「時代は追わない方がいい」ずん飯尾…ブレークの陰にタモリの助言があった

ずん・飯尾 大ブレークの陰に大御所からの助言 忘れないタモリの金言「時代は追わない方が良いって」

お笑いコンビ「ずん」の飯尾和樹(51)が17日、TBS系「サワコの朝」(土曜前7・30)に出演し、ブレークするまでの日々を明かしました。

芸歴は29年

21歳のとき、飛び込みで現所属事務所「浅井企画」に入り、芸歴は29年。

アラフィフの今ではバラエティー、ドラマ、CM出演と引っ張りだこですが、若手の頃は“冬眠生活”だったそうです。

「20代は床ずれが出来るほど寝ていて。冬眠するのは熊だけじゃないんだなって思いました」と飯尾。

「その代わり、同期のキャイ~ンとか先に売れたやつにね、おいしい物をたくさん食べさせてもらいました」

相方は残りもの??

空き家だった母の実家で芸人仲間と共同生活を送っていたが、諸事情で1人減り、2人減り…。

2000年に残った相方・やす(50)とコンビ結成。

飯尾は「浅井企画の在庫品なんですよ。地味さとかいろいろ含めて当時、『リンスとリンスが組んだ』って言われていて。どっちかシャンプーがないと泡立たないだろうって」と、笑いながら回顧していました。

鳴かず飛ばずだった時代、事務所の先輩である関根勤(67)をはじめ、タモリ(75)、明石家さんま(65)など、お笑い界の諸先輩方からいろいろなアドバイスを受けたそうです。

当時を振り返り、「関根さんからは(ずんの)キャッチフレーズは『やってきた高野豆腐』だと。味が染みるまで焦らずじっくりいけって」と飯尾。

関根のバックアップのもと「笑っていいとも!」(フジテレビ系)にコンスタントに出演し、少しずつお茶の間で顔を知られるようになっていったのです。

時代を追うな

「いいとも!」の司会者だったタモリからの助言も忘れません。

「タモリさんからは受けているものや、時代は追わない方が良いって。時代は追ったら絶対に追いつかないからって言われました。自分がおもしろいと思うことを、1つのところでやっていれば良いんだよって」と飯尾。

「そうすればもしかしたら、時代がポーンと会うかもしれないからそれ待ちだって。フィーリングだからって」と、感慨深く振り返っていました。

 

ネットの声

「飯尾さんの素朴な人柄も育ったご家族の影響が大きかったのかなと思いました。いい意味で素直さがあるのかなと感じました。
いろいろな良き先輩からのアドバイスを上手く吸収しているように感じました。多くの先輩からのアドバイスの言葉は自分にとっても言葉が刺さりました。素敵な先輩に囲まれていて少し羨ましいです。飯尾さんを見ていると何だかほっこりします。これからも変に変わらずにいて欲しいなと思います。」

「こういう話を聞くと志村さんを思い出すんですよ。あの人もお笑いに関しては他の事を追わずにコント一筋でしたからね。
いろんなことで志村ロスを実感してしまう…」

「『ロケの名人』と言えば、ずん飯尾さん。気遣いの人でもあります。
番組のスポンサーではないメーカーの飲料水が入っていそうな自販機の前を通る時には、画面に映り込んでこないように、しばし無言で速やかに通り過ぎるという、気の使いよう。画面に登場する際のフレーズも、お得意の『ネタ』もたまりません。『ペッコリ45度。後輩にはマイナス10度。頸動脈どっくん死にそうです。平日の昼間からゴロゴロ~、ゴロゴロ~。あ~あ、HIROさん、俺にも上戸彩さん貸してくれないかなあ。』
そんな飯尾さんですが、爆笑問題の田中さんがコロナに感染し、サンジャポに出演不可能になったあの日、飯尾さんは、自分の持ちギャグを全て封印して、番組アシスタントに徹していました。
本来ならば飯尾さん独特の、いつもの感じでグイグイ行きたいところを、グッと堪えて、『我が我がと出しゃばらない姿』に更に好感を持ちました。」

昔から芸風は変わっていません。時代がポンと合った感じですね。もちろん実力は超一流です。

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