
<父の戦死にわが生涯は始まりて今朝のテレビに銃声を聞く>(那須塩原市 野崎征子)
この短歌が詠まれた背景には、深く重い歴史と、繰り返される悲劇への嘆きが込められている。
作者である野崎さんの人生は、お父様の戦死という悲しい別れから始まった。
それから長い年月を経て、平和な日常を送っていたはずの彼女を再び戦火の記憶へと引き戻したのは、2022年2月24日に始まったロシアによるウクライナ侵攻だった。
あれから4年の月日が流れた。
今、私たちが迎えているのは2026年2月。
イタリアのミラノ・コルティナダンペッツォで開催されている冬季オリンピックは、2月22日の閉幕を目前に控えている。
連日、テレビやネットニュースでは日本人選手の活躍が報じられ、メダル獲得数の記録更新に国中が沸いている。
しかし、その歓喜の裏側で、ふと4年前のあの朝を思い出すとき、胸の奥に冷たい重石がのしかかるような感覚を覚えるのは私だけではないはずだ。
スポーツの祭典がもたらす純粋な喜びと、未だ終わらぬ戦争の悲しみ。
この二つが入り混じり、整理のつかない感情を抱えたまま、私たちはまた一つのオリンピックを見送ろうとしている。
本稿では、野崎さんの歌を道しるべに、4年前の北京、そして今のミラノで何が起き、私たちが何を思うべきなのかを静かに考えてみたい。
目次
北京から4年、消えない銃声とメダルの輝き
時計の針を4年前に戻そう。
2022年2月、北京冬季五輪が幕を閉じた直後のことだった。
日本勢は冬季最多となる18個のメダルを獲得し、高木美帆選手や平野歩夢選手の活躍に日本中が熱狂していた。
コロナ禍という困難な状況下で開催された大会であったが、選手たちのひたむきな姿は多くの人々に勇気を与えた。
しかし、その余韻が冷めやらぬうちに世界を震撼させたのが、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻だった。
「平和の祭典」であるオリンピックが終わった直後、あたかもその終了を待っていたかのように戦車が国境を越え、ミサイルが空を切り裂いた。
野崎さんが詠んだ<今朝のテレビに銃声を聞く>というフレーズは、まさにこの瞬間の衝撃を切り取ったものだ。
平和の祭典の記憶が、瞬く間に戦争の現実に上書きされていく。
その残酷なコントラストは、私たちに「平和とは何か」「スポーツとは何か」という根本的な問いを突きつけた。
あれから4年、戦争は終わるどころか、泥沼の様相を呈している。
日常的にニュースで流れる破壊された街の映像に、どこか慣れてしまっている自分に気づき、ハッとする瞬間はないだろうか。
父の戦死から人生が始まった野崎さんにとって、テレビから流れる銃声は、単なる海外のニュースではなく、自身の人生の根幹を揺るがす響きとして聞こえたに違いない。
それは、過去の亡霊が現代に蘇り、再び罪のない人々の命を奪っていく理不尽さへの慟哭でもあった。
北京五輪での高揚感と、その直後の絶望感。
この落差こそが、21世紀の私たちが直面している現実の姿だ。
そして今、2026年のミラノ・コルティナ五輪。
日本選手団は前回を上回る勢いでメダルを量産している。
若手選手の台頭、ベテランの意地、新種目での快挙。
スポーツニュースを見るたびに誇らしい気持ちになる一方で、ふと画面の端に映る国際情勢のテロップに目をやると、そこには変わらず「侵攻」「空爆」の文字が踊る。
私たちは、歓喜と悲哀が同居するこの世界で、どのように心のバランスを保てばよいのだろうか。
4年前のあの日、野崎さんが感じた戦慄は、今も形を変えて私たちの心の中にくすぶり続けている。
メダルの輝きが眩しければ眩しいほど、その影にある闇の深さが際立ってしまう。
それが、今回のオリンピックが抱える、拭い去れない重苦しさの正体なのかもしれない。
ミラノの空に散った祈り:スケルトン選手の「ヘルメット」
今回のミラノ・コルティナ五輪でも、世界を現実に引き戻す象徴的な出来事があった。
それは、大会中盤に行われたスケルトン男子競技でのことだ。
ウクライナ代表のウラジスラフ・ヘラスケビッチ選手に注目が集まった。
彼は、ロシアの侵攻によって犠牲となった母国のアスリートたちの写真をあしらったヘルメットを着用して競技に臨もうとしたのだ。
ヘラスケビッチ選手といえば、4年前の北京五輪でも、レース後に「NO WAR IN UKRAINE(ウクライナに戦争はいらない)」と書かれた紙を掲げ、世界中に平和を訴えたことで知られる。
あの時は、IOC(国際オリンピック委員会)も「一般的な平和へのメッセージ」として処分を行わなかった。
しかし、今回の行動は異なった。
亡くなった仲間たちの顔写真をヘルメットに刻むという行為は、より直接的で、より痛切なメッセージを含んでいたからだ。
結果として、彼は失格処分となった。
理由は、五輪憲章第50条が禁じる「競技会場などでの政治的、宗教的、人種的な宣伝活動」に抵触すると判断されたためだ。
報道によれば、IOCや競技団体は事前にヘルメットのデザイン変更を求めたが、ヘラスケビッチ選手はこれを拒否。
