
本書はヘンリー塚本というひとりの映像作家について、彼の人生、その作品を語る長い物語である。
ヘンリー塚本は八〇年代半ばより三〇年以上、アダルトビデオにジャンル分けされる作品を作り続けてきた。
ゆえに一般的に考えれば、彼はAV監督ということになるだろう。
しかし僕は少なくともこの場では、ヘンリー塚本をAV監督と呼ぶには抵抗がある。
なぜなら書店でこの本を手に取られ 本書はヘンリー塚本というひとりの映像作家について、彼の人生、その作品を語る長い物語である。
ヘンリー塚本は八〇年代半ばより三〇年以上、アダルトビデオにジャンル分けされる作品を作り続けてきた。ゆえに一般的に考えれば、彼はAV監督ということになるだろう。
一般の人が思い浮かべるAVとは何だろう? 若くてスタイルのいい女性が登場する綺麗なイメージシーンがあり、恥ずかしげに答えるインタビュー、そして日焼けし鍛え上げられた肉体の男優が現れ、煌々とライトが焚かれた生活感のないスタジオでのセックス、そんなところだろうか。
しかしヘンリー塚本のそれはまったく違う。
戦場という無法地帯で繰り広げられる殺戮、銃殺される女性兵士、「民族浄化」という名の下に行われる強姦。その舞台もベトナム戦争に於けるゲリラ戦から極左過激派クメール・ルージュが暗躍したカンボジア戦線、旧日本陸軍が進出した満州大陸から多くの兵士が自決した南方戦線までと多岐にわたり、しかもそれらは常に史実を大きく越え、彼のイメージの中で果てしなく膨らむ破天荒なフィクションとして構築される。
かと思うと昭和初期を思わせる農村で繰り広げられる性犯罪、義父と娘による土着的な近親相姦、戦後間もない頃の貧しい安アパートでの男女の狂おしい性交。さらには女性たちが奴隷のよう飼われる暗黒の近未来を描いたSF、そして七〇年代の連合赤軍事件をモチーフにした粛清とテロリズムを描いた作品もある。
それらは一九六〇年代から七〇年代にかけて、場末の映画館で三本立てで上映されていたB級邦画アクションの如きテイストを持ち、かと思うと中年男女の不倫やレズビアン女性たちの性愛を描いた作品には、懐かしき白黒フランス映画のテイストすらある。性犯罪物には松本清張や横溝正史の匂いがあり、同時に今村昌平の初期作品を思わせる、犯された女性たちの力強さ、したたかさまでが描かれる。
かつて昭和の高度経済成長期、世の中の流れに乗れないブルーカラーの若者や一部の大学生たちが、何かを求めて深夜の盛り場を彷徨ったものだ。けれど結局ゆくあてなどなく、ヤクザ映画やピンク映画を上映する場末の映画館にたどり着いた。塚本の作品にはあの頃の映画館の暗闇に漂っていた、言い様のない不安と甘美な安息が息づいている。これには作者の生い立ちが深く関係していると、僕は考えている。
ヘンリー塚本は終戦の二年前、一九四三年(昭和十八年)東京の亀戸に生まれた。東京大空襲で父と長男を失った一家は貧困の中で過ごす。しかし塚本少年はハリウッド映画に代表される海外文化に心を奪われ、中学生の頃から小銭を握りしめ、週末には当時入館料七〇円前後だった三本立ての映画館に足しげく通った。時には売店であんパンを買って空腹をしのぎ、複数の劇場をはしごして廻ったという。
中学卒業後は、研磨工として働きつつ定時制高校へ通い、十八歳からは洋裁の縫い子になる。その後在日朝鮮人たちが経営する洋裁工場が密集する地域にて住み込み働きで腕を磨くも、まるで数奇な運命の船が激しい風雨に煽られたように、彼はアダルトビデオの世界にたどり着くのだ。それはソニーのベータマックスと松下のVHSが開発のしのぎを削り、家庭用のビデオデッキがいよいよ普及すると言われた一九八〇年代初頭のことであった。
八〇年代の半ばからは自身のメーカー「FA映像出版プロダクト」、通称・FAプロを創業。日本ビデオ倫理協会(ビデ倫)の審査も通し、二〇一七年に引退を宣言するまで、彼は通算二五〇〇本以上の作品をリリースしてきた。
これは控えめに言ったとしても驚異的な数である。例えば前述したような一般的なAV、つまり女優と男優にセックスをさせ、それを単にビデオで写すだけの映像ならある程度の量産は可能だろう。
しかし、塚本が作るのはすべて台本のあるドラマである。しかも現場では演出と同時にカメラマンも兼任し、撮影後は編集まで(初期はパッケージのデザインすら)すべて自分の手で行った。それを三〇年以上続けたのだ。これはひと月に四本から五本のAVを撮影し編集する換算となる。
さらに言えば塚本作品には三話から五話のオムニバスというものが多い。それら短編をも一本と数えれば、その生涯作品数は一万本を超えるだろう。こんな映像作家は日本はもとより世界中の映画監督、テレビディレクターを見渡してみても、ヘンリー塚本以外いないはずだ。
その信じがたい労力を前にして、「なぜそんなにも多くの作品を作ったのですか?」という僕の問いに、塚本は「作りたかったんです。ただ、撮りたかったのです」と答えた。
この溢れ出る、尽きることのない創作意欲の源泉はいったい何だろう?
