自分の死が迫っていることを知らなければ、実は人間は「その日」を生きることなどできない。
果たして、死はそれほど恐ろしいか、ということになると、私は少し疑っている。
ーー夫である三浦朱門を在宅介護で看取ってから約2年。作家・曽野綾子は静かに、慎ましく一人の毎日を生きていた。
一汁一菜の食事をしみじみと味わい、新たな飼い猫の姿を横目に、これまで歩んできた年月の記憶に遠く思いを馳せる。
優しさとはなにか、哀しみとはなにか。
そして、人間がこの世に生まれてきた使命とはなにか。
やがて否が応でも頭をよぎるのは、自分自身の「最期」をいかに迎えるかということ。
「私は、すべてを受け入れ、平凡な生活を心底愛する」。
いずれは誰もが一人になる。
そのとき、どうあるべきか。
老いに直面するすべての人に読んでほしい、88歳の著者が至った「最後の境地」。
大ベストセラーとなった『夫の後始末』続編、週刊現代連載の待望の単行本化。
「週刊現代掲載のエッセイを集めたものです。そのエッセイもすでに終了して久しく、コロナと猛暑にふりまわされる現在のご時世に対する曽野さんの思いがつづられたものではありません。
私は曽野綾子さんのファンでほとんどの小説やエッセイを読んでいます。曽野さんはわたしにとって母のような作家でした。夫の三浦朱門さんを見送った後の日々については「私日記」にも詳しく書かれています。ご自身のことも二匹の猫のことも…
この本の中心は朱門さん亡き後、家族となった二匹の猫との日々を通してご自身の人生や老い、そしていつか訪れるに死ついての思いがより深くつづられています。ファンにとってはいつもの曽野さんの言葉の中にも小さな生き物がもたらす新鮮な驚きもちりばめられていて楽しく読めました。」「曾野氏の本はしょっちゅう出ているが殆どが過去の書き物を纏めたもので、パラパラめくってまたかと思って置くことが多いが、これは違った。
一冊を通して静かな時が流れている。八十八歳とは思えない明晰な筆運びで一話一話に滋味がある。帯にかかれた言葉もそうだが、この年まで生きないと出せない説得力がある。覚悟は決まっているけど、力んではおらず穏やかに構えている。
誰だって老いていくのはこわいが、老いを長くいきる間にしっかり腹が据わるかどうかで全然違うのだろう。」
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