「これは政治的なプロパガンダではない。友への追悼であり、事実の記録だ」と訴えたが、その願いは聞き入れられなかった。
このニュースを聞いて、胸が締め付けられる思いがした人は多いだろう。
五輪憲章の精神は理解できる。
オリンピックが政治的な主張の場と化せば、大会の存続そのものが危ぶまれるという理屈も正論だ。
しかし、自国の仲間が殺され、練習場が破壊され、それでもなお氷の上に立つ選手に対して、「静かにしていろ」「政治を持ち込むな」と言うことが、果たして「平和の祭典」の正しい姿なのだろうか。
ヘルメットに描かれていたのは、単なる写真ではない。
かつて共に汗を流し、オリンピックを夢見ながら、戦火に倒れた「未来のメダリスト」たちの魂そのものだ。
彼らを一番近い場所、つまり自分の頭に乗せて滑りたいと願うこと。
それは、生き残った者としての責務であり、声なき死者たちの声を代弁する唯一の方法だったはずだ。
ルールはルールとして厳格に運用される。
それがスポーツの世界だ。
だが、その冷徹なルールの前で、一人の人間としての叫びがかき消されたという事実は、今回のオリンピックに重い影を落とした。
失格を告げられた後の彼の表情を、私は忘れることができない。
そこには、怒りよりも深い、底知れぬ絶望と悲しみが漂っていた。
この出来事は、私たちに問いかけている。
平和を守るためのルールが、時として戦争の悲惨さを隠蔽するために機能してしまう矛盾を。
クレムリンの「一人」と、奪われた未来たち
ヘラスケビッチ選手のヘルメットに込められた思いを、理解できない人はいないだろう。
いや、世界中にたった一人、理解しようとしない、あるいは意図的に無視している人物がいる。
言うまでもなく、ロシアのクレムリンにある大統領執務室の主、ウラジーミル・プーチン大統領その人である。
彼が始めた「特別軍事作戦」という名の侵略戦争によって、どれだけのスポーツの才能が失われたことか。
ウクライナ政府の発表によれば、この4年間で400名以上のアスリートやコーチが命を落としたという。
彼らは「スポーツの天使(Angels of Sports)」と呼ばれている。
もし戦争がなければ、このミラノの地で、日本の選手たちとメダルを争っていたかもしれない若者たちだ。
フィギュアスケートのリンクで、雪山のスロープで、あるいはバイアスロンのコースで、彼らが躍動する未来は、たった一人の独断によって永遠に奪われてしまった。
今回のミラノ・コルティナ五輪に、ロシアという国家は存在しない。
国としての参加は認められず、一部の選手が「中立な個人資格の選手(AIN)」として参加しているのみだ。
プーチン大統領は、自国の国旗も国歌もないこのオリンピックを、執務室のテレビでどのように見つめているのだろうか。
かつてソチ五輪で威信を誇示した男は、今やスポーツ界から最も遠い場所にいる。
彼にとって、兵士として動員され戦死したウクライナのアスリートたちは、単なる「敵」としての数字に過ぎないのかもしれない。
しかし、その一人一人に、野崎さんのように「父の戦死」を嘆く家族がおり、友人がおり、積み重ねてきた努力の日々があった。
ヘルメットの写真を「政治的宣伝」として退けることは簡単だ。
だが、その写真の裏にある「生きたかった」という切実な叫びを、権力者は決して直視しようとはしない。
野崎さんの短歌にある<父の戦死にわが生涯は始まりて>という言葉は、戦争が残された者の人生をいかに長く、深く束縛するかを物語っている。
今、ウクライナで親を亡くした子供たち、あるいは子供を亡くした親たちの「生涯」もまた、この戦争によって決定的に書き換えられてしまった。
その責任の重さを、クレムリンの主は理解しているのだろうか。
おそらく、否だ。
だからこそ、私たちは忘れずにいなければならない。
ヘラスケビッチ選手が失格のリスクを冒してでも伝えたかったこと。
それは、金メダルの数よりも大切な「命の重み」そのものだったのだから。
平和の祭典の終わりに寄せて
まもなく、ミラノ・コルティナ五輪は閉幕する。
日本選手団の活躍は素晴らしく、記録更新のニュースは私たちに明るい話題を提供してくれた。
その功績は称えられるべきだし、純粋に拍手を送りたい。
しかし、祭典の灯が消えた後も、世界には消えない火種が残る。
野崎征子さんの短歌は、過去と現在、そして未来を繋ぐ警鐘だ。
70年以上前の父の死と、今朝のテレビの銃声は、悲しい一本の線で繋がっている。
私たちは、スポーツの感動を享受しながらも、その背後にある現実から目を背けてはならない。
ヘルメットを脱がされた選手の無念と、戦場に散ったアスリートたちの夢を、記憶の片隅に留め置くこと。
それが、安全な場所でテレビを見ることのできる私たちが果たすべき、せめてもの責任ではないだろうか。
4年後の2030年、フランス・アルプス五輪。
その時こそは、<今朝のテレビに銃声を聞く>ことのない、真の「平和の祭典」が訪れることを願ってやまない。
野崎さんの歌が、過去の悲しみとしてのみ語られる時代が来ることを、心から祈っている。
