戦火が生む心の傷——PTSDと虐待の世代連鎖を問う映画

戦火はやむが、戦争の痛みは続きます。

東京・東中野のミニシアター「ポレポレ東中野」で、2026年3月14日より上映が始まったドキュメンタリー映画「父と家族とわたしのこと」(島田陽磨監督、127分)が、静かな反響を呼んでいます。

太平洋戦争の帰還兵を父に持ち、戦争が家族の中にもたらした暴力と断絶を生き延びた人々の証言を丁寧に記録した作品です。

砲弾は体を傷つけますが、戦場の圧倒的な恐怖や罪悪感は、人間の内面そのものを壊します。

その傷は兵士一人の中に留まらず、虐待や暴力という形で子へ、孫へと受け継がれていきます。

戦後80年が経った今も、戦争の痛みの連鎖を断ち切れずにいる人々がいること——この映画はその現実を、正面から見つめています。

映画「父と家族とわたしのこと」が描く、戦争の見えない傷

「父と家族とわたしのこと」は、戦争体験者とその家族が背負ったトラウマと、世代を超えた回復への試みを描いたドキュメンタリー映画です。

監督は「ちょっと北朝鮮まで行ってくるけん。」「生きて、生きて、生きろ。」などの作品で知られる島田陽磨氏。

戦争や国家分断という巨大な力に翻弄されながらも、自らの足で立とうとする個人を記録し続けてきた気鋭の監督です。

音楽は「舟を編む」で第37回日本アカデミー賞優秀音楽賞を受賞した渡邊崇が担当しています。

配給は日本電波ニュース社。

3人の当事者が語る「生きづらさ」の根っこ

映画に登場するのは、3人の当事者です。

大阪市内で喫茶店を営む藤岡美千代さん(65歳)は、戦争から復員した父に激しい虐待を受けて育ちました。

父の死を喜び、万歳したといいます。

ところが母親になると、自分もまた我が子に手を上げてしまうことに気づきます。

虐待が次の虐待を生む——その連鎖の中に自分がいると気づいたとき、藤岡さんは人生の後半を迎えていました。

「これは全く私の個人史ではなくて、根っこは戦争なんだっていうところでは見過ごすことはできない」と、藤岡さんは語ります。

神奈川県でタクシー運転手をする市原和彦さんは、幼少期に帰還兵の父が母に浴びせた罵声が胸に刻まれ、その心の傷が妻への暴力へとつながった男性です。

そしてシングルマザーの佐藤ゆな(仮名)さんは、新興宗教に傾倒した母からの虐待により複雑性PTSDを発症し、自身も娘との関係に迷い続けています。

3人の「生きづらさ」の根を辿ると、それぞれの父や祖父が戦争に従軍していたという共通点が浮かび上がってくるのです。

戦後80年の節目に問いかける、受け継がれた痛み

映画の制作協力には「PTSDの日本兵家族会」が名を連ねています。

帰還した日本兵がPTSDを発症し、家族に継続的な暴力・虐待を行っていた事例は、近年ようやく社会的な注目を集め始めました。

2023年には国会でこの問題が初めて取り上げられ、厚生労働省が実態調査を行うと答弁しました。

戦後80年の節目である2025年度に、戦傷病者史料館「しょうけい館」で調査結果の展示が予定されているほどです。

国が「軟弱な皇軍兵士はいない」として長年封印してきた事実が、今ようやく掘り起こされようとしています。

上映開始直後から「ほぼ満席」という声も聞かれ、戦後日本が直視してこなかった問題への関心の高まりが感じられます。

砲弾ではなく「恐怖と罪悪感」が人間性を壊す——戦争とPTSDの実態

戦争が生身の人間を滅ぼすのは、砲弾だけではありません。

圧倒的な恐怖や罪悪感が人間の内面そのものをつぶし、心的外傷後ストレス障害(PTSD)を負わせます。

PTSDという概念は、ベトナム戦争帰還兵の研究を通じて確立された疾患概念です。

アメリカ精神医学会が1987年に正式に命名する以前から、第一次世界大戦では「シェルショック」、第二次世界大戦では「戦争神経症」と呼ばれ、多くの兵士を蝕んできました。

日本兵のPTSD——長く封印されてきた実態

太平洋戦争から帰還した日本兵の場合、敗戦直後までに入退院した陸軍の兵士は約2万9,200人に上り、その半数にあたる約1万450人がさまざまな精神疾患に苦しんでいたことが研究者によって明らかになっています。

ベトナム戦争やイラク戦争に従軍した米兵の2〜5割にPTSDの症状があったとされる比率を太平洋戦争の帰還兵に当てはめると、約200〜400万人が心の傷を抱えて戦後社会に戻ってきた計算になります。

