闇の盾 政界・警察・芸能界の守り神と呼ばれた男 寺尾文孝(著) 講談社 (2021/6/2)

「決断力、人脈、胆力のいずれの面でも、傑出した人物。それが寺尾さんです」(元総理大臣・細川護熙)

「これほど胆力のある人はほかにいない。こんなに顔の広い人には、会ったことがない」(野球解説者・江本孟紀)

年会費は2000万円、日本最強・最高の危機管理会社・日本リスクコントロール。

著名政治家、一流企業経営者、「芸能界のドン」と呼ばれる大物、さらには暴力団組長までが頼りにする「駆け込み寺」だ。

依頼は紹介者からの紹介があったときのみ、電話番号も公開せず、ホームページすらないが、依頼が途絶えることはない。

「あなたが本当に無実だったら助けてあげる。ただ、私の調べは捜査一課よりもきついかもしれないよ」

日本リスクコントロール代表の寺尾文孝社長は、警視庁機動隊員を経て秦野章元警視総監の秘書となり、警察・検察に圧倒的な人脈を築いた。

バブル期には、元暴力団組長に乗っ取られかけた大証一部上場企業・日本ドリーム観光の副社長として闇勢力の排除に尽力し、ダイエー・中内功社長に会社を売却した。

許永中、伊藤寿永光、高橋治則、後藤忠政、中江滋樹らと対峙し、自らも不動産会社を設立して大規模なリゾート開発も手掛けたが、バブル崩壊で頓挫。

その後は危機管理専業となり、数多くの依頼を処理してきた。

徹底した事前調査と情報収集によって「突破口」を見出し、政界・官界の中枢に張り巡らせた人脈をつなげることで、ひとつ一つ案件を処理していく。

その評判を聞きつけ、また新たな依頼主が現れる――。

波乱万丈、息をもつかせぬ圧巻の手記。

著者について
寺尾 文孝
1941年、長野県佐久市出身。岩村田高校卒業後、1960年警視庁入庁。東京水上署、第一機動隊勤務を経て、1966年に退職。
その後元警視総監の秦野章参議院議員の私設秘書となる。
1976年に株式会社エーデル・パレスを設立、伊豆狼煙崎などの開発に取り組むが、バブル崩壊で頓挫する。
1999年、元警察庁中国管区警察局長の保良光彦氏とともに、危機管理会社・日本リスクコントロールを設立。
仕事の依頼はすべて口コミで、宣伝は一切せず、電話番号は非公開、ホームページさえ作ったことがないが、政治家、企業経営者、宗教団体、著名人など、あらゆるところから持ち込まれる相談ごとやトラブルに対処し、解決する知る人ぞ知る最強の「仕事人」。

「こういう人に小室圭問題を解決してほしい。そういった人が何故現われないのか…」


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