ユーミンにも落ち目の時があった!?松任谷姓に変えたとき??

松任谷由実 「潮が引くように人気も、動員も落ち…」改名の苦悩吐露 

「荒井由実を絶対超えるんだって」

松任谷由実(68)が9月25日放送のテレビ朝日系音楽バラエティー番組「関ジャム 完全燃SHOW」(日曜後11・00)にVTR出演。

「松任谷由実特集」として、本人への独占インタビューが行われ、松任谷自身が曲や音楽にまつわる様々な質問に答えました。

改名で潮が引くように人気も落ち…

コメントを寄せた人気ロックバンド「King BGnu」の常田大希から、「荒井由実から松任谷由実に変わったことでの変化はあったか」という質問が。

1976年11月に4枚目のアルバム「14番目の月」をリリースし、9日後の11月29日に音楽プロデューサーの松任谷正隆と結婚。

荒井由実から「松任谷由実」に改名しました。

ユーミンは

「自分で言うのもなんなんですけど、すごいブームだったんですよ荒井由実が。結婚した途端、潮が引くように人気も落ち、動員も落ち…逆に開き直って模索しだした。前やってたことは忘れて再出発みたいな気持ちにもなりました」

と回想していました。

荒井由実を絶対超えるんだっていうね

78年に結婚後初のアルバムとなる「紅雀」をリリース。

「結婚して1枚目のアルバムは渋いアルバムだったんですけど、大人の女を目指そうとして。あまり成功したとは言えないんですけど、後で聴いてみると、『なんかこの世界いいな』って思うものもけっこうあります。やっぱりショービズの世界っていうのはまず名前っていうことに気づかされた。松任谷由実になって、地方のポスターに“元”荒井由実って書いてあるんですよ。でも、それがモチベーションにもなりました。音楽的な雰囲気を含めて、荒井由実を絶対超えるんだっていうね。心の底ではずっと思ってました」

と当時の心境を振り返っていました。

充実した80年代

1983年、初の日本武道館公演を開催するなど再ブレークし、「守ってあげたい」が大ヒットを記録しました。

「ヒットは単体で出るものじゃない。裏付けというのかな…兆しというより状況がある上で、ふさわしい曲がリリースされると気が付くという。80年代の声を聴くと、今振り返っても、すごく充実した楽しい時間で。世界のアーティストとか俳優さんを見てても再ブレークって本当にエネルギーが要ることなんですよ。そこがなかったら今はないですね」

としみじみ語っていました。

ネットの声

「つい最近にサブスクで松任谷さんの曲を何時間も流しっぱなしにしたけど、初見でもこれは荒井時代と言い当てられるくらいハッキリと質が違うと思いました。
「ハローマイフレンド」だけ荒井時代だと思ったら松任谷名義で、しかも90年代だったのでビックリしましたが。
松任谷時代の楽曲も同時代のミュージシャンとは格が違うけど、荒井時代は歴史上の日本のミュージシャンと比較してもトップ争いするのではないでしょうか。
結婚やバブルの影響なのか松任谷時代から曲が明るく楽しい世界に変貌しますが、荒井時代は楽しい曲でさえ少し陰りがあって、それが皆を引き付けたり明るさとのギャップで独特の深みを出すのかもしれません。」

「ユーミンだけでなくサザンの桑田さんも全く同じなんだけど、個人的には昔の曲はメロディーがすごく良かった。コード進行が斬新で、切なさを感じる曲も多く、オシャレで今聞いても古さを感じさせない。
両名ともいつからか曲のタイプが変わり万人受けする曲に変わった。
悪くはないけれど、昔の曲の方が何度聞いても飽きがこないしグッとくる。
もちろん、過去の曲の方が・・今の曲の方が・・、良いとか悪いとかではなく、どちらのタイプの曲が好きか・・それぞれの好みですけどね。」

「世代ではないので荒井由実時代は知らないし松任谷由実のヒット曲もリアルタイムでは数曲しか聴いてない。
ただ、リフレインが叫んでるって曲がすごくいい歌だな、今でも流れるくらいだから絶対ヒットしたんだろうなって思ったらそもそもシングル化すらされてない事に驚いた。
シングルじゃなくてもファンに愛されてる曲ってのはあるけど、特別ファンではない人にも知られてる曲ってのはとても珍しい。」

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