
岩手県久慈市の詩人・宇部京子さんが著した詩集『ツナミ ばあばの伝言』(銀の鈴社)が、震災から15年の節目に静かな注目を集めています。
東日本大震災が発生したのは2011年3月11日。今年の3月11日で、あの惨事からちょうど15年の月日が流れました。
新たな建物が次々と姿を現す被災地では、街並みが大きく様変わりしています。しかし、残された人々の胸の中には、かつてそこに暮らしていた隣人たちの面影が今もくっきりと刻まれたままです。
宇部さんの詩集は、そんな生存者の心の内を言葉にし、犠牲者への変わらぬ思いを世に伝える一冊として広く受け取られています。
詩の言葉は時に、数字や統計では語りえない現実の重さを鮮やかに映し出すものです。震災15年という節目に、詩を通じてあの日の記憶と向き合ってみましょう。
目次
詩集『ツナミ ばあばの伝言』が語りかけるもの
宇部京子さんは、岩手県久慈市を拠点に活動する詩人です。
今回、新刊詩集『ツナミ ばあばの伝言』(銀の鈴社)を世に送り出しました。
タイトルに込められた「ばあばの伝言」という言葉には、次世代へと語り継ごうとする強い意志が感じられます。
詩集の中に収められた「お弔い」と題する作品は、津波で失われた地域の人々の面影をしのぶ一節で構成されています。
津波のあとの荒野の道を/きょうも トボトボ歩いてる/この道まがれば よっちゃんち/おとなりさんは ちえちゃんち/そのむこうに かじやさん/はすむかいは とうふやさん/みんなみんな きえちゃった
かつて道を曲がれば見えた「よっちゃんち」、隣に住む「ちえちゃんち」、向こうの「かじやさん」、通りを挟んだ「とうふやさん」。どれも実際の町の風景から切り取られたような、生活の温もりを感じさせる名前ばかりです。
それらが「みんなみんな きえちゃった」という一行に収束するとき、読者は言いようのない喪失感に包まれます。
統計の数字では決して伝わらない、一人ひとりの命の重さが、この短い詩の中に宿っているのです。
詩の最後、「お弔い」はこのように結ばれています。
きょうも トボトボお弔い/波の音のするほうへ…見えないけれど お弔い
新しい建物が建ち、道路が整備され、防潮堤がそびえ立つようになっても、残された人々が毎日胸の中で弔い続けているという事実が、このさりげない言葉の中に凝縮されているのです。
「波の音のするほうへ」という表現は、生死の境として厳然と存在し続ける海への複雑な感情を示しているようでもあります。
海は命を奪った場所であると同時に、岩手の人々にとって生活と文化の源でもあり続けてきました。その両義性が詩の中に静かに漂っているのです。
銀の鈴社は神奈川県を拠点とする出版社で、詩集や絵本を数多く手がけてきた実績があります。宇部さんの詩集もそのラインナップの一冊として、震災の記憶を言葉で未来に伝える役割を担っています。
詩が果たす「語り継ぎ」の力
震災の記憶を後世に伝える手段として、写真、映像記録、証言集などさまざまなメディアが存在します。
詩はその中でも、感情の核心に直接触れる力を持つ表現形式です。
宇部さんの作品のように、日常的な固有名詞をちりばめながら失われた生活を描写する詩は、読む者に「もしここが自分の住む町だったら」という想像を促します。それが防災意識の根底にある、他者の痛みへの共感とつながっていくのです。
詩集が次世代へと手渡されることで、震災を直接経験しなかった世代もその記憶の一端に触れることができます。
「ばあばの伝言」というタイトルが示すように、この詩集は世代を超えた語り継ぎを意図した作品でもあります。
東日本大震災15年——数字が示す現実と、続く復興の道
2011年3月11日午後2時46分ごろ、東北沖でマグニチュード9.0の巨大地震が発生しました。
東北の沿岸部を中心に高さ10メートルを超える津波が押し寄せ、壊滅的な被害をもたらしたのです。
さらに福島第一原子力発電所では電源喪失により3基の原子炉でメルトダウンが発生し、大量の放射性物質が放出されるという複合災害となりました。
震災による死者・行方不明者は合わせて2万2,000人以上にのぼります。いまだに多くの方が行方不明のまま、家族のもとに帰れていない現実が続いているのです。
インフラの復旧という面では、一定の進展が見られます。岩手・宮城・福島の3県では防潮堤の整備がほぼ完了し、JR常磐線をはじめとする被災鉄道路線も復旧しました。
しかし、産業の再建は依然として道半ばです。人口流出の進む地域では生活基盤の再建が遅れ、コミュニティの維持そのものが大きな課題となっています。
