わずか40秒だったけど…1966年のビートルズの前座はドリフ・仲本工事が主役だった

わずか40秒だけ! 1966年にビートルズの前座で仲本工事さんが歌うことになったワケ

10月18日の交通事故が原因で19日夜、81歳で生涯を閉じた「ザ・ドリフターズ」のメンバー・仲本工事。

1966年、列島が沸いたビートルズ来日公演の前座を務めました。

ドリフに加入

仲本さんは学習院大2年の62年、訪れたジャズ喫茶で演奏していたバンドに飛び入り参加。

そのバンドのドラマーが2歳年下の加藤茶でした。

同大3年時、故ジェリー藤尾さんの専属バンドの歌手オーディションに合格し、高木ブーと出会いました。

そして大学4年の64年、当時人気バンドだった「ザ・ドリフターズ」から声がかかったのです。

40秒で終わらせるには仲本工事のネタしかなかった

それから2年後、あのビートルズからオファーを受けたことについて、仲本さんはこう語っていました。

「最初にオファーを受けたときには『40分間やってくれ」という話で、かなりの数のネタを考えていた。でも、本番1週間前には持ち時間が20分になり、2~3日前には10分になった。さらに、前日になって『もっと短くしてくれ』。そして、当日になったら『40秒にしてくれ』となった」

40分が40秒になるという衝撃的な展開にもドリフは〝応えて〟みせたのです。

「40秒っていったら、やる曲なんて限られちゃう。ボクらのネタの中で唯一、その時間内に終われるのが『ノッポのサリー』という曲で、そのネタをやるときに歌うのがボクだったんだ。偶然に偶然が重なった結果〝ビートルズの前座で歌う〟という大役がボクに巡ってきたワケ」

当時の思い出がない…

会場の日本武道館のステージは階段の上り下りが大変で、実際に演奏したのは30秒ぐらいだったそう。

ちなみにビートルズと楽屋が別なのはもちろん、廊下の真ん中が幕で仕切られていてビートルズ専用の通路が設けられたぐらいだからすれ違いようもなかったそうです。

出番が終わって楽屋に戻った後も、ビートルズの演奏を堪能したわけでなく、ワーワーという歓声しか聞こえなかったそう。

あまりに何ごともなかったから、「当日の思い出が残ってない(笑い)。後年になってだよ。あっ、すごいことだったんだなって思ったのは」と振り返っていました。

まったく顔を合わせることがなかったとはいえ、大きな〝勲章〟になったことは間違いないでしょう。

ネットの声

「ドリフのメンバーはこのビートルズの前座の時の話をいろんなところでしてるけど、その短い持ち時間の中でも観客が殺気立ってるのがわかって、演奏し終えたら逃げるようにステージから降りたと言ってたな。」

「前座のライブで、ズッコケの効果をテンポ良く取り入れて演奏していたのはすごいと思った。
いかりやさんの最後の「逃げろ!」とか、今やっても十分面白いし、見ごたえのあるステージでした。
「全員集合」始まる前にこんなレベルの高いステージを務めていたなんて、ドリフのすごさを改めて思い知った。」

「「ビートルズの前座を務める」この事実は今から100年後もさらにもっと後にもこの国で語られ続けていると思う。」

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