
“学年誌の小学館”と本紙が手を携え、読売KODOMO新聞を発行してから15周年を迎える。
3月3日創刊という節目の直後、日本社会は未曽有の大災害に見舞われた。
東日本大震災である。
巨大地震と津波、そして原発事故は、子供たちの世界にも深い影を落とした。
だが同時に、新聞は「子供のための新聞」として、悲しみの中でも未来へつながる光を探し続けた。
現地の過酷な状況を伝えるだけでなく、全国の子供たちから寄せられた励ましの言葉や絵を掲載し、被災地と読者を結ぶ架け橋になったのである。
子供の言葉は時に大人の論理を超えて、まっすぐに心へ届く。
その無垢な力は、瓦礫の街にも確かに温度をもたらした。
15年という時間は長いようで短い。
あの日に生まれた命が、いま中学卒業という節目を迎えようとしていることが、その時の流れを静かに物語っている。
目次
震災とともに歩んだ子供新聞
創刊直後に震災が起きたことで、読売KODOMO新聞は想定していなかった役割を担うことになった。
それは単なるニュースの解説ではなく、子供たちの心の支えとして機能することである。
災害報道は往々にして数字や被害規模に焦点が当たりがちだが、子供向け媒体では「なぜ起きたのか」「これからどうなるのか」「自分たちはどうすればよいのか」という視点が重視された。
難解な専門用語をかみ砕き、不安を過度にあおらない表現で伝える工夫が求められた。
また、被災地の子供たちの声を直接届けることも大きな意味を持った。
家を失っても友達を思いやる言葉や、将来の夢を語る姿は、読む側の子供たちにも強い印象を残した。
新聞は一方通行ではない。
読者からの手紙やイラストが掲載されることで、紙面は「みんなで作る広場」のような役割を果たした。
離れた場所にいても、同じ時代を生きる仲間がいるという実感は、子供にとって大きな安心材料になる。
震災という暗い出来事の中で、この双方向性は希望の循環を生み出したと言えるだろう。
子供の言葉が持つ力
大人が慎重に選ぶ言葉よりも、子供の率直な一言の方が深く胸に刺さることがある。
「元気でいてください」「また一緒に遊びたいです」という短いメッセージは、飾り気がないからこそ強い。
その純粋さが、被災地の人々に前へ進む力を与えた。
2011年に生まれたもの
来週号の記念紙面では「みんな同い年 2011年生まれ大集合クイズ」という企画が掲載されるという。
震災の年は悲しみの象徴として語られがちだが、同時に多くの新しいものが誕生した年でもある。
象徴的なのが、通信アプリのLINEである。
スマートフォンの普及拡大とともに登場したこのサービスは、電話回線に依存しない連絡手段として震災時に注目された。
回線が混雑して通話できない状況でも、インターネット経由でメッセージを送ることができたからだ。
特に「既読」表示は単なる機能以上の意味を持った。
相手がメッセージを確認したという事実そのものが、安否確認になる。
無事を知らせる小さな印が、離れた家族や友人の心をどれほど軽くしたかは想像に難くない。
交通分野では東北新幹線の新型車両「はやぶさ」が登場し、九州新幹線も全線開通した。
災害で分断された地域がある一方で、日本列島の移動網は確実に広がっていたのである。
また、任天堂の携帯型ゲーム機ニンテンドー3DSも同年に発売された。
裸眼で立体映像を楽しめるという革新的な体験は、子供たちの遊びの世界を大きく変えた。
ご当地キャラブーム
さらに忘れてはならないのが、自治体非公認キャラクター「ふなっしー」に代表されるご当地キャラの台頭である。
ゆるく親しみやすい存在は、疲れた社会に笑顔をもたらした。
悲しみの年に、ユーモアという灯がともったことは象徴的である。
3・11に生まれた命
2011年3月11日という日付は、日本人にとって特別な重みを持つ。
しかし、その同じ日に新しい命も確かに誕生していた。
大地が揺れ、街が混乱する中で産声を上げた赤ちゃんたちの存在は、多くの人に希望を与えた。
「こんな日でも命は生まれる」という事実は、絶望の底に差し込む一筋の光のようだった。
医療関係者は停電や物資不足の中でも懸命に出産を支え、家族は不安と喜びが入り混じる複雑な感情を抱えた。
それでも、赤ちゃんの小さな手は確かに未来を握っていた。
あの日に生まれた子供たちは、災害の記憶とともに成長してきた世代である。
直接の記憶がなくても、家族や社会から語り継がれることで、その出来事は人生の背景となる。
そして来月、その多くが中学卒業という節目を迎える。
制服の袖を通し、新しい道へ踏み出す姿は、復興の時間の長さを静かに示している。
同い年という絆
同じ年に生まれたというだけで、人は不思議な親近感を抱く。
特に2011年生まれの子供たちは、日本社会にとって特別な「同級生」と言える存在かもしれない。
彼らの成長は、そのまま社会が前へ進んできた証でもある。
未来へ続く物語
震災から15年という歳月は、悲しみを消し去るには足りないかもしれない。
しかし、同時に多くの再生と前進をもたらしたことも事実である。
2011年に生まれた子供たちは、悲劇の象徴ではなく、希望の象徴として歩み続けている。
新聞が彼らを「みんな同い年」と呼ぶのは、その存在が社会全体の未来と重なるからだろう。
あの日の記憶を忘れないことと、前を向いて生きることは矛盾しない。
むしろ両方を抱えて進むことこそが、次の世代への責任なのかもしれない。
15年前に始まった物語は、いまも続いている。
そして、その続きを書いていくのは、まさに彼ら自身なのである。

