と「後流行」の二波に別れるといいます。

「前流行」は1918年の感染拡大。「後流行」は1919年の感染拡大です。

どちらも同じH1N1型のウイルスが原因でしたが、現在の研究では「後流行」の方が致死率が高く、この二つの流行の間にウイルスに変異が生じた可能性もあるということです。

ともあれ、このスペイン風邪によって、最終的に当時の日本内地の総人口約5600万人のうち、0.8%強に当たる45万人が死亡しました。

当時、日本は台湾と朝鮮等を統治していたので、日本統治下全体での死者は0.96%ということです。

1945年、東京大空襲による犠牲者は10万人。日露戦争による戦死者約9万人を考えるとき、この数字が如何に巨大なものかが分かるでしょう。

単純にこの死亡率を現在の日本に当てはめると、120万人が死亡する計算になります。これは大阪市の人口の約半分にあたる数字です。

「スペイン風邪」に当時の政府や自治体はどう対処したのか

肝心なのは当時のパンデミックに日本政府や自治体がどう対応したかです。

結論から言えば、様々な対処を行ったのですが、根本的には無策でした。

なぜならスペイン風邪の病原体であるH1N1型ウイルスは、当時の光学顕微鏡で見ることが出来なかったからです。

人類がウイルスを観測できる電子顕微鏡を開発したのは1930年代。

実際にこのスペイン風邪のウイルスを分離することに成功したのは、流行が終わって15年が過ぎた1935年の出来事だったのです。

つまり当時の人類や日本政府は、スペイン風邪の原因を特定する技術を持ちませんでした。

当時の研究者や医師らは、このパンデミックの原因を「細菌」だと考えていたのですが、実際にはウイルスだったのです。

当時の人類は、まだウイルスに対し全くの無力だったということです。

それでも、政府や自治体が手をこまねいたわけではありません。

内務省の対応

それでは、内務省を中心に当時のパンデミックに対し、公的機関がどう対処していくのかを見てみましょう。

大正8年(1919年)1月、内務省衛生局は一般向けに「流行性感冒予防心得」を出し、一般民衆にスペイン風邪への対処を大々的に呼びかけています。

驚くべきことに、スペイン風邪の原因がウイルスであることすら掴めなかった当時の人々の、未知なる伝染病への対処は、現代の新型コロナ禍における一般的な対処・予防法と驚くほど酷似しているのです。

基本的には「マスク着用」「患者の隔離」など現在の新型コロナ禍に対する対処法と同様の認識を当時の政府が持っていたことが分かります。

そして内務省は警察を通じて、全国でこの手の「衛生講話会」を劇場、寄席、理髪店、銭湯などで上演。

大衆に予防の徹底を呼び掛けています。

またマスク励行のポスターを刷り、全国に配布しました。

マスクの無料配布も一部行われたということですが、現在の新型コロナ禍と全く似ていて、マスクの生産が需要に追い付かなかったようです。

失敗だったのは、内務省が推進した予防接種。

病原体がウイルスであることすら知らない当時の医学は、スペイン風邪の予防に苦肉の策として北里研究所などが開発した予防薬を注射させる方針を採りました。

接種群と未接種群との間で死亡率の乖離を指摘しているのですが、これは現代の医学から考えれば全くの無意味な政策であったのです。

しかし、当時の技術ではそれが限界でした。

100年前も全面休校

各自治体の動きはどうだったのでしょうか。

とりわけ被害が激甚だった神戸市では、市内の幼稚園、小学校、中学校等の全面休校を決めています。

1919年には愛媛県が県として「予防心得」を出しました。

内容は、人ごみに出ない、マスクを着用する、うがいの励行、身体弱者はとりわけ注意することなど、おおむね内務省の「流行性感冒予防心得」を踏襲したものでした。

学校の休校や人込みの禁忌など、これまた現在の状態と重複する部分が多いことがわかります。

そしてこれもまた現在と同じように、各地での集会、興行、力士の巡業、活劇などは続々中止か、または閉鎖されていったのです。

このようにして、日本各地で猛威を振るったスペイン風邪は、1920年が過ぎると自然に鎮静化していきました。

それはなぜでしょうか。

内務省や自治体の方針が有効だったから…というよりも、スペイン風邪を引き起こしたH1N1型ウイルスが、日本の隅々にまで拡大し、もはやそれ以上感染が拡大する限界を迎えたからです。

そしてスペイン風邪にかかり、生き残った人々が免疫抗体を獲得したことが一番の理由です。

つまり、スペイン風邪は突然の嵐のように世界と日本を襲い、そして自然に去っていったというのが実際のところなのです。

ヒト・モノが航空機という、船舶よりも何十倍も速い速度で移動できるようになった現在…新型ウイルスの伝播の速度はスペイン風邪当時とは比較にならないでしょう。

しかし100年前のパンデミックと違うところは、私たちの医学は驚くべきほど進化していることです。

当時、その原因すらわからなかったウイルスを、私たちは直接観察することができます。

なんであれば人工的にウイルスすら制作できる技術力を保有しているのです。

このような状況を考えると、100年前のパンデミックと現在。

採るべき方針はあまり変わらないように思えます。

すなわちウイルスの猛威に対しては防衛的な姿勢を貫き、じっと私たちの免疫がウイルスに打ち勝つのを待つ。

実際にスペイン風邪はそのようにして終息し、日本は内地45万人の死者を出しながら、パンデミックを乗り越えたのです。

ウイルスの存在すら知らなかった当時と違って、現在の私達の社会におけるパンデミックは、伝播速度の違いはあれど集落が全滅したり、火葬場が満杯になったりするという地獄絵図には向かいにくいでしょう。

デマや流言飛語も…

スペイン風邪当時の日本で起こったデマや流言飛語の事例です。

現在ですらも、「57度から60度近いお湯を飲めば予防になる」などの根拠なき民間信仰が闊歩していますが、人間の恐怖の心理は時代を超えて共通しているようです。

曰く、「厄除けの札を貼ったり」、「ネズミを焼いて粉末にした”薬”を飲んだり」したというのです。

とりわけ医学的には無意味な神頼みは尋常ではありませんでした。

例えば現在の兵庫県神戸市須磨区にある多井畑(たいはた)厄除八幡宮では、神戸新聞の報道として、

「善男善女で…非常な賑わいを呈し兵庫電鉄は朝のほどから鮓(すし)詰めの客を乗せて月見山停車場に美しい女も職工さんも爺さんも婆さんも十把ひとからげに吐き出す」

で、駅から神社まではさらに二キロ程度の山道で、社務所が用意した護符は飛ぶように売れたというのです。

当時も現在も、人ごみを避けろと言っておきながら満員電車はOKというダブルスタンダードまで、現在の日本の状況と何ら変わりません。

日本に於けるスペイン風邪の大流行から、私たちは時代を超えた共通項を見出すことが出来ます。

そして人間の心理は、100年を経てもあまり進歩がないという側面をもさらけ出しているようにも思えます。

どうあれ、人類はスペイン風邪を乗り越えていまを生きています。

デマや流言飛語に惑わされず、私たちは常に過去から学び、「スペイン風邪から100年」という節目に現出しそうなパンデミックに泰然自若として対応すべきでしょう。

おすすめの記事