
シベリアから南下してきた流氷が太陽の光を反射し、北海道沖のオホーツク海を白く輝かせています。
その美しさとは裏腹に、海上保安庁の職員たちが毎冬、プロペラ機を飛ばして地道な観測作業を続けているのはご存じでしょうか。
流氷は船にとって危険な存在であり、乗組員の命を守るために欠かせない情報を届ける取り組みです。
一方、日本から遠く離れたペルシャ湾では、まったく別の意味で船が「閉じ込められて」います。
2026年2月28日の米・イスラエルによるイラン攻撃を受け、イラン革命防衛隊がホルムズ海峡を事実上封鎖。多数のタンカーや貨物船が戦火の海に身動きを取れなくなっています。
自然の脅威と、人間が生み出した戦争という脅威。
二つの「閉じ込められた海」を並べてみると、見えてくるものがあります。
目次
オホーツク海の流氷観測——海保が守る「見えない命綱」
毎冬、海上保安庁は週に1回、プロペラ機をオホーツク海上空に飛ばして流氷の観測を行っています。
流氷は上空の人工衛星からでも確認できますが、雲に覆われた地点は衛星画像では判別しにくいという課題があります。
海保のプロペラ機が飛行するのは、まさにそういった場所です。
隊員は数時間かけて肉眼で氷の分布状況を確認し、その結果を地図に落とし込んで海上保安庁のホームページで公開しています。
デジタル化が進む時代においても、人間の目によるこの地道な作業が今も続いています。
毎シーズン180万回のアクセス——世界中の船員が頼る情報
この流氷情報は、凍える海を航行する乗組員にとって心強い情報源になっています。
外国の船を含め、毎シーズン180万回ものアクセスがあるといいます。
流氷は、その美しい姿とは裏腹に船舶にとって非常に危険な存在です。
流氷に閉じ込められ、動けなくなる事故もこれまでに起きています。
情報があるのとないのとでは、船員の判断もリスクも大きく変わってきます。
海保の観測データは、流氷シーズンの安全航行を支える「見えない命綱」として機能しているのです。
2026年の流氷——例年より遅い到来
2025〜2026年シーズンのオホーツク海の流氷は、例年より遅れての到来となりました。
気象庁のデータによると、網走では2026年1月26日に流氷初日が観測されています。
前シーズンの2024〜2025年は、網走において1946年の統計開始以来最も遅い流氷初日を記録しました。
気象庁は、オホーツク海の最大海氷域面積が長期的に見て10年あたり3.2%の割合で減少していると発表しています。
地球温暖化の影響が、遠く北の海にも着実に及んでいるのです。
それでも今冬、オホーツク海沿岸には流氷が接岸し、知床半島などでは例年通り流氷ウォークを楽しむ観光客の姿が見られました。
美しい流氷の絶景と、それを支える海保の地道な観測作業——その両方があってこそ、安全な海が保たれているのです。
戦火の海——ホルムズ海峡封鎖が世界に与えた衝撃
2026年2月28日、米国とイスラエルがイランを奇襲攻撃しました。
これを受けてイランの革命防衛隊は、ホルムズ海峡を通航しようとする船舶に対して攻撃を宣言。同海峡は事実上の封鎖状態に陥っています。
ホルムズ海峡は、ペルシャ湾とオマーン湾の間に位置し、最も狭い部分で幅は約33〜34キロメートルしかありません。
にもかかわらず、ここを世界の石油・LNG供給量の約5分の1が通過しているという、まさに世界経済の動脈です。
1日120隻が5隻へ——激変した海峡の風景
封鎖前はホルムズ海峡を1日あたり約120隻の船舶が通過していました。
それが3月6日時点では5隻にまで激減したと報じられています。
世界の大手海運会社が相次いで通航を停止し、ペルシャ湾内にいた船はその場で待機を余儀なくされています。
3月2日時点でペルシャ湾内に閉じ込められたコンテナ船は132〜138隻、約47万TEUにのぼるといいます。
攻撃を受けた船舶も確認されており、6日時点で少なくとも9隻に被害が出て、犠牲者も出ています。
ペルシャ湾に閉じ込められた4万人の船員
数字の背景に、生身の人間がいます。
報道によると、足止めされた船舶には約4万人の船員が乗っており、頭上に響く爆発音を聞きながら停泊を続けています。
ある船長は200万バレルの原油を積んだまま3週間以上ペルシャ湾で停泊し、バスケットボールをしたり映画を観たりして戦争から気を紛らわせているといいます。
交代要員がおらず、食料や水も不足し、GPS妨害によって航行そのものも危険な状態です。
流氷に閉じ込められた船が海保の観測情報を頼りに脱出の機を探るように、戦火の中に閉じ込められた船員たちは今、情報も支援もないまま海上で待ち続けています。
日本にとってもこの問題は他人事ではありません。
日本の原油の中東依存度は約94%に達しており、そのうち9割がホルムズ海峡を経由しています。
封鎖が長引けば、ガソリン価格や電気代の大幅な上昇が避けられません。
「海の安全」を守るのは誰か——自然と戦争の違い
オホーツク海の流氷と、ホルムズ海峡の封鎖。
どちらも「海で船が身動きを取れなくなる」という点では同じですが、その本質はまったく異なります。
流氷という自然の脅威に対しては、人間は観測・情報提供・技術開発といった形で立ち向かうことができます。
海保が週1回の航空観測を行い、180万回ものアクセスを受けるデータを無償で公開する——これはまさに、人間の英知と協力が機能している姿です。
戦争という「人為的な危険」には情報が届かない
しかし戦争という人為的な危険に対しては、観測データも地図も役に立ちません。
ホルムズ海峡では、船舶が位置情報を示すAIS(船舶自動識別装置)をオフにしながら航行しているといいます。
自分の存在を知らせることが、かえって攻撃を招く危険があるからです。
海保が流氷の場所を地図に落とし込んで公開する姿と、AISを切って暗闇の中を進む船の姿は、対照的すぎるほど対照的です。
日本にとってのホルムズ海峡——自衛隊は動けるのか
日本のタンカーが攻撃された場合、自衛隊は何もできないという指摘が専門家から上がっています。
2015年の国会では、安倍政権が集団的自衛権行使の一例として「ホルムズ海峡での機雷除去」を挙げていました。
しかし現実には、法的な壁と現地での軍事的リスクの両方が立ちはだかっています。
米軍でさえ、タンカー護衛の要請を拒否しているほどです。
北の海では情報を提供し、安全を守ることができます。
しかし南の海では、人間が人間を殺す戦争の論理が、あらゆる人道的な努力を無効にしています。
この対比は、何かを考えさせずにはいられません。
二つの海が問いかけること——命を守る「情報」と「意志」
海上保安庁の隊員が数時間かけて肉眼で流氷を確認し、その情報を世界に届ける姿には、人間の誠実な努力があります。
外国船も含めて毎シーズン180万回アクセスされるという事実が、その情報の価値を物語っています。
一方でホルムズ海峡では、世界の原油の5分の1が通る海が戦場と化し、何万人もの船員が取り残されています。
どちらの海も、船員の命がかかっています。
違うのは、一方は「どうすれば守れるか」を考える人たちがいて、もう一方は「どうすれば封じられるか」を考える人たちがいるという点です。
寒々とした光景とは、流氷に覆われた白い海ではなく、人と人が争う海のほうかもしれません。
美しく輝くオホーツク海の流氷を思い浮かべながら、ペルシャ湾の船員たちのことを想います。
命を守る「情報」と、命を守ろうとする「意志」——その大切さを、二つの海が静かに語りかけています。

