歴史に残る偉人のキンタマ受難…世界金玉考

勝海舟はイヌにキンタマを食いちぎられ、鈴木貫太郎は銃弾がキンタマに当たって死んだ

着物の前をめくってみたらキンタマがない

金玉、睾丸(こうがん)、陰嚢(いんのう)、精巣、ふぐり。男子の本懐たるキンタマについて、あらゆる切り口から考察した奇書『世界金玉考』(左右社)が刊行されました。

医学、生物学、歴史学、文学、言語学、芸術、食文化など視点は多岐にわたり、240ページのすべてがキンタマの話題で埋め尽くされています。

勝海舟といえば、江戸時代の1860年に咸臨丸(かんりんまる)に乗って太平洋を横断し、アメリカに乗りこんで見聞を広めてきた剛の者として知られています。

戊辰戦争によって江戸が新政府軍に包囲されると、新政府軍の頭領である西郷隆盛と直談判し、江戸無血開城を成し遂げました。

今も『氷川清話』が読み継がれる勝海舟が、少年時代にイヌにキンタマを食いちぎられて死にかけたというから爆笑です。

〈海舟が九歳のとき、近所へ稽古に出かけた際に、病気の犬にキンタマを喰われてしまった。近所の人が助けてくれて、家で寝ていた俺に知らせてくれたから慌てて出かけた。

息子は積んだ布団にもたれかかっている。着物の前をめくってみたらキンタマがない。成田と言う医者が来ていたので「命は助かるか?」と聞くと、「難しい」との返事。駕籠に乗せて家へ連れ帰り、篠田という医者を呼んだが、その医者がブルブル震えている。仕方がないので刀を抜いて、白刃を枕元に突き立てて、気合を入れた。
なんとか傷口を縫い終わったが、医者は「命の保証はできかねる」というので、家の者は泣いてばかりいる。ええい、泣いてばかりいるんじゃない! と叱り飛ばし、その晩から俺は水をかぶって快癒を祈った。

いつも俺が抱いて寝て、他の者には手も触れさせない。毎日大声を上げて暴れていたら、近所の者が「息子を犬に喰われて気が違った」という始末だ。が、七十日ほどして全快し、息子は床を離れた。以来、何ともない。病人は看病することが大事だよ。〉(『世界金玉考』88ページ、勝海舟の父親が書いた手記を西川清史氏が意訳)

西郷どんの巨大キンタマ伝説

NHK大河ドラマで描かれた西郷どん(西郷隆盛)は、キンタマが巨大すぎて馬に乗れなかったのをご存知でしょうか。

フィラリアという寄生虫のせいで、西郷どんのキンタマは肥大して股間が盛り上がっていたそうです。

『世界金玉考』(93ページ)では、中里介山の大河小説『大菩薩峠』で描かれる西郷どんキンタマ伝説が紹介されています。

〈「何しろ、西郷どんはそのずうたいでございましょう、駕籠(かご)に乗ってはたまりません、駕籠もたまりま

せんし、第一雲助がたまりませんね――それじゃ馬がよかろうとおっしゃるかも知れませんが、馬が駄目なんです」

「なんだ、意気地が無(ね)え、馬にも乗れねえ薩摩っぽう」
(略)
「そういうわけじゃございません、侍が馬に乗れないとあっては恥でございますが、西郷どんのは、馬術不鍛錬で馬に乗れないのではなく……つまり、あの人のキンタマが大き過ぎて、それで馬には乗れないんだそうでございます」

「なに、キンタマが大き過ぎて馬に乗れないのか。西郷という奴、そんなにキンタマのでかい奴かなあ」

「は、は、は……」〉(『大菩薩峠』ちくま文庫)

西郷どんがいつも愛犬「つん」と歩いていたのは、馬にまたがることができなかったからなのです。

〈フィラリアは飼い犬の病気としてよく知られているが、人にも感染するらしい。フィラリアとは、「糸状虫」という寄生虫の一種で、その同類の「バンクロフト糸状虫」は人間のリンパ管内に寄生し、象皮病や陰嚢水腫をひきおこすという。糸状虫の大きさはオスが四センチ、メスが十センチほど。日本でもかつては九州や西南諸島を中心に、本州でも見られる病気だった。西郷は奄美大島や沖永良部島に島流しにあっているので、そのときに感染したのかもしれない。〉(『世界金玉考』95ページ)

なお西郷どんは、明治維新敗軍の将として、切腹のうえ介錯(斬首)を受けました。

遺体が西郷どんであると特定できた理由は、肥大した巨大なキンタマのおかげなのでした。

二・二六事件でキンタマを狙撃

鈴木貫太郎は、太平洋戦争末期から終戦に至る1945年に内閣総理大臣を務めました。

1936年の二・二六事件では、陸軍青年将校に襲撃されて瀕死の重傷を負っています(当時は侍従長)。

4発の銃弾を被弾したうち、1発は股を貫通してキンタマに当たったそうです。

〈鈴木が浴びた銃弾は四発だった。一面血の海で致命傷といってよかった。一発は眉間から頭蓋骨をぐるりとまわって左の耳にぬけ、一発は左の乳から心臓すれすれに背面にまわり、一発は左の腿から入り、股を貫通し睾丸にとまった。残る一発は肩に当たったが、平素から毛糸のシャツを着、その上に本ネルの単衣をかさねた真綿入りの寝衣を着ていたので、肩の線にそって下に落ちた。〉(『世界金玉考』110~111ページ)

