竹野内豊主演、駆逐艦「雪風」を題材にした映画 戦後80年の2025年8月に公開決定
俳優の竹野内豊が主演する映画『雪風 YUKIKAZE』が製作され、ソニー・ピクチャーズ エンタテインメントとバンダイナムコフィルムワークスの共同配給により、来年(2025年)8月に劇場公開されることが発表された。
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無傷で終戦を迎えた
タイトルとなっている「雪風」とは、太平洋戦争中に実在した一隻の駆逐艦(くちくかん)の名。竹野内が演じる「雪風」艦長・寺澤一利を捉えたファースト・カット、そして製作中の本編映像を使用した、壮大なスケール感とヒューマン・ドラマを予感させる超特報が解禁となった。
誰もが知る「大和」や「武蔵」といった戦艦などに比べると、遥かに小型で軽量、高速で小回りの効く駆逐艦は、艦隊の前線に躍り出て魚雷戦を仕掛け、戦いの先陣を切るのが本来の役目だった。
しかし太平洋戦争では、その機動性ゆえに、戦闘及び艦隊護衛に加え、兵員や物資の輸送、上陸支援、沈没艦船の乗員救助などに駆り出され、“海軍一の働きもの”“海の何でも屋”として、数々の過酷な戦場で活躍、そして消耗し、次々と海に沈んでいった。
主力だった甲型駆逐艦38隻のうち、激戦を生き抜き、沈むことなく、ほぼ無傷で終戦を迎えたのは、「雪風」ただ一隻。
その戦いの中でこの艦は、敵の攻撃で海に投げ出された他艦の兵士たちを、時には敵味方関係なく救い続けた。
生きて帰り、生きて還す――それが「雪風」にとって戦う意味だった。
戦後は復員船として活躍
さらに戦後は「復員船」として航海を繰り返し、外地に取り残された人々、約1万3000人を日本に送り返した。
200人強の乗員が、一度にその二倍三倍もの人々を救い、故郷に戻し続けた“縁の下の力持ち”「雪風」。
その後も賠償艦として、連合国側に引き渡され、再び駆逐艦としての役割を果たした。
まさに戦争の後始末を背負い続けたのだ。
そして大阪万国博覧会が開かれた1970年。
日本の戦後復興を見届けるように、その姿は異国の海に消えていった。
本作は、アメリカをはじめとする戦勝国からも讃えられた、伝説の“不沈艦”「雪風」の勇姿を、史実に基づいたフィクションとして甦らせ、太平洋戦争の渦中から戦後、さらに現代へと繋がる激動の時代を背景に、懸命に生き抜いた人々の姿とその運命を、壮大なスケールで描く。
主演の竹野内が演じる「雪風」の艦長・寺澤は、さまざまな資料を基に生み出されたオリジナルキャラクター。
絶えず冷静に指示を下し、時には型破りな判断で激戦をくぐり抜けてみせるリーダーシップと、武士道を信念に携えた、いわゆる一般的な軍人像とは一線を画す、澄み切った人間性を、竹野内が演じ切った。
脚本は長谷川康夫、監督は山田敏久が務めた。今年5月から6月に撮影を終え、現在はポストプロダクション中。
竹野内豊(「雪風」艦長・寺澤一利役)のコメント
戦争を経験していない自分が史実に基づく人物を演じることは、さまざまな不安もありましたが、気を引き締めて役に挑みました。
2025年に日本は終戦80年を迎えます。昨今、残念ながら戦争を身近に感じる時代になり、変わりゆく日本の景色の中で本作が世に送り出されることにも必ず意味があるのだろうと、信じたいです。
平和な未来を築き、美しい日本を守ってゆくには、私達は何を想い、何を大切にしていかなければならないのか。
この映画が一人ひとり、少しでも多くの皆様方の心に届き、考えるきっかけになれば幸いです。
ネットの声
「映画なので、主人公を代える訳にはいかないが、実際の大戦中「雪風」の駆逐艦長は4人が努めている。
戦時中の艦長というのは激務というのと、定期的な人事異動で階級も上がったりする(駆逐艦長はほぼ中佐、戦争末期になると少佐もおられが)から、1年から1年半が大体任期で、3年も4年も務める事はない。
モデルと思われる寺内正道中佐(着任時少佐)駆逐艦長は、マリアナ沖海戦から坊ノ岬沖海戦(大和特攻)時までの、苦しい戦いばかりを経験しているというのもあるだろうね。」「祖父も父も海上自衛官の息子に生まれた私は、祖父から「奇跡の雪風」とか「幸運の雪風」と聞かされてます。
何でも太平洋戦争の激闘の中でも戦死をされた方も少なかったと教えられた記憶が有ります。
それに生まれ育った私の故郷での「雪風」は身近な存在でした。」「楽しみ過ぎる。
軍艦の映画と言えば大和ばかり。
よくぞここに目をつけたと思う。
大和の映画では味わえないスピード感を期待します。
竹野内さんって確か以前は陸軍の指揮官を演じていたと思うけど今度は海軍かあ。」