
「アントニオ猪木 vs ジャイアント馬場」実現なら…両雄と戦ったスタン・ハンセン氏が見解
1日に心不全で亡くなったアントニオ猪木さん(享年79)の最大のライバルと言えば、もちろん〝東洋の大巨人〟ジャイアント馬場さん。
1972年に猪木さんが新日本プロレス、馬場さんが全日本プロレスを旗揚げ以降、プロレスファンが夢見た2大スターの対決はついに実現しませんでした。
猪木と馬場、全盛期に戦えば果たしてどちらが勝ったのでしょうか。
2人のライバルとして活躍した〝最強外国人レスラー〟スタン・ハンセン氏の答えとは――。
猪木がハンセンにチャンスを
ハンセン氏にとって猪木さんは、ライバルであると同時に恩人です。
初来日は1975年9月の全日本だったが、77年1月に新日本に初参戦。「間違いなく猪木が私にブレークのチャンスをくれたんだ」との言葉通り、一躍トップ選手に躍り出たのです。
80年2月には猪木さんを破り、NWFヘビー級のベルトを奪取しました。
「もちろん覚えているよ。思い出深いし、自分のキャリアにとってとても大きな勝利だった」。同年9月の対戦では猪木さんがハンセン氏におきて破りのラリアートを放ち、ファンを熱狂させのですた。
ハンセン氏は「あれは確か相打ちじゃなかったかな? 攻撃というよりは、防御の意味もあったんじゃないかと思う。いやあ、でも効いたよ。悪くはなかったよね、猪木さんのラリアートも」と目を細めて激闘を振り返っていました。
スタン・ハンセンさん、始球式でウィ????
ハンセンさんみたいな、素敵な年のとり方をしたいなぁ??#ハンセン#始球式 pic.twitter.com/VdglkTwHnH— おうか (@sakurarunchan) September 19, 2022
若手時代は馬場の全勝
ハンセン氏は81年12月に全日本に電撃移籍し、翌82年2月に馬場さんのPWFヘビー級王座に挑戦しました。
当時42歳の馬場さんはすでにピークを過ぎたと言われ、引退の二文字もささやかれていたのですが、この試合で「プロレス大賞」年間最高試合賞を獲得して復活。
その後も数々の激闘を繰り広げたハンセン氏は、馬場さんの〝最後のライバル〟と呼ぶにふさわしかったのです。
ハンセン氏にとって忘れがたい対戦相手の2人、猪木さんと馬場さんはともに60年に日本プロレスに入門した同期。
5歳年上の馬場さんが先に頭角を現し、若手時代のシングルマッチでは16戦全勝。
猪木さんは71年に馬場さんに挑戦表明するも却下され、翌72年にはそれぞれ新団体を旗揚げしたため、以降の対戦は実現せず。
馬場さんは99年1月に死去し、猪木さんはそれから23年後に天国へ旅立ったのです。
馬場「寛ちゃん、辛かったろう、よう頑張ったな、もう良いんだよ??」。猪木「ご無沙汰してます、元気でしたか?馬場さん??」。馬場「死んどるわいw」。猪木「ダー!??」。#アントニオ猪木 pic.twitter.com/RJfmnDoC8z
— 透明ドリちゃん1974?? (@yzbpgBOPet9GszM) October 5, 2022
ハンセンの予想は
猪木と馬場。ともに昭和を代表するスーパースターであり、プロレス界の2大巨頭の一騎打ちが全盛時に実現していたら、果たしてどちらが勝ったのでしょうか。
プロレスファンであれば誰もが一度は夢見たドリームマッチの予想を、2人の強さを肌で知るハンセン氏に聞いました。
不沈艦はしばらく熟考した上で、こう語り始めたのです。
「きれいに終わることはないだろうね。馬場さんも猪木さんも、どちらもすごいレスリングの技術を持っていた。猪木さんは特にレスリングを熟知していたので、突発的に見たことのない動きや技を繰り出すんだ。もちろん馬場さんより猪木さんのほうが全然、スピードが速かった。でも、馬場さんは腱の力が非常に強かったんだ。どちらも優れたものを持っていたし…これは永久に答えが出ないだろうね。とても接戦になっただろう。そして、時間切れで引き分けに終わっていたと思うよ」
生前の猪木さんは「馬場さんが呼んでる。早く来いって言ってる」と発言することもありました
。天国で再会した宿命のライバル2人は、もしかしたら今ごろリングの上で対峙しているかもしれません。
馬場さんと同じくらいの身長の選手の首元にしっかりドロップキックを突き刺す猪木さん pic.twitter.com/4in8iH8rmi
— プロレスリング加藤 (@q3jQd9xK0aZSvEL) October 8, 2022
ネットの声
「自分は考えないようにしていました。
馬場さんは馬場さんの、猪木さんは猪木さんの良さがありますからそれをどちらが強いかって考えたことはなかったです。
スピード猪木さんというけれど、馬場さんの32文を見てみれば当時は2m超の巨体とは思えないスピードと華麗さがありました。なので対戦が実現していたら接戦になったと思います。
物心ついた頃には馬場さんは32文をやらなくなっていたのでYouTubeでしか見たことはありませんが。
実際の戦績は馬場さんの全勝ですが、色々な意味でこの対戦が実現していたとしても勝敗がつかないのが望ましいと個人的には思います。」「プロレスは夢の対決を夢のままで終わらせるからこそ、プロレスなのである。その点から馬場と猪木はプロレスを貫き通したと言える
戦ったらその一日は確かに熱狂になろうが、次の日からなにも無くなる
鎖国の雄だった三沢光晴が、NOAH設立後意外なほど開国主義で次々と夢の対決を実現しまったことは少々期待外れだった
だが三沢は唯一猪木と長州とだけは頑なに絡まかった だからそれが夢の対決になってる」「プロレスの試合だったら引き分けにするしかない。もしくは馬場が高齢の時点で対決すれば、猪木の勝ちか。問題は、きちんと両者が「いい試合」をしてくれるかどうか。お互いが強いところを見せようとして、お互いの技を受けない展開も予想される。ファン不在の夢の対決の可能性もある。
ガチの対決でいえば、猪木が関節技を知っていても、あの巨体をロープブレイクのあるリング上で仕留めるのは難しく、決着はなかなかつけられないかもしれない。
最悪なのは、「引き分けの予定を、ブック破りで猪木が勝ちに行くパターン」で、馬場はこれを警戒していたろうね。」