アメリカの音楽評論家ポール・ウイリアムズは、「天才の条件は呆れるほど多作であること」と語り、パブロ・ピカソ、アイザック・アシモフ、ボブ・ディランらの名を挙げている。僕はこれに手塚治虫、そしてヘンリー塚本を加えてもいいと思う。
しかし塚本自身はそれをやんわりと否定する。「私に才能なんてありませんよ。ましてや天才なんかじゃない」と。
「学もありませんしね。貧乏で大学にも行けなかった。定時制高校すら中退です。映像を学んだこともありません。すべて現場で失敗しながら覚えてきた、自己流です」
しかし「──ただ」と続ける。
「やはりAV、ポルノとはいえ、いいものを作りたい。その強い想いじゃないでしょうか。この世に生まれ、そしてセックスを描くという仕事にたどり着いた。私は天職だと思っています。だから毎回現場で自らカメラを担ぎ、ただひたすら無我夢中だった。人の心に残る作品を作りたいと思った」
人の心に残る作品──これはヘンリー塚本が好んで使う言葉だ。
AVの世界には、「俺はAVを撮ってるんだから、エロだけにこだわるんだ」という監督がいる。台本や台詞、演出を伴うドラマなど、必要ないと言いたいのだろう。しかしそんな人の撮る作品ほど、少しもエロくないのが困る。なぜか?
それは人間の抱く性欲や興奮というものを、男側の一方的な下半身のみの、まるで排泄するかのような些末な欲望としか捉えていないからだ。
本物のエロスとは男であれ女であれ、誰もが心を踊らせるような感動や、はたまた胸を掻きむしられるような悲劇や、この世界がいやおうなく抱える残酷さの中にこそある。
そして実際、塚本の作品は人々の心に残り続けた。
(序章 prologue 人の心に残る作品を──から)
【目次】
序章 prologue 人の心に残る作品を──、
第一章 一九九四年四月、冷たい春の雨が降る午後に。
第二章 一九四三年、千葉県長者町・貧困・トウモロコシ畑の情事。
第三章 一九五七年、二本榎・小松川・江東楽天地・映画との出会い。
intermission#1 二〇〇九年晩秋・二〇一四年盛夏。
第四章 一九五九年、姉の死・池袋・三河島・不思議な夜。
第五章 一九七〇年、コペンハーゲン・悲しき天使・大塚・卒業・恋人たちの夜。
intermission#2 アダルトビデオの衰退・狂気の光・大蛇の夢・スリルとサスペンス。
第六章 一九八二年、足立区鹿浜橋付近、紀尾井町、〈なんでも撮ります〉の時代。
第七章 一九八二年、新宿京王プラザ、富山高岡、自由の値。
第八章 一九八四年、ブラックパックビデオ・AV黎明期・ビデ倫加盟。
第九章 八〇年代から九〇年代へ・バブル景気の終焉・心に残るAVの始まり。
第十章 九〇年代・セックスというものが持つ奥深いドラマ・レイプの深層。
第十一章 女優・男優・FAオールスターズ・独自のシナリオ作法と疾走の時代。
第十二章 さらにシナリオ作法の深淵へ・迫力・情熱・魂の叫び。
第十三章 独創的かつ特異な演出スタイル・夢のあるAV・光り輝く存在であれ!
第十四章 恋しい女という名の永遠の謎・人生は不公平・ゾーンに入る・そして新しい世界へ。
第十五章 情熱はファンの元に・最後もファミリービデオとして・AVという文化を作る。
intermission#3 二〇二二年七月、沈黙の向こう側。
第十六章 引退・そしてYouTubeへ・映画に救われ映像に生かされて──。
終章 二〇二三年夏、姉の死、再び。
epilogue 最後の日々、希望の光。
著者について
1958年、神奈川県川崎市生まれ。
編集者、アダルトビデオ監督、音楽PVディレクターを経て、
現在は執筆業を主にして活躍。
著書に『猫の神様』(講談社文庫)、『東京ノアール~消えた男優 太賀麻郎の告白』(イースト・プレス)、『代々木忠 虚実皮膜~AVドキュメンタリーの映像世界』(キネマ旬報社)、『デリヘルドライバー』(駒草出版)、『裸のアンダーグラウンド』(三交社)などがある。
かつて故勝谷誠彦氏からは稀代な美文の表現者と評されている。
「ヘンリー塚本監督の生きた時代の世界の様子などが、1人の人生から読み取れる。近代日本史のような1冊に感動しました。」
「ヘンリー監督より世代はふた回りほど若いのですが、戦中・戦後の風景と監督の描写も見事で、AV監督になった経緯など社会的背景もよくわかり、満足のいく作品でした。現在はYouTubeでご活躍とのことですが、いつまでも良い作品を提供してほしいと感じました。」
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