琉球切手を旅する 与那原恵 (著) 中央公論新社 (2022/12/8) 2,090円

米軍施政下沖縄の二十七年

私の目を引いたのは、沖縄から届く封筒に貼られた美しい切手でした。

「琉球郵便」の文字、額面はセントで表示されている切手の図柄は多彩でした。

見たことのない南国の植物、鮮やかな色をした魚、紅びん型がた紋様、琉球舞踊、文化財や工芸品……。

いつも異なる図柄の切手だったので、手紙が届くとまっさきに確かめるようになりました。

いきいきと描かれている動植物はとてもきれいで、友だちに「沖縄のお魚は青いの」と言っても信じてもらえなかったのですが。琉球舞踊の切手には県人会で見た演目が描かれていてうれしくなりました。

ふだん目にする日本の切手とはまったく違うそれらの切手は「琉球切手」と呼ばれるもので、沖縄で作られているということでした。

父が切手は国ごとに作られていると教えてくれたのですが、そうすると、沖縄は外国なのか、という疑問が起こります。

父は琉球王国が沖縄県になった歴史や、戦争のあと米軍が治めていて沖縄だけの切手があること、ドルやセントが使われているのだと説明してくれるのですが、それを聞いても、沖縄が日本なのか外国なのか、私にはよくわかりません。

米軍施政下に置かれたのち一九四八年七月から七二年四月まで、普通切手・記念切手・航空切手など二百五十九種(再刷含む)の琉球切手が発行されていたと知るのはのちのことです。

琉球切手はいまも沖縄の家に多数残っているという話を耳にします。

切手としては使えないけれど、手放したくないという人や、ブームのさなかに買い、売りそびれてしまったという人。

どこかの家の古い箱に忘れられたまま、ひっそりと眠っている切手もあるでしょう。

そんな琉球切手は、こんなふうにつぶやいているのかもしれません。

沖縄が米軍施政下だったころ、私たちは「言葉」を運んで、旅をしたのだよ、と。

「Final Issue」の切手が発行されてから五十年。けれどいまも沖縄には米軍基地が広がり、米軍統治時代の終止符が打たれたとはいえない状況です。

そんな沖縄からの「言葉」は、本土に届いているのでしょうか。


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