コロナ禍で死亡者数が減少したのは高齢者が病院に行かなくなったから

和田秀樹「コロナ禍でむしろ死者数が減ったのは、高齢者が病院に行かなくなったからである」

高齢化で日本の死者数は増え続けていますが、新型コロナへの警戒感が強まった2020年だけは11年ぶりに死者数が減少しました。

医師の和田秀樹さんは「コロナに感染したくなくて、高齢者が病院に行くのを控えたから、死者数が減ったのだろう。高齢者は病院で処方される大量の薬を飲んだり、不要な手術を受けたりするせいで、むしろ寿命を縮めている」というのですが…。

健康診断を受けることは「長生き」には寄与しない

私は現役の医師ですが、現代の医療については、少し懐疑的なところがあります。理由は追々お話ししますが、一言で言うなら、医師たちの多くは「数字は見るが、患者は診ていない」と思うからです。

その典型的な例が健康診断です。

日本人の平均寿命が初めて50歳を超えたのは、1947(昭和22)年でした。

その頃の「男女の平均寿命の差」は3歳ほどでしたが、いまではそれが6歳に広がっています。

これっておかしいと思いませんか?

なぜ、女性の平均寿命は延びたのに、男性は延びなかったのでしょうか。

原因の一つに、日本人の「健康診断信仰」なるものがあると思っています。

定期の健康診断の多くは会社で実施されており、ひと昔前までは、健診を受ける割合は、男性が圧倒的に多いという状況でした。

健診が長生きに寄与するなら、男女の寿命は逆転してもよかったはずなのに、むしろ差が広がってしまった。

つまり、健診が意味をなしていないということです。

数値を正常にするための薬の服用が寿命を縮める

たしかに、健診はガンの早期発見などにつながります。

これで命を救われる人もいるでしょう(かえって具合が悪くなる人もいますが)。

しかし、健診で示される「正常値」なるものが「本当に正常なのか」は、疑ってみる必要があるでしょう。

どの数値が正常かは一人一人違うからです。

一般に、大学病院などの勤務医の多くは、検査の数字は見ますが、患者は診ていません。

目の前の患者さんの体に起きている事実よりも、定められた数字を重視しているわけです。

そのような医師に診断され、治療されてしまうことを、どう思うでしょうか。

不幸なことだと思いませんか?

とくに80歳を過ぎた高齢者の場合は問題がある、というのが老年医療の現場に長年いる私の実感です。

数値を正常にするために薬を服用し、体の調子を落とす人や、残っている能力を失ってしまう人、寿命を縮めてしまう人がいるのです。

臨床論文が極端に少ない日本医療の現実

『ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン』(NEJM)という医学雑誌があります。

200年以上の歴史があり臨床論文の最高峰と言われるもので、世界中の医師や研究者はこの雑誌を高く評価し、情報を寄せます。

しかし、その雑誌に載のる日本人の論文はわずか1%ほどです。日本の医学界では大学の医局に残る医師が多く、研究者の割合は世界一なのに、臨床論文は少ない。

なぜ、そのような不思議な現象が起こるのか?

それは、定説を覆そうとする研究者が少ないからだ、と私は思っています。

先の健診もその一つです。

定められた正常値を絶対視して、患者さんが薬による不調を訴えても「数値が悪いので」の一言でおしまい。

そんな医療が実際に行われているのです。

この事実から、どんな選択が考えられるのでしょうか?

その一つは「医師の話をうのみにしない」という選択です。

薬漬けと不要な手術が寿命を縮める

「医者の不養生」という言葉があります。

医師は自分の健康や体には無頓着だという意味です。

ウソのような本当の話ですが、医師は患者さんには薬や健診を勧めるのに、自分ではやりたがりません。

おそらく「薬や健診は寿命を大きく延ばすものではない」ということを経験的に知っているからだと思います。

それなのに患者さんに対しては「血圧が高い」とか「肝臓の数値が悪い」と言って大量の薬を処方する。

「小さなガンが見つかった」と言って手術を勧めるのです。

その結果、どうなるか? 患者さんは薬漬けになったり、小さなガンと一緒に臓器の一部も切り取られたりするのです。

若いときならそれもいいでしょう。しかし高齢者になったのなら、それは逆に、不調や寿命を縮める原因になりかねません。

それは果たして、あなたが望む幸せな晩年なのでしょうか?

