平成の借金王“安田忠夫”は令和になっても“ろくでなし”だった

“平成の借金王”安田忠夫、現在は工事現場の警備員 スマホ競艇に没頭「毎日がその日暮らし」

YouTubeチャンネル「アントニオ猪木『最後の闘魂』」に「INOKI BOM-BA-YE×巌流島 in 両国(猪木祭り)」(12月28日、両国国技館)に関する動画が11月3日と4日、相次いで公開されました。

角界からプロレス界へ

内容は、安田忠夫(59)に関するもの。

安田といえば、大相撲時代は孝乃富士の名で小結まで昇進したのですが、1993年には新日本プロレスに入門しプロレスラーに転向。

“平成の借金王”と呼ばれるほど、根っからのギャンブル好きで借金苦に陥っていたために家族とも別れることになったのですが、2001年の大みそかに一念発起。

さいたまスーパーアリーナでの「猪木祭り」に参戦すると、“K-1の番長”と呼ばれ、最強を誇っていたジェロム・レ・バンナに勝利し一躍“時の人”となった人物です。

しかし、その後も生来のギャンブル癖が抜けず、11年には引退興行も実施されたのですが、結局、職を転々としながら、最近はその行方が知れない状態になっていたのです。

動画では、猪木軍の小川直也総監督が一部メディアに安田への投書があったことをきっかけに、「猪木祭り」やアントニオ猪木さんとの縁から、捜索企画を開始すると、2週間後に谷川プロデューサーがその所在を突き止め、実際に会いに行くことに。

夜遅い時間と思われる時間帯で再会した両者だったのですが、現在の安田は工事現場などの警備の仕事に付いていました。

そこで仕事を終えた安田と待ち合わせ、仕事場付近の寿司屋で食事をしながら話を聞くことになるのですが、現在の仕事は6、7年続けていると話す安田。

改めて「ギャンブルは?」と問うと、「やらないはずないじゃないですか。俺からギャンブルを取ったら何が残るの?」とらしさ爆発のコメント。

しかも今はスマホで競艇をやっているため、いくらあっても足りないとしながら、

「毎日がその日暮らし」と話す安田。

「正直、3日間くらいは勝つんですけど、5日目にはゼロ、もしくはマイナスになってます」とろくでなしぶりを披露。

猪木が会いたがっていた

ちなみに生前の猪木さんは安田のことを「パチンコ」と呼んでいた会いたがっていたらしいのですが、そのことを告げると、「パチンコは競艇が当たらないから行けない」と笑いながら、

「その話を聞くと心苦しいですけど、出来の悪いヤツほどかわいいって言いますよね」とさらに笑ってみせたのです。

「谷川さんにこんなことを言うと怒られちゃうかもしれないですけど、プロレス界って、死んだ人でカネをもうけようとするヤツがいるじゃないですか。分かります? 今回でも売名行為のように、普段は悪口を言っているヤツが、猪木さんはいい人でしたって、お前、おかしいじゃねえかっていうヤツがいっぱいいますよね。その時点でもう嫌なんです。死んだ人に対するアレ(礼儀)がないから。だから余計貝になっちゃう。絶対に出て行かない」(安田)

これを聞いた谷川プロデューサーは、「いや、僕はこれ(猪木祭り)、ホントは猪木さんが生きている時からやろうと思っていたんです。それが亡くなっちゃってどうしようって。死ぬと思ってなかったんですよね」と、これまで公になってきた通りの本音を安田にぶつけたのです。

愛娘は4人の母親

そして、21年前に安田がバンナに勝った時の話を振ると、「あの時にちゃんとやり直していれば、こんな、なんて言ったら会社に怒られちゃうけど、こんな格好しなくてよかったのになって、いつも思いながら立ってますよ」と明かしました。

02年2月にはIWGPヘビー級王座を獲得し、プロレス界の頂点に君臨したにもかかわらず、やはりギャンブルがヤメられず、「素行が悪く」て、そこから流浪(るろう)の人生を歩んでいた安田。

それでもまな娘からは「最低限、葬式代と墓石代だけは残して行きなよ」と言われ、「その保険だけには入っています」と話しました。

なお、2001年大みそかにバンナに勝った安田が、リング上でまな娘を肩車したのですが、そのまな娘も、今や4人の子どもを持つ母親になっており、安田は「孫には誕生日プレゼントとXマスプレゼントを買うだけでしょう」とギャンブル漬けになりながらも、その点だけは守り抜いていることを明かします。

また、「猪木さんはどんな存在?」と問われると、「(修行中にいた)アメリカにいる時は、ホントに普通のおじいさん。優しくて、俺のメンタルをみてくれる。だから、ちょっと俺が(練習を)嫌だと思っていると、『今日はやらなくていいから、明日からやれよ』」と言ってくれ、メンタルケアをしてくれる存在だった」とも。

「あの頃(21年前)、凄いなと思ったのが、ロスとサンタモニカに(猪木さんは)暮らしていたけど、ラグナビーチでたまに日本人がいると、こんなこと(背にもたれかかる)をし出すんですよ。よく見ると、遠目からファンが写真を撮っていた。そういう時だけはアントニオ猪木なんですよ」(安田)

当時、成田空港に猪木さんが来日すると、各メディアが猪木の声を求めて集結しました。

「そういう時はアントニオ猪木になるけど、アメリカの喫茶店でお茶している時は、ただのおじいさん」

そう言って安田は、半ば憎まれ口のような言動を続けながらも、必要以上の気遣いを見せないまま、A猪木さんとの思い出話を語っています。

4日にはこの動画の後編もすでに公開されていますが、そちらでは安田と同じルーツを持つ、相撲界を追われた相撲取りに号令をかけ、相撲軍団を結成。「猪木祭り」に送り込むむねを公開しています。

ここまで“平成の借金王”が人としての味がにじみ出る言動と行動を繰り返しながら、それでも生活保護の世話になることもなく生き抜いています。

そこには、いくら失敗しようとへこたれない“不屈の闘魂”が見え隠れしています。

ネットの声

「まあ決して褒められた事ではないし、今のこんな姿を見るとちょっと悲しくなるけど、ちょっと破天荒というか、普通の人間としては失格みたいな選手の方がプロレスラーとしては面白かったりする。破壊王、橋本真也なんて未だにネタばかりだからな。今の選手達はみんなマジメだし、礼儀もしっかりしてて、人間的にはいい人達なんだろうけど、昭和のプロレスファンからすると、ちょっと物足りない。別に生き方だけの話ではなく、身体の大きさやプロレスのスタイルも含めて、だけどね。」

「相撲を含めた「格闘家」としては二つのピークがあったのではないか。28歳の時に前頭下位で11勝あげて敢闘賞を獲得、翌場所1場所限りの三役(小結)を経験したこと。二つ目は「INOKI BOM-BA-YE 2001」で、ジェロム・レ・バンナをKOで破る大金星を挙げて、娘さんをリング上で肩車したこと(しかもメインイベント扱い)。素行の悪さでここまで金と人脈を失い、命まで失いかけた破天荒な人生を歩んだその生き方に共感する人は極小かとは思うが、こういう人間がいるからこそ「自分じゃなくてよかった」と思えて、ちょっとだけ幸せに浸れるのかもしれないな。」

「ご自身の好きなことを貫く。なかなかできないことだと思います。少なくとも自立して生活しているのであれば、それはそれでいいのかなと。生活保護を受けるようになるのならば、その時は真剣に自分と向き合っていただきたいと思いますが。」

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