
「使われなかった人生」とは何だろう。
それは、いまここにある自分の人生でなく、もう1つの可能性として「ありえたかもしれない人生」にほぼ等しい。
しかし、それら2つの言葉の間には微妙な違いがある。
「ありえたかもしれない人生」には手の届かない夢といった意味合いがあるが、「使われなかった人生」には具体的で実現可能な人生という意味が込められていると、著者は言う。

ほんのちょっとした決断や選択で、手に入れられなかった人生。
著者は、歳をとるにしたがって、いつの間にかそんな「使われなかった人生」を映画の中に探し求めるようになったという。
ここに収められた30編の映画時評と映画にまつわるエッセイ2編では、いわゆる強くて格好いいヒーローやヒロインが主人公の映画は取り上げられていない。
スクリーンを見つめる著者の目に留まるのは、目の前にいる少年の才能にかつての自分を投影した中年女性であり(「出発するための裏切り」)、
異国の町で自らを覆っていた殻を破った女性であり(「天使が砂漠に舞い降りた」「父に焦がれて」)、
かつて恋心を抱いた女性と再会した初老の男(「飛び立つ鳩を見送って」)であったりする。
彼らにとって、「使われなかった人生」は未来と同じ重みを持っている。
著者は、そんな彼らを静かに見つめている。

ときに冷静すぎるほどの抑制された筆致をもって。
「使わなかった!」と意識したとき、初めて存在するもうひとつの人生。
あのとき、別の決断を下していたら―。
去りゆく女性を引き止めることができなかった初老の男、肉親以上に愛情を注いだ弟子に裏切られてしまう中年女性…。
透徹した眼差しで作品の本質をつき、そこから浮かび上がる人生の機微を抑制の利いた筆致で描く全三十編の映画評。
「「使われなかった人生」には具体的で実現可能な人生という意味が込められており、「使わなかった人生」でもあると筆者はいう。本書は その「人生」を映画の中に探し求めた映画時評です。
観ていない映画はこの本をもとに入手して観てみようと思いました。わたしも好きなイラン映画の「運動靴と赤い金魚」を絶賛しておられ、カズオイシグロの小説 日の名残り (ハヤカワepi文庫) を映画化した作品を「完璧」と評言。小説との対比は特に沢木さんらしい緻密な分析に頷くことしきり。自分の「使わなかった人生」に対峙し、一瞬ですが、すがすがしい気持ちを得ました。」「心地良い文章の映画紹介。見る上での視点を押し付けがましく提案してくれるので、観る映画のレパートリーが広がりそうです。観る前に読む方がいいタイプの映画エッセイ。素敵です。」
「沢木耕太郎作品は、どういうわけか、これまで縁がなく、初めて読んだ。この作品は、暮らしの手帖に連載されているエッセイの単行本化だそうで、映画についてのエッセイ集である。単行本化する際に、順番はシャッフルしたのだと思うが、広くヒットした作品から、単館上映作品なども網羅していて、映画好きの私にはなかなか面白かった。
私にとって初めての沢木耕太郎は、叙情的な文章を書く人ね、というのが強い印象。絶賛するほどの思い入れもないかわり、飽きの来ないシンプルさ、みたいなものもあって、これを機会に他の作品も読んでみようか、と思っている。」
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