「そよ風の誘惑」などがヒット、オリビア・ニュートン・ジョンさん死去…30年以上乳がんと闘病
「フィジカル」など多数のヒット曲で知られる英国出身の人気ポップス歌手オリビア・ニュートン・ジョンさんが8月8日(日本時間9日)、米西部カリフォルニア州の牧場で死去したと、親族が発表しました。
73歳。死因は明らかにされていません。
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「愛の告白」「そよ風の誘惑」など全米1位に
オリビアさんの公式フェイスブックによると、家族と友人にみとられ、安らかに天国へと旅立ったそう。
2013年に乳がんが再発し、17年にせき髄、19年に背中に転移し、闘病生活を送っていました。
1948年、英南部ケンブリッジ生まれ。幼少時に家族とオーストラリアに移った後、10代半ばで歌手としてのキャリアを歩み始めました。
英国や米国を拠点に、70~80年代に「愛の告白」「そよ風の誘惑」など全米1位のヒット曲を連発。
81年発売の「フィジカル」は米ビルボード10週連続1位。エアロビクスをしながら歌うミュージックビデオも話題を呼びました。
女優としても活躍
女優としても活躍しました。
78年、俳優ジョン・トラボルタ(68)とミュージカル映画「グリース」で共演。
米ゴールデン・グローブ賞主演女優賞にノミネートされ不動の人気を確立。映画「ザナドゥ」(80年)では、米俳優のジーン・ケリーさん(96年死去、享年83)と共演。挿入曲もヒットしました。
一方で、闘病も続いたのです。
92年に乳がんと診断され活動休止していましたが、手術と化学療法で克服。
当時の心境について、06年のスポーツ報知のインタビューで「音楽をやめようと思ったけれど、曲がわき上がり、やめるにやめられなかった」と歌に救われたことを明かしていました。
オリビアさんのフェイスブックは「オリビアは30年以上にわたって乳がんとともに生き、勝利と希望のシンボルでした」とつづっています。
乳がん早期発見の啓発活動に力を注ぎ、メルボルンにオリビア・ニュートン・ジョンがん健康研究センターを設立。
痛みの緩和に用いる医療用大麻の合法化を訴えていました。
親日家としても知られ、訪日は10回以上。
21年秋の叙勲で旭日小綬章を受章しました。
東日本大震災から4年後の15年に福島・福島市で開いたコンサートを特に忘れられない思い出に挙げています。
オリビア・ニュートン・ジョン亡くなる、73歳??
????ではJ・トラボルタとの『グリース』の文脈で追悼されているけど、????ではオリビアの主演・主題歌曲と言えばELOが作曲・演奏を手掛けた
『ザナドゥ』
の方が印象大ですな
R.I.P https://t.co/Uffq0lFE2D— 伊丹十三世 (@Astroterras) August 8, 2022
オリビアさん惜しむ声が相次ぐ
オリビアさんの悲報を受け、突然の別れを惜しむ声が相次いでいます。
映画「グリース」で共演したジョン・トラボルタはインスタグラムを更新。
「親愛なるオリビア、私たちの人生を素晴らしいものにしてくれた。その衝撃は信じられないほど。あなたのことが大好きだった」と追悼。
「また一緒になれるさ。いつか会いましょう」と前向きに送り出したのです。
杏里「今も心に」 1978年、「オリビアを聴きながら」でデビューした歌手・杏里(60)。
インスタグラムで「大切な宝物、光を失ってしまいました。あなたがいたから、この作品が生まれ、今の私があります。数年前に直接お会いすることができて、その時の笑顔や言葉が今も心に残っています」と思いをつづっています。
同曲を作詞・作曲した尾崎亜美(65)もツイッターに「改めて感謝の思いをささげたい」と悼んでいました。
「オリビアを聴きながら」という曲はオリビア・ニュートンジョンさんの「Making a Good Thing Better」というアルバムタイトルに触発されて作りました。改めて感謝の思いを捧げたいと思います。どうか安らかに。
— 尾崎亜美Official (@amii_ozaki) August 9, 2022
ネットの声
「「そよ風の誘惑」をはじめ数々の曲が日本でも大ヒットしましたね。昔のアルバムをあらためて聴いてみようと思います。
伸びやかな高音域と澄んだ歌声は、当時、洋楽を聴くきっかけになった方も多いと思います。
ご冥福をお祈りいたします。」「若い頃、洋楽にあまり興味がなかった私でも、カーペンターズとオリビアはよく聞いていました。とてもさびしい気持ちと共に、ありがとうと伝えたい。子どもたちはカントリーロードをジブリで知りましたが、この機会にオリビアのカントリーロードを聴かせたくなりました。」
「イギリスの大学の町ケンブリッジ生まれと初めて知りました。おとぎ話に出てくるような絵に描いたような美しい町です。祖父がノ-ベル物理学賞を受賞しているのでケンブリッジ生まれなのだとわかりました。
聖子ちゃんカットも彼女からきていると以前テレビで紹介されていました。
グラミー賞だったか、アメリカのテレビ番組だったかアンディギブと司会しているシ-ンが忘れられないです。」