奇跡の童謡 山内喜美子 (著) 大空出版 (2022/7/1) 1,980円

≪夕焼小焼≫作曲100周年記念出版

あなたは≪夕焼小焼≫の作曲者を知っていますか?

日本で一番よく聞かれる歌の秘密に迫る

防災無線から流れる≪夕焼小焼≫を誰が作曲したのか、ほとんどの人は知らない。

1922(大正11)年に作曲されたこの童謡(うた)の失われた100年を求めて、筆者は作曲者を訪ねる旅に出た。

作曲者・草川信の出身地は長野県長野市県町(あがたまち)。松代藩士の家に四男として生まれました。

父親の一成は明治維新後、県庁勤務から銀行へ入行。

母親の幾久も松代藩の財務を担当する家柄で、好奇心旺盛で活発な女性でした。

信は喧嘩やいたずらが絶えない子供時代を過ごしますが、音楽の道を志した二人の兄の後を追うようにして東京音楽学校(現在の東京藝術大学音楽学部)に進学します。

卒業後は、成蹊学園などで教鞭をふるう一方で、雑誌『赤い鳥』などに寄せられた詩に曲をつけ、数々の童謡を作曲します。

またレコード会社とも契約して、レコーディングや演奏会にも積極的に参加しました。

草川信の曲が『赤い鳥』に初めて掲載されたのは1921(大正10)年4月号。

北原白秋の詩に曲を付けた≪夢の小函≫でした。

以降≪夕焼小焼≫をはじめ≪揺籠のうた≫≪どこかで春が≫≪汽車ポッポ≫≪みどりのそよ風≫など、誰もが知っている多くの童謡を作曲しますが、同じ道を志した長男の宏を戦争で失い、戦後まもなく患った肋膜炎のために55歳という若さで亡くなります。

≪夕焼小焼≫を作詩したのは多摩出身の中村雨紅。

作曲した草川信との共通点は生家の近くに寺があったこと。

夕暮れ時、鐘の音を聴きながら、遊び足りない気持ちを胸に友だちと別れる。

そんな切ない思いを100年前に童謡に込めました。

草川信(くさかわ・しん)
1893(明治26)年、長野県長野市県町に生まれる。
1917(大正6)年、東京音楽学校(東京藝術大学)卒業後、渋谷区長谷戸小学校、東京府立第三高女、成蹊学園などに勤務。
1921(大正10)年、雑誌『赤い鳥』に参加。北原白秋などの詩に曲を付ける。また音楽指導にも多忙を極める。
1933(昭和8)年、音羽ゆりかかご会会長となる。
1948(昭和23)年、肋膜膿胸死。55歳。
主な作曲作品に≪夕焼小焼≫(中村雨紅)≪揺籠のうた≫(北原白秋)≪どこかで春が≫(百田宗治)≪汽車ポッポ≫(富原薫)≪みどりのそよ風≫(清水かつら)などがある。

著者について
1962年、福岡県北九州市生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、85年宮崎放送にアナウンサーとして入社。『朝のホットライン』(TBS)など、報道、ワイドショー、トーク番組に多数出演。88年10月に同社退社後、『サンデー毎日』記者を経てフリーのリポーターに。『サンデー・ニュース&スポーツ』(TBS)、『玉置宏の笑顔でこんにちは』(ニッポン放送)などを担当。91年に『告知せず』(文藝春秋)で作家デビュー。TBSでドラマ化され話題に。他に『海を渡るいのち』(講談社)、『患者の言い分』(時事通信社)など多数。2006年、『世界で一番売れている薬』(小学館)で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。また、09年には46歳にして東京藝術大学音楽学部楽理科に入学。13年卒業後、文筆活動の傍ら演奏活動や司会、朗読、ナレーションも務める。


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