神田沙也加さん 松田聖子と確執と修復を繰り返す 2世タレントの中でも特別な親子
12月18日に急死した神田沙也加さんは、2世タレントの中でも特別な存在でした。
「聖輝の結婚」と言われた、松田聖子と神田正輝の一粒種。
生まれた時から芸能マスコミに注目され、常にプレッシャーと隣り合わせの人生だったのです。
特に聖子とは確執と関係修復を繰り返し、愛憎半ばする関係だったのですが、聖子にとってはどんなときでも最愛の存在でした。
目次
愛憎渦巻く?
聖子と沙也加さんは、ときに「一卵性母娘」と呼ばれる仲むつまじさを見せたかと思えば、しばしば深い溝をつくることもありました。
理由はさまざまですが、聖子は沙也加さんにとって最も苦悩をもたらした存在でした。
しかし、聖子にとってはいつだって最愛の娘だったのです。
沙也加さんの芸能界入りを最初は反対したのも、芸能界の厳しさを知り尽くしているからこそ。
2001年にデビューすると「やるとなったら、私が守っていかなくては」と話すなど母親の顔を見せていました。
しかし芸能関係者は「聖子さんは成功者として娘を本気で守りたいがために、時には沙也加さんがやりたいことに反対もしてきた」と話しますす。
しかし、恋と仕事に突き進む「松田聖子」の影はついて回りました。
出産、離婚後も歌手活動を継続し「ママドル」と呼ばれた聖子と共に転校を繰り返すなど、多感な時期を翻弄(ほんろう)されながら過ごした沙也加さんに、その真意が伝わらないことも多くあったのです。
沙也加さんの帝劇デビューの日、神田正輝さんと松田聖子さんが揃って観に来ていてカーテンコールの途中で退場されてたけどドアを出るギリギリまで振り返って沙也加さんを見つめてたお二人が今でも思い出される。ご両親の悲しみを思うと。
— rosamoon (@rosavioretta1) December 18, 2021
紅白では仲良しぶりも
05年に沙也加さんが離婚歴のあるギタリストと交際を始めた際には、聖子は猛反対。
沙也加さんは「ママは好き勝手やっているのになぜ私はダメなの」と猛反発し、家出しました。
その後の確執は深く、沙也加さんは芸能界引退を選ぶ覚悟でしたが、伯父が「人生何があるか分からないから休止という形にしなさい」と諭し、踏みとどまった経緯があります。
07年には同居生活を明かしたり、11年のNHK紅白歌合戦では母娘デュエットを披露。
歌唱中に2人で見つめ合い、顔を寄せ合うなど、仲良しぶりを見せつけたこともありました。
神田沙也加さんと松田聖子さんのこの歌が本当に綺麗で泣きそうになったやだよーー…… pic.twitter.com/kq3gZVFKD0
— むかで (@mukade_mogmog) December 18, 2021
関係が修復することなく
沙也加さんも成長とともに母の気持ちを理解し、良好な関係に落ち着くかと思われたのですが、再び関係のほころびが浮上したのが17年。
沙也加さんが聖子の知的財産を管理する所属事務所「ファンティック」から独立し、俳優の村田充(44)と結婚。
聖子は祝福コメントを出しませんでした。
テレビ局関係者は「それ以降、表立った関係修復は見られないままだった」と話します。
そのような中、突然の別れ。
「聖子さんはさぞ無念だろう」(同関係者)
沙也加さんがデビューした際、聖子は「やっぱり親子という感覚でしかなくて、ただただ親が子供のことを心配しているという状態」と話していました。
レコード会社幹部は「さまざまな苦難を乗り越えてきた聖子さんだが、愛娘を失った精神的ダメージは想像を絶するもの」と話しています。
松田聖子が妊娠中にさんまのまんまに出てたのはっきり覚えてる。さんまさんが、汚れた手で触ったら悪いからって手にラップ巻きつけてお腹触ってた。
その子が神田沙也加ちゃん… pic.twitter.com/Fme8VTIZmE— 鷹美 (@hawks_hakm) December 18, 2021
ネットの声
「二世タレントってやたら家族仲良しアピールするか、逆に親子の話完全NGかの両極端が多い気がする。この母子はやや特殊というか、親子であることは周知だけど家族仲アピールはなく、どちらもプロ意識を大事に活動していた。故人に何があったかは知る由もないが、全くなんの前触れもなく愛娘を失った親の悲しみは想像するだけで胸が痛む。」
「母親にとって娘は元気に頑張ってくれてさえいればそれでいい。疎遠な時期があったって各々の人生。こんな形で子供を失うなんて悲しくてあまりにも辛すぎる。神田さんも聖子さんも悲しみが癒えることはないと思います。」
「仲がいいことだけが全てではない。親子だって色々ある。でも、同じ世界で生きているのだから、お母さんのこともすごいって思ってたんじゃないかなぁ。ずっと歌だけを歌って生き抜くってすごいことだよ。そんなお母さんやお父さんを見て、嫌なこと、辛いこと、楽しいこと、いっぱいあっただろうにね。ちゃんと、聖子ちゃんの娘じゃなくて、「神田沙也加」として認められてた存在だったのに。」