日本医科大学病院で救急治療を受けた鈴木貫太郎は、奇跡的に命を取り留めます。

鈴木のキンタマはいったいどのような状態であったのか…。

『世界金玉考』(112ページ)では、半藤一利氏の著書を引用しながらキンタマの状況を紹介しています。

〈弾丸のありかが調べられた。体内にとどまった弾丸は二発、心臓のうしろと陰?のなか、であった。内出血で侍従長の陰?はボール玉のようにふくれ上がっていた。
二月二十八日、塩田博士は、ふと思いついたように、「鉛玉、金の玉をば通しかね」という駄句をものして呵々(かか)大笑した。もう安心、こっちのものになりましたよ、という笑いであった。たか夫人もはじめて愁眉をひらいて、久しぶりにホホホと笑った。〉(半藤一利著『聖断 天皇と鈴木貫太郎』文春文庫)

キンタマをめぐる、実に味わい深い現代史のヒトコマです。

ネットの声

「西郷隆盛は袋が異常に大きかったらしい。」

「勝手に殺された鈴木貫太郎
終戦は幻だった?」

「温度が急激に変化すると、キンタマ内の精子が死んでしまう。そこで寒い場所では皮が縮こまって体温を保持し、反対に暑い場所では皮を伸ばして温度を体外に放出する。こうしてキンタマの皮が、内部の精子を守っていると言われる。」

世界金玉考 西川清史 (著) 左右社 (2022/11/30) 1,980円

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生物学、歴史、文学、芸術、食……あらゆる分野からキンタマを真剣考察。

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人生の3分の2は金玉のことを考えてきた。
――みうらじゅん氏

なぜぶら下がっているのか?

なぜたぬきのキンタマは大きいのか?

そもそもなぜ“キンタマ”と呼ばれているのか? etc.

その誕生の瞬間から、世界各国のキンタマスラング、勝海舟や西郷隆盛など偉人たちのキンタマ逸話、尾崎士郎や正岡子規など文豪によるキンタマ文学、ミケランジェロのダビデ像にいたるまで、∞(無限)に広がるキンタマの世界に迫る。

追えば追うほど謎は深まり、好奇心に気持ちはぶらぶら……黄金の秘宝を求める冒険家のごとくキンタマに挑んだ著者渾身の一冊。

読んだ後では世界の見え方がぐるりと変わる、史上初のキンタマ読本!

∞目次∞
はじめに

Ⅰ 人類とキンタマの起源
まず「キンタマ」を定義する
なぜ縮み上がるのか?
キンタマ誕生の瞬間
位置関係が逆?
冷却仮説から全力疾走仮説まで
人間の基本仕様は女性
ある確率で「改変の失敗」は起きた
年代もの金カップを見に行く
悶絶中に起こっていること
江戸時代にあった「陰嚢蹴りの刑」

Ⅱ キンタマ言語学
なぜキンタマと呼ばれるのか?
キンタマことわざ一覧
悲しき花名、イヌノフグリ
キンタマの英語、フランス語
キンタマのネパール語
キンタマのフィンランド語、マレーシア語
キンタマのチェコ語
キンタマの中国語
キンタマのドイツ語

Ⅲ 明治維新とキンタマ
犬に喰われた勝海舟のキンタマ
父・勝小吉はキンタマを打って気絶
腫れあがっていた西郷どんのキンタマ
『翔ぶが如く』のキンタマ描写
人前で晒した藤田東湖
ふんどしは聖なるコスチューム
鈴木貫太郎総理のキンタマに弾が!
ヒトラー片キン説を追う

Ⅳ 全裸の古代ギリシャ・ローマ彫刻を鑑賞する
歌川国芳のキンタマ絵
たんたんたぬきの元歌は讃美歌
ミケランジェロ・ダビデ像の気持ちは股間で分かる
それはルネッサンスの終わりに隠された
古代彫刻の陰嚢を観察した医師がいた

Ⅴ 作家の密やかな友人
北杜夫が見とれたキンタマの蠢動
葛西善蔵が見たがった石坂洋次郎のキンタマ
ペニスが主人、キンタマが従者の奇書
映画化されていた!
筒井康隆『陰悩録』の抜けないキンタマ
山田風太郎の「コナをふいたキンタマ」とは何か
正岡子規キンタマ句の哀切さよ
加藤清正が贈った「金玉」姓
鳥取県と石川県のキンタマ民話

Ⅵ 失われたキンタマ
切られたキンタマは「宝」となる
宦官たちの生活
カストラートの野性と官能
性分化疾患の難しさ
睾丸摘出手術を受けたトランスジェンダー女性に話を聞く
去勢の世界史
ペットの去勢について専門家に話を聞く

Ⅶ キンタマを食らわば皿まで
きゃん玉刺 ¥900
もうしばらく、キンタマはいいよな

あとがき
索引

 

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