つまり戦後の日本では、5世帯に1世帯が、戦争による心の傷を負った元兵士を家族として抱えていた可能性があるのです。

それが家族のコミュニケーションや子どもの育ちに深刻な影響を与えてきたことは想像に難くありません。

しかし国は長年、「精神を病むような軟弱な皇軍兵士はいない」として、この現実を封印してきました。

帰還した兵士たちも、心を病むことを「恥」として世間から隠し続けました。

官民一体となって封じられてきた「戦後の闇」が、今ようやく言葉を持ち始めているのです。

「人格が変わったように激高する父」——遺族たちの証言

「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」代表の黒井秋夫さんは、こう語ります。

「帰還した兵士が家族に対して継続して暴力・虐待を行い、家族関係も生活もめちゃくちゃに破壊した事例が数多く報告されています」と述べています。

「人格が変わったように激高する」「真夜中に叫び声をあげる」——遺族たちの証言は、戦場体験が帰還後の日常にいかに深く影を落としたかを物語っています。

黒井さん自身も、中国戦線から復員した父が定職にも就けず、40年間家族を貧困に陥れた経験を持ちます。

軽蔑すらしていた父の姿が、ベトナム帰還兵のドキュメンタリーを見たことで一変しました。

「父もまた、戦場での体験がもたらした心の傷が原因で、抜け殻のようになったのではないか」——その気づきが、黒井さんを活動へと駆り立てています。

「人類を愛するほど、個人への愛が薄れる」——戦争と権力者の論理

兵士たちの内部崩壊を、好戦的な権力者たちはどう受け止めるのでしょうか。

ロシアの文豪ドストエフスキーの代表作「カラマーゾフの兄弟」(原卓也訳、新潮文庫)に、こんな一節があります。

「人類全体を愛するようになればなるほど、ひとりひとりの個人に対する愛情が薄れてゆく」——。

「人類」を「国家」や「イデオロギー」に置き換えれば、今も世界のどこかの権力者が語りそうな言葉として響きます。

国家の大義を掲げるほど、眼前の一人ひとりの人間の苦しみが見えなくなっていく。

その論理が戦争を正当化し、兵士を戦場へと駆り立て、そして帰還後の沈黙を強いてきました。

今も続く世界各地の戦火——死者の何倍もの人が苦悩している

イランやウクライナで、多くの命が戦争に奪われています。

停戦合意が成立したガザでも、犠牲者は増え続けているとの報告があります。

こうした紛争地域では、死者の何倍もの人々が身体的・精神的な苦しみの中にいます。

研究者によれば、帰還兵のPTSDは離婚率や別居率の上昇、ホームレス化、そして自殺率の増加とも深く結びついています。

その影響はさらに、DVや依存症という形で次世代へと波及します。

戦争は戦場だけで終わらない——「父と家族とわたしのこと」が突きつける問いは、現在進行形の世界の痛みとも直結しています。

PTSDの世代間連鎖——研究が示す冷厳な事実

学術的な観点からも、戦争トラウマの世代間連鎖は確認されています。

帰還兵のPTSDが家族に及ぼす影響は「二次トラウマ化」と呼ばれ、家族のPTSDが子どもの心理的発達を損ない、後続世代に連鎖する可能性が国際的な研究で指摘されています。

アフリカや中東などの紛争地域を対象とした研究でも、戦争が不適切な養育を増加させ、コミュニティや家族の機能に深刻かつ長期的なダメージを与えることが明らかになっています。

「戦争が子育てに与える傷」——これは過去の問題ではなく、今この瞬間にも世界各地で生まれ続けている現実です。

戦後80年が経過した日本においてさえ、その傷は癒えないまま人々の日常に潜んでいます。

「静かに見つめる」ことが、連鎖を断ち切る第一歩になる

「父と家族とわたしのこと」は、戦争の痛みを「個人の問題」として終わらせない映画です。

虐待を受けた娘が母となり、また虐待を繰り返してしまう——その連鎖が「戦争という公的暴力」から生まれているという視点は、加害者と被害者を単純に二分する見方を揺さぶります。

映画の登場人物たちは、人生の後半になってようやく、「なぜ父はあのような人間だったのか」を問い直す旅に出ます。

その問いは、自らを傷つけた存在を理解しようとする試みでもあり、連鎖を断ち切ろうとする勇気ある一歩でもあります。

戦争は終わっても、その影響は何世代にもわたって人々の内側に生き続けます。

ドストエフスキーの言葉を借りれば、「国家」を愛するあまり「個人」を見えなくさせる権力の論理が、いつの時代も戦争を生み出してきました。

だからこそ、眼前の一人の苦しみに目を向け続けることが、最も根本的な戦争への抵抗といえるでしょう。

「父と家族とわたしのこと」はポレポレ東中野(東京都中野区東中野4)にて上映中で、全国順次公開が予定されています。

上映後のトークショーも連日開催されており、フォトジャーナリスト安田菜津紀さんやドキュメンタリー監督の大島新さんらが登壇しています。

戦火の記憶が遠のく時代だからこそ、スクリーンの前に座り、この映画と向き合ってほしいと思います。

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