ひろゆきが呆れる「見返りを求めて贈り物をする人」の心理
ひろゆきの代表作『1%の努力』では、「考え方の根っこ」を深く掘り下げ、思考の原点をマジメに語っています。
目次
「贈り物をする」「お返しをする」という文化
みなさんは、プレゼントを渡しますか?
あるいは、年賀状やお歳暮など、物を贈ったりしていますか。
日本特有の文化でもあるのですが、「贈り物をする」「お返しをする」という行為について、ちょっと述べてみようと思います。
贈り物は「勝手にどうぞ」
そもそも贈り物をすることは、「喜んでもらいたい」という好意からはじまります。
「美味しいものがあるから送ります」
「伝えたいことがあるから伝えます」
というように、自発的に「やりたい」からやるものです。
それについては、勝手にやりたければどうぞ、という行為だと思います。
贈り物にも経験による上達みたいなのがあると思う。相手がもらって嬉しいものを選ぶセンスだけでなく、相手に「もらいすぎだ」「お返ししなきゃ」と思わせないラインを見極めるとか、タイミングとか、少しずつ分かっていくようになっていく気がする。あげた後のソワソワがなくなっていく。
— june (@okiayt) April 13, 2022
「お返しがない」=「失礼」
しかし、いつの頃からか、「見返り」や「お返し」を求める文化になってしまいました。
「お歳暮を送ってくれるから、こちらもお返しをしないといけない」
「年賀状が来るから、お返事を書かないといけない」
というように、相手からお返しが来ることが前提になってしまったのです。
すると、お返しをしない人が現れたときに、「あいつは失礼だ!」となってしまうのです。
でも、これってかなり自分勝手だと思うんですよね。
親切爆弾みたいな贈り物もらって何かお返ししたいと思いつつとにかくのいちごくんの完成を急ぐことが重要だと泣きながらパーフェクトホワイト原稿に向き合ってる…
— たろ (@taro_komape) April 13, 2022
「譲歩」が好きな日本の戦略
日本の政治家は「譲歩」をします。
中国やロシアなどの隣国に対して、いい条件を与えることから政治的な解決をはかります。
でも、彼らからすると、「ラッキー。日本が贈り物をくれた」という意識しかないこともあります。
北方領土を取り返すことすら、日本は諦めてしまっている状態です。
この根底にあるのが、「きっと相手もお返しをしてくれる」という甘い願望だと思うんですよね。
ということで、贈り物をして相手からお返しを期待するような文化は、さっさと無くなったほうがいいと思います。
お返しが来ることを期待せず、来たら「奇跡的に超ラッキー!」くらいのものだと心得たほうがいいんですよね。
義母、いくら菓子折り、お土産、母の日の贈り物うちら夫婦から貰おうといっさいお返し無し、気が向いたら料理振る舞う、なぜか下着を買って寄越すぐらい、もちろん結婚祝いもなし??どういう風の吹き回しなんだー!嬉しいけどね!
— ogu@8m?? (@i1_1g) April 13, 2022
ネットの声
「確かに、贈り物に対して「お返し」を求めるのは、あまり良いことだとは思えません。ただし、冠婚葬祭に関しては、これは「儀式」と割り切っています。(仏事の場合などは宗教的な意味もあるし)。」
「贈り物を戦略的手段だと捉えている人は一定数いる。
ギブ&テイクが当たり前だと思ってるあまり、それを他人にも強要してしまうというか。
また、逆に自分が貰ってしまうと返さないといけない、面倒だ、借りが出来てしまうと思ってしまうので極力人からは貰わないってスタンスの人もいる(生きづらそう)。」「プレゼントを贈り合う文化自体は良い風習だと思います。
それによって普段からの人間関係の潤滑油みたいな効果があると思います。
但し、相手が中国やロシアなどの自国の利益しか考えない相手に対しては無意味というよりも逆効果になると思います。貢物をくれる従者くらいにしか考えない可能性が高いと思います。」
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