天才でエゴイスト 誰も彼女には手が届かない
18世紀ベルギー、フランドル地方の小都市シント・ヨリス。ヤネケとヤンは亜麻を扱う商家で一緒に育てられた。
ヤネケはヤンの子を産み落とすと、生涯単身を選んだ半聖半俗の女たちが住まう「ベギン会」に移り住む。
彼女は数学、経済学、生物学など独自の研究に取り組み、ヤンの名で著作を発表し始める。
ヤンはヤネケと家庭を築くことを願い続けるが、自立して暮らす彼女には手が届かない。
やがてこの小都市にもフランス革命の余波が及ぼうとしていた――。
女性であることの不自由をものともせず生きるヤネケと、変わりゆく時代を懸命に泳ぎ渡ろうとするヤン、ふたりの大きな愛の物語。
佐藤亜紀『喜べ、幸いなる魂よ』
いま半分ほど。18世紀フランドル地方の風土風俗を徹底的に調べ上げ構築された世界。大きな指先で自分がつまみあげられその大地にほれ、と下ろされたような安心感とともに読める。点在する亜麻のイメージがまたよい……赤子の描写がむちゃくちゃかわいいのでもうね pic.twitter.com/YRtBspGH2k
— Ram Origami (@RamOrigami) March 14, 2022
著者について
佐藤 亜紀:1962年、新潟に生まれる。1991年『バルタザールの遍歴』で日本ファンタジーノベル大賞を受賞。2002年『天使』で芸術選奨新人賞を、2007年刊行『ミノタウロス』は吉川英治文学新人賞を受賞した。著書に『鏡の影』『モンティニーの狼男爵』『雲雀』『激しく、速やかな死』『醜聞の作法』『金の仔牛』『吸血鬼』『スウィングしなけりゃ意味がない』『黄金列車』などがある。
「私が最も高くその能力を評価するのは、団体や政府の応援なしに、障害を乗り越えながら目的地に到達するひとびとである。
と、著者がかつて発言していて、まさにそういう話。
ヤネケにとっての障害は、近世ヨーロッパで、女性であった事。ただそれだけ、ただそれだけなのに、ヤネケの希望通りの生活をするのにあたって乗り越える困難はたくさんある。それを軽々乗り越える。そこに感嘆の念を抱かざるをえない。
反対にヤンの障害は近世ヨーロッパで男性である事、いい事と見せかけて、沢山の義務に縛られている。そして、ヤンは、それをヤネケのようには乗り越えられない。意に沿わない事、ままならないもの受け入れる。
そんな二人を軸に回るお話です。
ヤケネの確率論─ばらつきが、繁殖によって生じるばらつきが、神の与える機会である、と論じられる様は鳥肌がたちました。
特筆すべきは、二人の子であるレオの書き方。ネタバレになってしまうので詳しくは描かないですけど、主人公の子供をこんな風に書ける人って、世界中探しても佐藤亜紀さんしか居ないんじゃないかと思う。しかも中途半端な退場は許さず、最後まで描いているという。散々人でなしだと言われるヤネケだけど、最後のシーンでのレオについての言葉、私は深い愛を感じました。」
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