松田聖子と言えば『夏の扉』だと思うんですよ

下降気味だった松田聖子の人気に再び火をつけた名曲『夏の扉』

住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう! わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、髪形やしぐさを“まねっこ”したスターの話。

活躍する同世代の女性と一緒に、“80年代”を振り返ってみましょう。

人気に陰りがあった!?

「『夏の扉』(1981年)は、まさに“私たちの80年代”を代表する、王道のアイドル曲。デビュー曲の『裸足の季節』(1980年)と同様に、資生堂「エクボ」のCMでも採用されました。

近年でも、聖子ちゃんのコンサートのラスト曲や、終盤の盛り上がる曲として使用されており、会場全体で『フレッシュ! フレッシュ!』と一緒に歌うのが、ファンのあいだでは定番です」

そう話すのは、世代・トレンド評論家の牛窪恵さん。

『夏の扉』は、聖子にとって5枚目のシングルです。

「デビュー後、ほどなくトップアイドルへと上り詰め、『青い珊瑚礁』『風は秋色』(ともに1980年)と次々にヒット曲を連発。ところが4枚目の『チェリーブラッサム』(1981年)は、それまでの聖子ちゃんとは違う曲調だったこともあってか、ファンばかりか、本人にさえ、戸惑いがあったといわれています。“聖子ちゃんブームも、峠を越えたか”と、人気のかげりまでささやかれ始めましたが、そんな評価を払拭したのが『夏の扉』です」

↑いやいや『チェリーブラッサム』も全然いいけどね

“やっぱり聖子ちゃんはスゴイ”と再認識

前作に続き、作詞は『青い珊瑚礁』(1980年)も手がけた三浦徳子で、作曲は「チューリップ」リーダーの財津和夫。

「吉川晃司さん、河合奈保子さん、中山美穂さんらの曲や、『SWEET MEMORIES』(1983年)など聖子ちゃんのヒット曲も多く担当した、大村雅朗さんがアレンジしています。この豪華メンバーが生み出した、いかにも“はい、これからお待ちかねのアイドルが出てきますよ”という気持ちにさせる、シンセサイザーで始まるイントロが特徴的で、一気に心がつかまれました。透明感のある聖子ちゃんの歌声ともマッチしており“やっぱり聖子ちゃんはスゴイ”と、再認識されたのです」

やっぱり『夏の扉』

曲の冒頭、歌詞に合わせ、髪にハサミを入れるような振付も、印象的でした。

「いわゆる“聖子ちゃんカット”は、聖子ちゃんが東京・四谷のヘアサロンと相談を重ね、“最先端”と“アイドルらしさ”を追求して作り上げたものだともいわれています。また、かなりのこだわりを持っていたため、当時は髪形を変えることを悩んだとも。ところが『夏の扉』を発表した翌年、聖子ちゃんカットと別れを告げて髪を切り、また新たな話題に。『夏の扉』は聖子ちゃんが新しいフェーズに移行するきっかけとなった曲ともいえそうです」

ネットの声

「下降気味なんて全く思いませんでしたよ。風は秋色やチェリーブロッサムに至るまで、次々に新曲が出る事に聖子ちゃんの歌が益々好きになって行きました。子供心にもイントロやサビの部分にワクワクさせられました。今では少なくなった「長めなイントロ」は曲を表す名刺のような存在でした。

確かに夏の扉は今でもカバーされたりと、曲もインパクトがあるのでこの曲が更に彼女をブレイクに導いた印象を持つ方もいるかもしれませんね。

令和に生きる若者に80年代の曲が刺さるのは、昭和ならではのアナログでドラマチックな歌詞だったり、コンピューターが普及していない時代にも関わらず、完成度の高い曲に魅力を感じるのでしょう。」

「「青い珊瑚」路線を続けていたら、今の松田聖子はなかったと思う。一介のアイドルで終わったかもしれない。
小田裕一郎から、財津を初めとするシンガーソングライターへ作家陣を変えていったことが、時代の先駆けとなり、結果として「松田聖子ブランド」を確立していくことになった。
「たかがアイドル」でなく、聴くに値するレコードを次々と作り出したことは、松田聖子チームの偉大な成果。

音楽以外の面に関しては、僕はわからないけど、その方面でもきっとうまく、他との差別化をしていったのだと思う。」

「確かに、夏の扉は、アイドルらしく爽やかな曲ですが、なんと言っても聖子さんが、歌手としてワンステップ飛躍した曲は、赤いスイートピーです。リアルタイムで当時を知っているものとしては、一アイドル歌手から、女性アーティストとなったように記憶しています。それまでは、男の子のファンが多かったイメージですが、赤いスイートピーからは女性ファンが、グッと増えました。髪型も少し短めの聖子ちゃんカットに変わり、可愛い!と評判でしたよ。松本隆Χ呉田軽穂は、最強です。」



おすすめの記事