岩手・宮城・福島——それぞれの15年
被害の実態は県によって異なります。宮城県の死者は9,544人・行方不明者1,213人、岩手県の死者は4,676人・行方不明者1,106人、福島県の死者は1,614人・行方不明者196人という規模です。
岩手県久慈市は、南三陸や釜石ほど壊滅的な被害を受けたわけではありませんが、沿岸部を持つ岩手県の一都市として震災の影響と無縁ではありませんでした。
宇部さんのような地元の詩人が、その地に根差した言葉で震災を詩に刻み続けることは、地域の記憶を守るうえで大きな意味を持ちます。
福島県では、原子力発電所の事故に伴う避難指示が今も一部地域で継続するなど、震災関連の問題は複雑な様相を呈しています。被災者が「復興」を実感できるまでには、まだ長い時間が必要でしょう。
政府・自治体の取り組みと防災庁設置への動き
2026年3月11日の節目にあたり、政府は各地で追悼式を開催しました。午後2時46分には全国で1分間の黙とうが厳かに捧げられたのです。
また政府は、防災政策と復興政策を一体的に所管する「防災庁」を2026年度中に設置する方針を打ち出しています。東日本大震災の教訓を風化させることなく、南海トラフ地震など今後の大規模自然災害に備えるための組織体制を整えることが狙いです。
「事前復興」という考え方も注目を集めています。被災後に復興計画を立てるのではなく、平時のうちから復興への備えを組み込んでおくという発想で、人口減少が続く地域での有効性が特に強調されているのです。
防災の教訓——過去から未来へ、命をつなぐ備え
東日本大震災が残した最大の教訓の一つは、「津波の恐ろしさ」に対する認識の更新です。
震災以前にも、三陸沖での津波被害は歴史上繰り返されてきました。明治三陸地震(1896年)、昭和三陸地震(1933年)、チリ地震津波(1960年)など、岩手・宮城の沿岸部は幾度も大波に飲み込まれてきた歴史があります。
それでも、2011年の震災では多くの命が失われました。「過去の経験が必ずしも次の災害を防ぐとは限らない」という厳しい現実を、改めて突きつけられたかたちです。
ハザードマップの整備、避難経路の確認、防潮堤の建設——こうした取り組みの重要性はいうまでもありません。それと同時に、「状況が変わっても逃げる」という基本的な行動原則を社会全体で共有し続けることが欠かせないのです。
記憶の風化と、語り継ぎの責任
震災から15年が経過し、当時を直接知らない世代が社会の主役になりつつあります。小学生だった子どもが今や20代になり、震災時に生まれていない世代も増えています。
世代交代が進むにつれて、記憶の風化は避けがたい現実として進行していきます。だからこそ、宇部さんのような証言者・記録者の存在が重要になるのです。
詩、写真、映像、証言集、追悼式——あらゆる形式を通じて、震災の記憶を次の世代へと手渡していく営みに、社会全体で取り組む必要があります。
南海トラフ地震への備えとして
東日本大震災の教訓は、次に来るとされる大規模地震への備えにも生かされなければなりません。南海トラフ巨大地震が発生した場合、その被害は東日本大震災をはるかに上回る規模になると予測されています。
「あのとき、もっとこうしていれば」という悔恨が繰り返されないために、今こそ防災への備えを日常の中に組み込んでいくことが求められます。
非常用持ち出し袋の準備、家族間の避難計画の確認、地域の自主防災組織への参加——一人ひとりの小さな備えが、大きな災害時に命を左右するのです。
震災15年の今、私たちに問われるもの
宇部京子さんの詩「お弔い」は、「見えないけれど お弔い」という言葉で締めくくられます。
津波が奪った命は、もうこの世にいません。しかし、生き残った人々の心の中で、亡き隣人たちは「見えないけれど」確かに生き続けています。その思いは、時間が経っても決して薄れることがありません。
東日本大震災から15年という節目は、単なる記念日ではないのです。死者・行方不明者合わせて約2万2,000人以上の命が失われた現実、今もその悲しみを抱えて生きる遺族や被災者の存在、そして復興途上にある地域の現実——これらを改めて見つめ直す機会です。
新しいビルが立ち並び、道路が整備され、街が「きれいになった」としても、そこに刻まれた記憶は消えません。宇部さんの詩はその事実を静かに、しかし確かに伝えてくれます。
忘れないこと、学び続けること、そして備えること——震災が残した重い教訓を風化させることなく、次の世代へと手渡していく責任を、今この瞬間にも問い続けていきたいものです。

