
俳句というと、どこか静謐で近寄りがたい文学のように思われがちです。
しかし、その世界には思わず頬がゆるむような遊び心が満ちています。
俳人・坪内稔典さん、通称「ネンテン先生」は、まさにそんな楽しさの象徴ともいえる存在です。
言葉の偶然や勘違いすらも創作の材料に変えてしまう柔らかな感性は、俳句を子どもの遊び場のように開放してくれます。
今回取り上げるのは、そんなネンテン先生の有名な一句と、そこから連想される不思議で愉快な実験の話です。
茨城県で行われるという「馬の背中で納豆を発酵させる」試みは、まるで昔話と科学が握手したかのような出来事です。
文学と食文化、歴史と実験、そして子ども心。
これらがゆるやかに混ざり合い、どこか童話のような世界を形づくっています。
本記事では、ネンテン先生の句の魅力、誤記から生まれた創作の妙、納豆の起源伝説、そして現代の実証実験までをたどりながら、「楽しい文化の連鎖」について考えてみます。
言葉が笑い、豆が糸を引き、春が近づく――そんなやわらかな時間をお楽しみください。

目次
誤記から生まれたアリスの俳句
ネンテン先生の代表的な一句に、<あちこちにアリスがしゃがむ曼珠沙華>という作品があります。
赤い彼岸花が群れ咲く様子を、まるで童話の登場人物がそこかしこにしゃがみ込んでいるようだと捉えた、幻想的で親しみやすい句です。
しかし、この作品の誕生には思いがけない経緯がありました。
もともとは、大衆的なウイスキーの名前を詠み込んだ<あちこちにトリスがしゃがむ>という句だったのです。
ところが、雑誌に掲載された際、「トリス」が誤って「ハリス」と印刷されてしまいました。
ハリスとは誰なのか。
読者も作者も首をかしげる事態です。
そこで坪内さんは、困惑をユーモアに変えました。
「それならいっそアリスにしよう」と発想を飛躍させたのです。
童話『不思議の国のアリス』の主人公に置き換えたことで、句は一気に物語性を帯びました。
彼岸花の赤は、どこか現実離れした世界の入口のようでもあります。
そこに小さなアリスたちがしゃがみ込んでいる光景は、子どもでも想像できる優しい幻想です。
誤記という「失敗」が、かえって作品を広く親しまれるものへと変えた好例といえるでしょう。
文学史には、こうした偶然の産物が少なくありません。
言葉は固い石ではなく、水のように形を変える存在です。
ネンテン先生は、その流れをせき止めるのではなく、面白がって舟を浮かべたのです。
子ども心を呼び込む遊びの力
この句が特別なのは、文学的技巧よりも「楽しさ」が前面に出ている点です。
俳句はしばしば季語や形式に注目されますが、坪内稔典さんの作品は、まず読者の想像力を遊ばせます。
彼岸花の群れを見て、そこに人影を見出す感覚は、子どもが雲の形に動物を見つける遊びに似ています。
文学が子どもに開かれる瞬間です。
実際、ネンテン先生は子ども向けの俳句活動にも力を入れてきました。
難解な言葉や抽象的な思想ではなく、身近な風景から出発することを重視しています。
そのため、彼の句には笑いや驚きが自然に混ざり込みます。
アリスというキャラクターは、日本の子どもたちにもよく知られています。
つまりこの句は、俳句という日本の伝統形式と、西洋の童話世界を軽やかに結びつけているのです。
まるで文化の蝶番のように、二つの扉を同時に開いてしまいます。
読者は「彼岸花=怖い花」という固定観念から解放されます。
代わりに、しゃがみ込んだ小さな少女たちの姿を想像し、どこかくすぐったいような気持ちになるでしょう。
文学が持つ力とは、難しいことを語ることではなく、世界の見え方を少し変えることなのかもしれません。
馬の背中と納豆の起源伝説
遊び心が現実の話題と結びつく例として、茨城県の納豆実験があります。
納豆は日本を代表する発酵食品ですが、その起源には興味深い伝説があります。
平安時代、武将・源義家が奥州へ出兵した際の出来事とされています。
兵士たちは煮た大豆をわらで包み、保存食として馬の背に積んで運びました。
長時間の移動と馬の体温により、豆は発酵して粘りを帯びたといわれています。
これが納豆の始まりだという説です。
科学的に完全に証明されているわけではありませんが、発酵条件としては理にかなっています。
納豆菌はわらに多く存在し、温度が保たれれば繁殖します。
つまり、馬の背は天然の発酵装置のような役割を果たした可能性があります。
この伝承を実際に確かめようというのが、茨城県での公開実験です。
体験型牧場と納豆メーカーが協力し、現代の環境で再現を試みます。
歴史と科学が同じテーブルにつく、非常に興味深い試みです。

もし成功すれば、千年近く語り継がれてきた逸話に現実味が加わります。
失敗したとしても、それ自体が貴重なデータになります。
何より、この話題にはどこか童話的な温かさがあります。
馬が豆を温め、時間が味を変える。
自然の力が静かに働く様子は、まるで台所の中の小さな魔法のようです。
「うふふふふ」と春を待つ心
ネンテン先生のもう一つの代表句に、<三月の甘納豆のうふふふふ>があります。
声に出して読むと、思わず笑みがこぼれるような響きです。
三月は冬と春が綱引きをする季節です。
まだ寒さは残るものの、光は確実にやわらぎます。
その微妙な期待感を、「うふふふふ」という笑いで表現したのでしょう。
甘納豆という素朴なお菓子も、どこか家庭的で安心感があります。
今回の納豆実験が成功すれば、まさに「ウマ納豆」が誕生するかもしれません。
その味や香りがどのようなものになるのかは未知数ですが、多くの人の好奇心をくすぐることは確かです。
もし糸を引く豆ができれば、伝説と現代が一本の糸で結ばれます。
そして人々はきっと笑うでしょう。
「うふふふふ」と。
文学も食文化も、究極的には人を楽しませるためのものです。
誤記から生まれた俳句も、馬の背で発酵する豆も、どちらも真面目すぎないところに魅力があります。
世界はときに硬く、ときに冷たいものですが、こうした小さなユーモアが空気をやわらげます。
ネンテン先生の句が長く愛される理由も、そこにあるのでしょう。
春はもうすぐです。
赤い花の間にアリスを探しながら、納豆をかき混ぜ、少しだけ笑ってみる。
そんな時間こそが、何より豊かな文化のかたちなのかもしれません。