病院に行かなくなったら死者数が減った

興味深い事例を二つ紹介しましょう。

まず2020(令和2)年は、新型コロナウイルスの影響で、病院に行く人が大幅に減りました。

「コロナに感染したくない」と、少しくらいの不調は我慢したのでしょう。

とくに高齢者にはその傾向が見られました。

その結果、意外な現象が起きました。日本人の死亡者数が減ったのです。

つまり「病院に行かないほうが死なない」という皮肉なことが起きたわけです。

もう一つは、北海道夕張市の例です。

夕張市は住民の約半数が高齢者で、全国の市区の中で「高齢化率日本一」と言われた町です。

市民にとって病院は命を守る生命線だと思われていました。

ところが、2007(平成19)年に夕張市は財政破綻をし、唯一の市立総合病院が閉院してしまったのです。

総合病院は小さな診療所になりました。171床あったベッド数は19床に減らされ、専門医もいなくなりました。

高齢者の多い町で、どうなるのだろう?

市民はもちろん、多くの人が心配しました。結果、どうなったと思いますか?

重病で苦しむ人が増えることはなく、死亡率の悪化も見られなかったのです。

日本人の三大死因と言われる「ガン、心臓病、肺炎」で亡くなる人は減り、高齢者一人当たりの医療費も減ったそうです。

「わずか19床のベッドで大丈夫か」という心配も杞憂きゆうに終わりました。

ベッドは空きが出るほどになったのです。

死亡する人の数も、以前とほぼ変わりませんでした。まさにいいこと尽くめなのですが、なぜそうなったのか?

その答えを探すことは、現代の高齢者医療が抱える問題を浮き彫りにし、解決策につながる、と私は考えています。

「もう放っておきましょう」と医師は言えない

夕張市の市民の間では、三大死因の「ガン、心臓病、肺炎」は減ったのに、全体の死亡人数は変わりませんでした。

つまり、ほかの原因で亡くなる人が増えたということです。その原因とは何か?

夕張診療所の方によれば、それは「老衰」だったと言います。

老衰は、病気ではなく、少しずつ体が弱って死ぬことです。

「天寿をまっとうした死に方」と言ってもいいでしょう。

老衰の場合、多くは家庭や老人ホームなどで息を引き取ることになります。

夕張市では病院が小さくなったため、在宅医療への切り替えを余儀なくされた人もいました。

患者さんが入院を望まず、在宅医療を選択したケースが多かったと聞いています。

85歳を過ぎた人は、体の中に「複数の病気の種」を抱えています。

明らかな症状はなくても、何らかの不調はあるはずです。

この状態で病院に行けば、たいていの医師は検査をしたり、薬を出したりするでしょう。

現代においては、それが当然の医療だからです。

逆にそれをしなければ、「あの病院は薬もくれない」と文句を言われてしまいます。

でも、本当にそれが正しい医療なのでしょうか?
ぜひもう一度、考えてみてほしいのです。

医師は病院に来た高齢者に対し「もう年だから、放っておきましょう」とは言えません。

であるならば、患者さんが選択するしかありません。

病院で検査をして病気を見つけてもらい、薬や手術をして寿命を延ばすのか、自宅や老人ホームで好きなことをしながら生きるのか――。

それは、医師ではなく、自分が選択することなのです。

高齢者になれば、病気は全快しません。一時的に快方に向かっても、悪い部分は次々と現れます。

厳しい言い方ですが、それが年を取るということなのです。

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