わたしは灰猫 青山繁晴 (著) 扶桑社 (2020/11/12)

不安の時代に抗する、現代レジスタンス文学の誕生。

エンタメと純文学の融合を実現した物語、肉体の躍動による命の奇蹟を文章で表現!

未知の感染症によって、これまでにない不安の時代が続いている。

人間の命をめぐるその情況に、この物語は新しい鮮やかなカタルシス、新しい生き方を暗示する。

現代レジスタンス文学運動の始まりとも言うべき、運命の一作である。

実に18年4か月もの歳月をかけて熟成させた小説、それは伊達ではないことを感じさせる。

一字一句まで神経が行き渡り、人間から動物、昆虫、そして木々に草、苔までの命をとらえ、その死すべき運命にいかに抗するか、この永遠にして、もっとも根源的なテーマを、〝謎〟を追う緊迫した物語に乗せて追求していく。

筆者は多様にして異色の経歴と活動のなかで、ノンフィクション作家として複数のベストセラーを持ち、今年度の「咢堂ブックオブザイヤー」を受賞している。

純文学としてすでに「平成紀」(幻冬舎文庫、親本は2002年発行)を世に出し高い評価を受けた。

小説の書き手としては、そこから満を持しての二作目であり、再出発となる。

「アラスカ育ちの若い女性咲音。山中でひとり暮らす老婆『灰猫』の謎。
何年かに一度、出現する森の中の湖。青山さんが、こんなにみずみずしい感性を持ち続けていたことに驚く。
コロナ時代の『復活』の書、清冽な水の音が聞こえるような小説だ」
『月刊Hanada』編集長・花田紀凱

「普段の発信からは想像出来ない、前作とはまるで良い意味で異なる、瑞々しく、鮮やか。でも、日本人らしく主張が穏やかで和やかで、こんな透き通った文章は初めて読みました。実際にお会いすると、この小説を書いたお人柄が分かります。」

「読んでいる期間、なぜかずっと涙もろかった。独りで歩く時間、黙って信号待ちをする時間、亡くなった父や高齢の母の人生を想い、目の端が潤むのを感じた。
一読したあと、最初の頁に戻ってみた。余韻の覚めぬうち、忘れていた小さな出来事を思い起こした。それまで毎日、通勤時間や昼休みにだけ読んでいたのだが、自宅で朗読を始めた。なめらかな日本語がよみやすく声にのる。母国語の表現の豊かさにあらためて心動かされた。
日常では数少ない死との関わりに、鮮明に意識を向けさせてくれた。と同時に、灰猫の姿に命のきらめきが見えた。人生は限られるからこそ価値があり、苦しみの中にも喜びがある。手も触れ合えない時世に在って、こころが通った一瞬を思って嬉しくなった。」

「本は、できあがっただけでは、本になりません。読者ひとりひとりに読まれ、そのおひ
とりの体験、思想、感覚、全部を通過して、そのひとだけのものになります。」
本著は、18年と4か月前の平成14年、西暦2002年の3月16日。それから11年と4か月近く、
揺れる電車の中やバス、タクシーに乗っているときを中心に、もっぱら隙間の時間を使っ
て書き続けて、初稿が完成したとのこと。
掲載が決まっていた文芸誌の編集長が交代すると、その会ったことも話したこともない新
編集長に一字も読まれないまま「青山繁晴の原稿は載せない」と拒まれて、宙に浮く。
しかし、そのこともまた、天の差配と考えて、「苦労してようやく書いたのに」とは考え
ずに、何度も何度も改稿を続けたという。

その一方で、原稿を読んだ扶桑社の編集者、それはノンフィクションの「ぼくらの祖国」
を担当してくれた編集者が、「ぜひとも世に出したい」と仰って、単行本としての出版が
決定――。その後は、速攻俊足。8年4か月かかった小説の、400字詰め原稿用紙にして
211枚ほどのゲラの直しを、わずか3時間あまりで終え、まったく無理のない作業であっ
たという。本著は、紆余曲折の「トンデモナイ!」苦労書であろう。」


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